文章

□被害者願望
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「クダリさんは車買わないんですか?結構お宅まで距離ありますよね」

今日は早い時間に休憩を取ることができたから、グダグダ寝てしまおうと思っていたのに。
そんな僕の考えなんてお構いなしに、たまたま休憩時間が一緒になった暇を持て余した鉄道員が何気なく聞いてきた。
コーヒーを片手に頬杖を着いている様子から見てもただ思いついたから言ってみただけのようで、たいして興味を持っている訳でもないみたいだ。
特段仲がいい訳でもないが、僕より少しだけ年上の彼は鉄道車両と同じくらい車いじりも好きだということをいつだったか聞いたような気がする。

「そうだなぁ。乗りたくないから」

特に考えもせずココアを淹れながら言えば、あきらかに落胆したように彼はコーヒーが並々と注がれたカップをテーブルに置いた。

「かっこいいじゃないですか車!それにクダリさんはバイクも自転車も乗らないですよね。もしかしてトレイン一筋とかですか?」

じとっとした目でこちらを見る彼がどうしてこんなにも車が好きなのかが僕には分からない。
だけどそれを言ったら噂に聞く熱血社員の彼が車の良さを嫌という程語り出して止まらないんだろうからそんなことはしない。
貴重な休憩時間を興味もない話を聞かされるためにつかう人もそうそういないだろう。

「うーん。例えば、車が歩行者をはねちゃったら車と歩行者とどっちが悪い?」
「そりゃあ車の方が悪いに決まってるじゃないですか」

にべもなくそう言った彼はさも当たり前だという顔をしてはやく話の続きをして欲しいと促してくる。
やれやれと思いながら彼の向かいのソファに座って淹れたてのココアが入ったカップで暖を取る。

「じゃあ歩行者が急に飛び出してきて車が止まり切れずにはねちゃったとしたら?」
「えっと、それは、歩行者の方が悪いんじゃないですかね」

少し考えてから言った彼はやっぱり車に乗る側の人間なんだなと思う。
入れたまま温くなり始めたココアは猫舌の僕にも飲みやすいちょうどいいあたたかさになっていた。
一口飲んでその甘さを堪能してから彼を見ると話を真剣に考えているのか、半分以上残ったコーヒーからは湯気も立たず冷え冷えとしている。

「それは乗る側の考え。急に飛び出してきたら止まれる訳ないもの。しょうがないって思う」
「違うんですか?」
「世間から見れば、もっと早くに危険予測出来なかったのか、ハンドルを切れば最悪の事態は避けられたんじゃないか、ドライバーが注意散漫だったんじゃないか。とか、勝手に考察しちゃう。だから事故があるとどんなに歩行者が悪くてもドライバーの方が罰金高いでしょ?」

言われれば、そうですね。
そうはいいつつも納得がいかないというのは様子を見れば明らかだ。
移動に足を使わなくなった彼はきっと事故に合うまで納得しないんじゃないだろうか。
すっかり冷めてしまったコーヒーを口に運んで苦々しい表情をしたあと、そのままの表情でこちらへ目を向ける。
まだなにか聞きたいことがあるんだろうか。

「じゃあどうして車掌をしてるんですか?車みたいにハンドルを切るなんて出来ないし、ダイヤを守るためには踏み切りで減速なんて出来ないですよ」

カップを揺らしながら言う彼はなぜこんなにも何かに乗ることに執着するんだろうか。
彼の飽くなき探究心はどうやら僕の休憩時間を食いつぶすつもりらしい。
コーヒーはまだ半分くらい残っているからまだ休憩開けする気は無いんだろうし。
ため息の代わりに生ぬるいココアを飲み下して立ち上がりながら言う。
相手がいなくならないなら自分から動くまでだ。

「ホームから投身自殺してトレインが止まり切れなくて引いちゃった時、誰が悪い?」
「それは自殺希望者ですよね」
「そういうこと」

ココアパウダーがこびりついたカップを流しに置いてコートの襟を正す。
まったく休憩できた気がしないのは昼寝が出来なかったのとノボリがいなかったからだ。
明日からは絶対遅い時間になったとしてもノボリと一緒にお休みしよう。
今度こそため息を尽きながら帽子のツバを摘まむとうーむと唸る彼が一人。
腕組みをした彼は完全にカップの事など眼中になく、冷えて粉っぽくなったインスタントコーヒーはきっと流しに捨てられる運命なんだろう。

「なにがそういうことなんですか?」
「僕はずっと被害者でいたいだけ。だから歩行者だし車掌なの」

言い逃げになっちゃうけどさっさと休憩室から退散することにする。
うーん。
唸り声が休憩室から聞こえてくるけどそんな事は気にしない。
カップの底のココアパウダーみたいに些細なことだもの。
カツカツと踵をならしながら歩くけど普段注意してくれるノボリはまだシングルトレインの中だから、余った休憩時間はノボリのバトルを見て過ごすことにしよう。
「そういうこと」の意味が分かったら彼は車に乗るのを辞めるんだろうか。
そうふと考えて、どうでもいいやと考えなおす。
楽しい休憩時間を求めてモニター室へとカツカツ足を進めた。

END


どうして車買わないの?って聞かれたので。





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