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さっきまで人形のように微動だにしていなかった新入りが苦しそうに眉根を寄せ、浅い息を繰り返している。見る見るうちに額には汗が浮かび、握ったままの白い手はますます体温が下がった気さえした。

「おい!おまえ大丈夫かっ!?ラピード、タオル持ってきてくれ!」

部屋の奥へ入っていくラピードを尻目に汗を軽く拭ってやれば、カタカタと震える歯の間から小さな掠れた声が漏れ聞こえてきた。

「...めん.....ご......さい....め..さ」

聞こえてくるのはまだ幼さも感じられる声で何度も繰り返される謝罪の言葉だった。拭っても追い付かないくらい汗は吹き出してきて脱水症状を起こすんじゃないかと別の心配事さえ連想される。
これは起きるまで待ってるなんて悠長なことはいってられないんじゃないか?思いたつやいなや、目立った外傷はないから大丈夫だと踏んで肩を掴んで思い切りゆすってみる。起きる気配はなく苦しげな表情と想像よりも薄い肩は、思わず揺さぶる力を緩めてしまいそうになる。

「ごめん....ご....さい....」
「大丈夫だ!誰もお前を責めてない。だから起きろ!」

何が大丈夫なのだろうか。口をついて出たのは自分でも意図していなかった台詞だが、この言葉には思いがけない効力があったらしい。浅い呼吸が落ち着いてきたかと思ったら、ゆるゆると目蓋が持ち上げられたのだ。
今だ小刻みに体は震えているが、完全に目蓋が開ききった時、それなりに至近距離にあった翠色の大きな瞳に射すくめられてしまった。
ラピードがやっとタオルを咥えて走ってきたのを見て、肩を掴んだままだったことに気が付いた。

「ありがとな、ラピード。...大丈夫か?」

ぱっと手を放して受け取ったタオルを差し出してやれば、新入りは戸惑いながら体を起こして恐る恐るといったふうにタオルを受け取った。その際にタオルではなく自分の手を見つめていた気がするのは気のせいだろうか。

「...ありがとう」

まだ少し掠れてはいるが凛とした声で、先ほどの怯えたような声とは全く違っていた。申し訳なさそうにタオルを額にあてて、汗を吸い取る姿はここら辺の豪快な奴らとは違い、上品さが感じられてすこしだけ違和感を感じた。
横目にその様子を見ながら勝手知ったる人の家で、適当に棚からグラスを借りて水を汲んで寝室へ戻れば、まだ青白い顔をしているものの呼吸は正常に戻ったようだ。
心配げに見つめているラピードにごめんなと言いながら頭を撫でているその姿は儚げで、それでいて着ているものは上等そうだという、それなりに旅をしてきたが出会ったことのない風貌だった。
ラピードがだまって撫でられているというのもあまりないことで、この新入りには驚かされることばかりだ。

「水は飲めそうか」
「ああ。ありがとう」

水を渡す時に軽く触れた手はだいぶ温かく感じられ、さっきまでの冷たさが嘘のようだ。遠慮がちに一口水を飲んで、こちらを見たそいつは申し訳なさそうに伏し目がちにうつ向いた。

「ごめん、迷惑かけちまって」

しゅんとした姿はますます儚さを増長させるようで、一緒にいるこっちのほうが居心地が悪くなってしまう。せっかく整った顔をしているのだから笑えばきっと見違えると思うのに、この時世で体力だけでなく精神まですり減らしてしまったのだろうか。

「迷惑なんかじゃねーよ。それに、俺はたまたま居合わせただけだ。あんたを拾ってくれたじいさんはもうすぐ帰ってくるはずだから、もう少し休んでろよ」
「...ごめんなさい」

言ってやればまた申し訳なさそうな顔をして謝りながら小さくうなずいた。こいつの口癖は「ありがとう」と「ごめん」なのだろうか。さっきからそれしか聞いていないような気がする。水をちびちび飲みながらもの珍しそうに周りを眺めるそいつの頬に赤みがもどってきたのが見て取れて、心なしか安心してしまった。

「なあ、あんた名前は?」
「俺はルーク。...ただの、ルークだ」
「ふーん?俺はユーリだ」

一瞬目線が彷徨ったのは何か名乗りたくない事情でもあったのだろうか。ダングレストやここいらでは偽名で通している奴だって多くいるのに随分と律儀な奴だと逆に感心してしまう。
おずおずとこちらを見るそいつはまだ少年といっても通るような面立ちで、下町の路地で倒れていたなんて随分危ない橋を渡ってきたもんだ。
まじまじと見られて気恥ずかしかったのだろうか、なにか逡巡したあと思い出したかのように口を開いた。

「なあ、ここはどこの街なんだ?街の人は音素がなくても問題なく暮らしているか?変に迫害されている人とか急にいなくなったりする人とかこの街ではいるかな。あと、ダアトは」
「ちょっと待ってくれ。そんなにいっぺんには答えらんねぇよ」
「あ...悪い」

思ったより元気そうでよかったと思う反面、先ほどとは打って変わった様子に驚かされる。ラピードですらきょとんとした顔をしているのだから、相当面喰ってしまったのだろう。おどおどした態度でも目は力を持ってこちらを見つめてくるのだから、もとは活発で質問攻めにする方が素なのだろう。

「ここは帝都ザーフィアスの下町だ。てっきり知ってて辿り着いたもんだと思ってたが、違うみたいだな」
「ザーフィアス...」

小さく呟かれたこの街の名前はどことなくイントネーションが違っていて、まるで知らないかのような口ぶりだ。街の様子を聞いてくるってことはどこかの調査員かもしれないが、だとしたら帝都を知らないなんてことは考えられないはずなのに。
また何か黙りこくって考え事をしているようだが、その姿をみればますます違和感しか感じられない。仮に調査員だとして考えてみれば、着ている服の材質から階級はそれなりに上の人物だと考えられるが、はたしてこんな年端もいかない子供がそんな身分であり、さらに単身で仕事に取り組むだろうか。しかも帝都の名前すら知らず、現在地を把握する能力もないなんて、余程の方向音痴か温室育ちの初仕事か。おまけに夜中に路地裏で行き倒れだなんて、住人に取り入る為の演技だとも考えられるが、先ほどの冷え切った体を思い出せば、あれを演技で体現できるとも思えない。

「...ここは、オールドランドじゃないのか?」

動揺を隠せないといった様子でこちらへ聞いてきたが、いったいそれはどこのことを言っているのだろう。まだ旅をしたことのない大陸がこの世界にあっただろうか。

「違うな。ここは一般的にテルカリュミレースのザーフィアスって呼ばれてる。あんた、ルークの言うオールドランド?ってのは悪いが俺は聞いたことがないな」
「そう、か」

明らかに落胆というより落ち込んでいるといった風のルークは、そのオールドランドを目指していたんだろうか。さっきの質問にも聞きなれない単語があったし雰囲気も不思議な印象を受ける。もしかしたらクリティア族のような特殊な文化を持った町の出身なのかもしれない。

「だから、ハンクス!もう治癒術師じゃないって何回言ったらわかるんだ。もう魔導器はないんだから治癒術は使えないって言ってるだろ」
「そう言うんじゃない。そんなもんなくとも立派にお前さんは治療しとるじゃないか!急患なんじゃから四の五の言わずに見とくれ」

ドアの向こうから聞こえてくる声の持ち主は間違うことなくじいさん本人だろう。あんなに大声で言い合わなくても二人には聞こえているんだろうに、まったく楽しいじいさんたちだと少し呆れてしまう。じいさんが懇意にしてる治癒術師は確か戦前からの名医だとか言っていたが、小さい頃に腹を壊して苦しんでた俺にアップルグミを渡してきた彼は果たして名医と言えるのだろうか。
今度はルークがきょとんとして何か問いたげにラピードへ視線を向けるが、見ていればわかるとでも言いたげに尻尾をドアに向けて振った。
皆がドアを注視する中、誰か近くにいたらなんて配慮は全くなく、勢いよくドアが開け放たれた。楽しげに言い合いながら入ってきた二人組はルークを見て目を丸くした後、じいさんは一気に笑顔になった。

「目が覚めたのか。よかったよかった!」

ルークはハッとするとベッドの上で居住まいを正して深々と頭を下げた。

「俺を助けてくれたのはあなたですか。俺はルークといいます。本当に、ありがとうございました」

その言葉遣いと腰から折るような完璧な礼はどこか高貴ささえ感じさせるものだった。じいさんも同じことを考えたのか、あっけにとられているようだ。

「ああ、ああ、そんな礼はいい。今医者を連れてきたからもう心配はいらんぞ」

じいさんはそういいながら後ろに控えていた治癒術師の背中を押して早く診るようにと促している。治癒術師は首から提げていた聴診器をルークの手首に当てたりのどあたりを手で探ったりして、何個か質問をした後紙に何かしら書いている。それがどういう意味があってやっているのか俺にはさっぱり見当もつかないが、これで病状が何か分かるのだとすれば、魔導器なんて本当にいらないものなのだろう。
何かライトでのどの奥を見ていたかと思ったら治癒術師はおもむろに立ち上がって俺たちの方へ振り返った。

「特に異常はみられないな。せいぜい栄養失調、ビタミン欠乏症、睡眠不足そのたもろもろだ。食べて寝てぐうたらしてたら数日で元気になるだろう」

元の通り聴診器を首にかけるとにっこり笑ってルークにアップルグミを手渡している。それを見なかったふりをしてルークに近づけば、少し困ったように笑顔を浮かべた。

「あんたにも迷惑かけたな」
「あんたじゃない、ユーリだ。立てるか?」
「ユーリ...。ああ、大丈夫だ」

コップを受け取って手を差し出してやれば、つぶやくようにありがとうといいながらゆっくりと立ち上がった。思っていたよりも背は高く筋肉もついているようだが、こちらに掛けられた体重はだいぶ軽い気がする。じいさんはよかったよかったとうなずきながら治癒術師に礼を言っており、診察費用は要らないというあの治癒術師もきっとほっとけない病の患者なのではないだろうか。

「あの、おじいさん」

ルークが遠慮がちに声を掛けるとじいさんは少しくすぐったそうにしながらこちらへ視線を投げた。

「俺、助けていただいたのに何もお礼を渡すことが出来ません。代わりといってはなんですが、何か出来ることはありませんか」

この程度のことでそこまでする必要はないというのに、本当に律儀なやつだな。じいさんは困ったように頭をかくと治癒術師に助けを求めたが、彼は関係ないとそそくさとドアから出て行ってしまった。その助けを求める行為は視線と化してラピードへ向かった後、俺と視線がばっちり合った。しかもそのままじいさんの顔が笑顔に変わるもんだから、これは絶対俺にとばっちりが来る。
じいさんは名案が浮かんだとでも言うようににっと笑いながらルークに言い放ちやがった。

「お前さんがどこから何をしに来たのかは聞かんが、その用事を再開するまででいいからそこにいるユーリについてやっていてくれんか」
「おい、じいさん。ルークはあんたに礼がしたいって言ってるんだぜ?なのに何で俺になんだよ」

やっぱりだ。
いつまでなんだかは分からないがルークについて回られたからって問題はないだろうが、こんな年端も行かない子供をつれてギルドの仕事など出来ないだろう。最低でもカロルくらいの腕がなくては流石にどんな状況でも守りきれるという自信はない。見たところ腰に剣は挿しているようだがその腕までは試してみないことには分からないし、病み上がりの子供にそんなことを強いるわけにはいかないし、いったいじいさんは何を考えているんだろうか。

「こやつはいつも一人で無茶ばかりしよるからな。お前さんみたいな監視役がいればわしの気苦労も少しはへるじゃろうて」

一人でいい案が出たと満足げに笑うじいさんは本当に俺に全部押し付ける気でいるらしい。じいさんも誰かから露骨に親切にされるというのは気が進まないんだろうが、自分がまいた種だというのに世話をしないというのはどういうことだろうか。困ったなと思いながら横目にルークを見れば、どうやら気持ちは同じらしい。どうしたらいいのかとじいさんと俺を交互におろおろと見比べている。
不意に目が合ってしまい、きらきらとした翠の瞳で見つめられてしまうとだんだん断るのが忍びなくなってくるのだから不思議なもんだ。

「わかったよ。どうせ長いこと一緒にいるわけじゃねえんだ。好きにすりゃいい」
「ありがとうユーリ!おじいさんもありがとうございます」
「はっはっは。まるで孫のようじゃの!いつでも歓迎するからまた遊びにおいで」
「はい!」

ぱっと明るくなったルークの笑顔を始めてみた気がする。笑うとさらに幼く見えるななんて思いながら、苦笑混じりにため息をつけば、案外下町のほっとけない病に一番毒されているのは俺なのかもしれない。




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