文章

□妄想逃避行
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「おい、聞いたか?」
「ああ、まさかあいつが辞めるなんてな」
「あんなにこの仕事気に入ってたのに」
「まあ、きっといろいろあんだよ」
「何を話しているんです?」
「ノボリさん!」

休憩室に入ると今年入社してきた新人の鉄道員達が少し気難しそうに話しておりました。
中の一人は少し気まずそうに目を逸らすと、飲んでいたコーヒーをテーブルに置いて口を開きます。

「仕事辞めたんですよね?あいつ」
「・・・ああ、そうですね。とても優秀でいい子でしたので残念です」
「やっぱり・・・」

鉄道員たちはため息をつくとまたコーヒーを煽りました。
心底苦そうな顔をしながら飲んでいて、そんなに美味しくないのなら飲まなければいいのにとすら思います。
ただそれはきっとコーヒーのせいだけではない事を知っているので私は何も言えませんでした。

「やはり辛かったんでしょうね。夜勤も多いですし、休日出勤も当たり前。他の方が連休の時は丁度稼ぎ時ですから実家に帰ることもできません」

私が席に座りながらいうと皆一様に頷きながらため息をつきます。
入社して数ヶ月の新人でもため息が出るほどこの職場は大変なのでしょうね。
慣れてしまった自分はもう何とも思わないのですが、そこはあえて言わないことにしましょう。

「だからですかね。急にいなくなるんですよ」
「え・・・?」
「辞表も何も出さず制服と懐中時計だけ置いて音信不通になったり、来なくなったかと思えばいきなり親が怒鳴り込んできたり、有休を急にとったかと思えばそのまま戻ってこなかったり」
「そんな人・・・居るんですね」
「ええ、いろいろな人がいますから。そういうことをされても私達は探す術もないですし、本人の意志を尊重せねばなりませんので無理矢理連れ戻すこともできません。なので意外とそういうことをする人も多いのですよ」
「そうなんですか」

神妙な顔で頷いたかと思えば一人は思い悩んだように俯き、何かを決意したかのようにコーヒーを飲み下したり。
新人はいろいろな対応を見せました。

「何話してるの?休憩おわり!」
「はい!」

クダリが休憩所に入ってくると一斉にカップを片付けてそそくさと持ち場に戻って行きました。
クダリもしっかり指導者としての立場にいるのだななんてしみじみと思いましたが、きっとここへはサボりにきたのでしょう。
じとっと見つめると、何も気にしない体でこちらに微笑み掛けてきます。
本当にクダリは図太い。
まあ、そうでないとここではやっていけないのでしょうね。

「あんなこと言ったら皆辞めちゃうんじゃない?
「そうかもしれませんね」
「わ!他人事!」

クダリは冷蔵庫からプリンを取り出すと美味しそうに咀嚼しました。
この調子ではしばらく業務に戻る気はありませんね。
なら私ももう少々息抜きをさせて頂くことにしましょう。

「毎年恒例ですから」
「毎年必ず話してるね」
「ええ」

この話をするのは私の毎年恒例行事とも言えます。
どんな風に仕事をやめて行ったのか。
あるときは業務終了時にトレインに乗ってそのまま国へ帰ってしまった。
あるときは電話一本職場にかけてきただけで何も言わずに居なくなってしまった。
またある時はまるで夜逃げのように気がつくと寮がもぬけの殻になっていた。
そんな話。

「別にノボリが気にかける必要ない。辞める人は辞める。続く人は続く」
「そうですね。でも必要じゃないですか?」
「なにが?」
「逃げ道が」

クダリは対して興味もなさそうにプリンを食べ続けます。
対して美味しくもなさそうに。

「ノボリは甘いね。とってもいい人で」
「そんなこと無いですよ。皆辞めたら私達2人で業務を行わなければなりませんし」
「いつかそうなるかもね」
「それでもいいですよ、私は」
「僕も」

にっと笑ってプリンを全部かき込むとクダリは立ち上がりました。
今日は随分元気ですね。なんて思いながら苦笑して、クダリを見上げます。

「ノボリが逃げたくなったらいつでも言って!僕が一緒に逃げてあげる」

にこにこしながらそれだけ言うとバイバイと手を振って出て行きました。
少し意外で、可笑しくもないのに笑ってしまいました。

今まで逃げ方を教えて来ましたが、実際に逃げてみるのも悪くないだなんて、思った私が一番この仕事に嫌気が刺していたかもしれませんね。

仕事に戻らなければと思いつつも、全く罪悪感も感じずに私はそのまま寝てしまいました。

END


ただ私が仕事やめたいだけって話(笑)




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