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「おはよう。ユーリ」
「...おはよう」

朝起きたらベッドがもぬけの空で、あんなことがあった次の日の朝だという事もあり急いで階段を下りてみれば、俺のことなど素知らぬ顔で店の前を掃除するルークとラピードが居た。駆け足で降りてきた俺を見てきょとんと首を傾げる姿は全く夜のことを引きずっている様子などなく、不思議そうにラピードと顔を見合わせているのだから勘弁してほしい。

「どうしたんだ?」
「ワフッ」
「いや、なんでもない」

とりあえずまた街を走り回らなければならないという心配はないらしく、珍しいことにすっかりルークに懐いてしまったラピードが傍についていれば、過剰に気を配る必要もないだろう。やれやれと一息ついてルークを見やれば、ラピードに笑いかけながら箒で街路を掃いており、今までとは何か違う気がしてふと違和感を感じた。
気取られないように注視してみれば、もしかしたら前より良く笑うようになったのかもしれない。こびり付いてしまっていた顔の強張りが消え、どことなく明るさを増した表情はどこか吹っ切れたような印象さえ受ける。それが良かったのかは分からないが、おかみさんが心配することなくこうして掃除を任せられるのだから、昨日の傷心した雰囲気よりは幾分マシなのだろう。箒星のドアの段差に腰かけてその様子を眺めてみるが、不思議と安心してしまうのだから俺も余ほど心配性らしい。

「それが終わったら出かけるぞ」
「もう終わるとこだけど、どこに行くんだ?」
「見えるだろ。あそこだよ」

親指で街のシンボルとも言える中心にそびえ立つ城を指してやれば、思い出したとでもいうようにああと小さな声が聞こえた気がした。塵取りにごみを掃き入れながら聞いてきたルークは昨日のフレンの話を覚えていなかったのだろうか。まああれだけお叱りやそれ以外の雑学まで混じった小言を延々と聞かされた後だったから、何も耳に入らなくなるのもしょうがないとは思うけれど。
あの後のフレンの小言は結局小一時間続き、ルークの足が限界を迎えた事で怒りは終息を見せた。外泊届を出してこなかったという理由でもう日付も変わって意味もないというのに、言うだけ言った生真面目なあいつはそそくさと帰り支度をはじめた。その際にルークの事を聞きたげにこちらに投げられた視線には首を振って答えたが、肩を少し竦め苦笑しながらも、それだけで何も聞かずにいてくれる親友は正直ありがたいと思う。反面、何も話せなくて申し訳ないと思いながら、いつかルークが話せるようになったときに一緒に聞いてくれればいいとも思った。
その帰り際に、ゲッソリとした顔で足を震わせるルークとそれを笑いながら見ていた俺へ、完全に怒りなど消え去った笑顔で急に振り返り、たった今思い出したかのようにフレンは伝言だと言った。

「ああ、そうだ。エステリーゼ様がユーリが帰って来ているなら是非とも城へ寄ってほしいと言っていたよ」
「エステルが?」

親友は早くもあのお姫様に俺の話をしてしまったのか。旅が終わって城にやっと落ち着いてくれたと安心して話していたのはフレンだったと思うのだけれど。今だにまた旅に出たいという願望は強くあるようで、ここに帰ってくる度連れて行って欲しいと控えめながらせがまれて、騎士達から白い目で見られる俺の身にもなって欲しいものだ。それでもこちらから城に出向かなければ自分から下町に出てきてしまうのだから行ってやらなければと思うと共に、エステルもルークも気に掛るという意味では同レベルというか同じ種類の人間なのかもしれない。

「分かった。明日にでも顔を出すよ」
「頼むよ。それからルーク、君も出来たら一緒に来てくれないかな」
「えっ、俺も?」

やれやれとため息をつきながらルークの方へ視線を向ければ、全く自分は関係ないとでも思っていたのだろう。まだじんじんと痛む足を気にかけながら困ったように眉尻を下げてフレンを見つめていた。

「失礼だけれど、下町に変わった人が来たという噂が耳に入ったらしくてね。たぶんルークの事だと思うんだ。出来る事なら一度会ってみたいと言っていたんだよ」

苦笑しながら言うフレンのこれは多分おせっかいなのだろう。俺たち凛々の明星は抜きにして一般市民にわざわざ会いに来るよう命を下すなんて、あの気のいいお姫様がするはずがない。きっと城の中でエステルがそう言っていたと小耳にはさんだのだろうが、大概フレンもお人よしだと思ってしまう。そこがいい所だと分かってはいるが、騎士団長ともあろう奴がこんな様子でソディア達の苦労もなんとなくだが分かるような気がした。
やっと足の痺れが取れたルークはゆっくりと立ち上がると戸惑いがちに俺とフレンを交互に見る。

「俺なんかが行ってもいいのかな」
「ああ、是非そうしてあげて欲しい」

フレンの柔らかな笑みはルークの緊張を解くのには打って付けらしく、その返答を受けた途端に困り顔が消えてしまうのだから少し妬けてしまう。

「じゃあ行かせてもらうけど、その、エステリーゼ様ってのは誰なんだ?」

隣に控えるかのように佇むラピードを撫でながら知らないことが当然だとでもいうように聞いてくるルークは、やっぱりこの街の事を何も知らないらしい。その事に確信を持ちつつルークを見るが、いつもはすぐに誤魔化そうと躍起になるのに、疲れたからかはたまた緊張が解けているからか俺たちの微妙な空気に気が付かないようだ。フレンも問われたその質問に呆気にとられているようで、俺の方へ向けられた顔にはルークの事を色々聞きたいと書いてあるのだからどうにかして欲しい。対してすっかりルークのこの調子に慣れてしまった俺は、フレンには視線を送り返すだけに留めて、前の旅ですっかり有名になってしまったエステルについて誰もが知っている一般常識として簡単に説明をする。

「簡単に言やお姫様だな。でかい城に住んでるお上品なお嬢さんって感じだ。前まで一緒に旅をしてたんだが、まあ会えば分かるだろ」

言い終わるや、お姫様の知り合いがいるなんてユーリは何者なんだ。だなんて真剣に聞いてくるのだから、どうしてこうも俺の周りには質問好きが多いのだろうか。
二人に向けて言い放つように「その内話す!」と言ってやれば、不満足ながらも納得はして貰えたようで、俺に集まっていた視線からやっと解放されて文字通り胸を撫で下ろしてしまった。だが、これ以上フレンがここにいればルークはまた無意識の内に墓穴を掘るだろうし、俺はフレンから無言の質問攻撃を浴びせられるのだろうから今日はもうお開きにしてしまった方が無難かもしれない。
帰り支度を完全に整えてそわそわと時間を気にしているフレンもその部分だけは利害が一致しているようで、小さくため息をついた後居住まいを正して言った。

「じゃあ、そろそろお暇するよ。遅い時間まで悪かったね」
「俺の方こそ、ごめんなさい」

申し訳なさそうに伏し目がちに言ったルークへ、フレンはおもむろに近づき拳で軽く頭を小突いて屈託なく笑った。ルークはその行動をまったく予期していなかった為か、大げさに肩をびくつかせて目を見開いたまま小突かれた箇所を両手で押さえて固まっている。

「まったくだよ。あんまり危険なことはするんじゃないよ。ユーリも、しっかり色々なことを教えてあげなきゃダメじゃないか」
「へいへい」

まるでルークの保護者のようだと思いながらぞんざいに返事をすれば、笑顔のままで片手を上げて挨拶し今度こそ踵を返して帰って行った。それを見送ったラピードは早くも定位置と化している窓際に丸くなると大きくあくびをし、まだ何かあるのかと細められた目とゆらゆらと揺れる尻尾をこちらへ向けている。
軽くラピードの頭を一撫でしてから部屋の端に畳まれた布団を見れば、たった数日しか使っていないのに既に中の綿がつぶれてうすくなっており、あれとござだったらあまり効果は変わらないんじゃないのかとさえ思えた。だからといって床に寝るのはごめんだし、ルークからベッドを取り上げるなんて論外だ。
ないよりはましだろうと億劫に重いながらも寝床を準備するため重い腰を上げれば、この何時間かの内で随分と疲労したものだと驚いてしまう。あれだけ走ったり座りっぱなしだったりしたらそうなるかと自分を納得させつつルークを見てみれば、そこまで強く叩いたというわけでもないだろうにまだ頭を抑えたまま突っ立っている。

「どうしたんだ?」
「...ううん。なんでもない」
「ならさっさと寝ようぜ」
「おう」

さっさと準備を終わらせてしまって布団に横になれば、倒れ込むようにベッドに飛び込み枕に埋まるルークの姿が見えた。バフッと大きな音がしてほこりが舞ったが、本人はあまり気にしていないらしい。そのまま寝ごごちのいいように体をずらすと枕のせいでくぐもった声が聞こえた。

「...おやすみ」
「おやすみ」

天井から吊られたオイルランプを消してしまえば何も見えなくなり、疲れているからすぐにでも寝てしまおうと考えていたが、どうしてだか寝付けなかった。色々な事があったせいか気が冴えてしまっているのかもしれない。何度目かの寝返りを打った時、先ほどよりも小さな震えた声が聞こえた気がした。

「フレンは、ガイのレプリカ...?いや、でも本当にそっくりだ。...会いてぇな、皆に」

寝ているラピードも起こさない程の小さな呟きとすすり泣くような声はもしかしたら俺の夢だったのかもしれない。
昨晩のことを思い返していれば、丁度ルークの掃除も終わったようだ。俺の横をすり抜けて自分から塵取りを咥えルークを率いて箒星に入っていく相棒は子供好きだという性格よりも、もしかしたらルークの事を放っておけなかったのかもしれない。そう思い至ればあまりにもそれが的を射ているように思えて、相棒も親友も本当に世話好きだなと苦笑が漏れた。

「ユーリ!おかみさんが出かける前にご飯食べていってってさ」
「おー。今行く」

ドアの向こうから聞こえてくる大きな声はやはり昨晩の暗さなど微塵も感じさせないもので、もしあれが夢でなかったとしたら少し泣いたことですっきりしたのかもしれない。
相棒たちの世話好きな性格になった原因はこのおかみさんにあるんだろうなと思いながら、また大量に用意された朝飯に囲まれて困っているだろうルークとラピードの元へ行くべく一度のびをしてから立ち上がった。





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