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「どうしたんだ?」
「あのですね、ユーリ。今日は大切なお話があるんです!」

意を決したとでも言うように紅茶を置いた手を硬く握り締めてひざに置いたエステルが何を言いたいのか、まるで手に取るように分かるような気がした。旅が終わってからここを訪れるたびに毎度必ず言われるのだから、ラピードだって察しがついていることだろう。エステルは一度ルークの方へ目配せをした後、俺とラピードを交互に見るように視線を動かした。それには緊張を含んでいる事が容易に感じ取られ、前回までの「大切なお話」とは何か違うような気がする。目配せをされたルークはこの短時間で完全にエステルの味方になってしまったのか、俺を見てくる瞳には穏やかさの中にどことなく力が篭められている様な気がして、今回は断り切れるか少しだけ不安に思えた。

「また、ギルドのお仕事に同行させていただけませんか!」
「…何度も言ってるじゃねぇか。エステルもそれが分かってるからここにいるんじゃないのか?」

やっぱりか。予想通りの台詞に対しそういってやれば、言葉に詰まって少し寂しそうに俯いた後、しょうがないとでも言うように苦笑を浮かべる。それがいつものエステルだった。なのに、今日はどういうことだろうか。先程の緊張した面持ちとは一変して、戦闘が終わった後のように不敵な笑みを浮かべながらにこにことこちらへ笑顔を向けていた。

「ヨーデルから許可を頂いたんです!私が御伽噺を書くためにもいい参考になるからと言ってくださいました。だから、ユーリがいいと言って下されば私は都外へ行かせてもらえるんです!」

キラキラと目を輝かせるエステルは既にどこかの街へと心を馳せているようで、俺が断るだなんて微塵も考えていないらしい。ルークはそんなエステルの方へ神妙な顔を向けながら、残り少なくなった紅茶を一気に飲み下した。少し不自然な様子のそれに首を傾げつつも、当のエステルを見てみればその事には全く気が付いていないらしく、感極まったように胸の前で組んだ手にはペンダコの他にも剣を握る手独特の癖が出来ており、城にいる間も剣の稽古を欠かさずに行っていたという事が見て取れた。
そこまで自分で努力をしているのだから、それを俺が無下にするという理由もないだろう。それに、もう行くと決めてしまっているエステルを説得するのは俺には無理な話だ。

「許可が下りてるってんなら俺が止める必要もねぇな。近々リタに会いに行く予定だったし、丁度いいんじゃねえか」

苦笑しながらそう言ってやればみるみるうちに花がほころぶように益々の笑顔になるのだから、まったく現金な奴だ。

「ありがとうございます!いつ頃行く予定なんです?あ、今からでもすぐに準備できますよ!」
「今すぐにはいかねぇよ。エステルだって色々準備があるんだろうから、早くても明日だな」

準備をしようと立ち上がったエステルは本当に今すぐにでも駈け出して行ってしまいそうだ。それを片手で制して座らせるが、今までにも幾度となく連れて行けとせがまれていたのだからそわそわと落ち着きがないのはまあ無理もないことだろう。またフレンにお小言を聞かされるんだろうかと小さくため息をつきながらルークを見れば、ひとり取り残されたような浮かない顔をしていた。
てっきりエステルの味方について、旅に出られることを一緒に喜んでいるもんかと思っていたがそれは俺の思い違いだったらしい。

「エステルは旅が怖くないのか?」
「...怖い、ですか?」

ぽつりと呟かれるように口から出たルークの言葉に、やっとエステルは落ち着きを取り戻したらしい。しっかりと椅子に座りなおすと、真剣な面持ちでルークへと体を向けた。

「旅の途中で戦闘は避けられないし、場合によっては相手が人だってこともあり得る。もしかしたら、人を、殺す必要だってあるかもしれない」

重々しい口調で、途中からは俯くように言うルークは本気で自分の言う事を恐れているようだった。エステルは一瞬目を見開いた後、穏やかながらも凛とした表情を浮かべた。

「私は出来る限り温和な解決法を探します。でも、時にはそういうこともあるかもしれません。人は過ちを起こし、それを繰り返す生き物ですから。何が正しくて何が間違いなのか、私が判断できないこともいっぱいあると思います。それでも私は自分が正しいと思う行動を、どういった形であれすると思います。たとえその相手が同じ人であろうとも」

前回の旅でエステルは随分と色々なことを考えたらしい。満月の子の事やベリウスの事、ひいては今の少しだけ不自由な生活だってエステルの事だから自分のせいだなんて考えているかもしれない。そう思えば、今また旅に出て上手く回る外の世界を見る事でその罪悪感は薄れるのではないだろうか。
一人とうとうと考えながらルークを見れば、少し寂しそうな笑顔で微笑んでいた。

「そっか。エステルは強いな」

どこか自嘲さえ感じさせるその笑顔に胸をかき乱されるような、イラつくような言い知れない感情が渦巻いた。何をそんなに自分を下卑しているのかルークの質問からはうかがい知れないが、過去に何かそういった事態が起こったのではないかということは容易に察しがついた。
エステルはその様子には気が付かなかったのか、ぱたぱたと手を振りながら照れたように笑って言った。

「強くなんかありません!旅に出る以前の私ならこんな風に考えもしなかったと思います」
「でも、そうやって考えられるようになったんだろ?エステルはすごいよ」
「そうやっておだてても何も出ませんよ?それに”将来を思い煩うな。現在為すべきことを為せ。その他は神の考えることだ。”っていう名言もあるくらいです。未来を案じてばかりいては何にもできません」
「へー。そんな言葉もあるんだ。エステルはすごいだけじゃなく物知りなんだな」
「そんなことないです。本で得た知識ばかりでまだまだ勉強することはたくさんあります」

いつの間にかにルークはいつもの調子に戻っていて、あの笑顔にも陰りは見られない。見間違いだったと言えば今の雰囲気となんら違和感もないが、先ほど感じた胸糞悪いわだかまりがまだ消えてくれないのだから俺の勘違いではないのだろう。静かに話を聞いていたラピードも同じ考えなのか、ルークの方へ鋭い視線を向けながらもただ穏やかに尻尾をくゆらせている。
ルークたちに視線を戻してみればまた数分前と同じ光景がそこに広がっていて、大きな身振りで話すルークとそれに堪え切れず笑みをこぼすエステルが居る。時折上がる笑い声からは先程の重苦しい空気なんて初めからなかったかのようだった。まあ、せっかく持ち直したものをわざわざ蒸し返す必要もない。そう思いながらふと窓へ視線を向ければ朝とは逆に太陽が傾いていて、思いのほか長居してしまったなと二人に気取られないようにため息をついた。

「盛り上がってるとこ悪いんだが、そろそろ下町に戻らねぇと。エステルも準備しなきゃなんねぇだろ?」

そう言いながら立ち上がればエステルははっとしたように時計へと目を走らせ、申し訳なさそうに俯いた。

「す、すみません。あんまりにも楽しくってつい話し込んでしまいました」
「気にすんなって。ルークも楽しそうだったし、俺もうまい紅茶が飲めたしな」

同じように立ち上がるルークを横目にドアの方へ足を向けながらそう言えば、エステルも見送りの為にとついてきた。お姫様なのだからそんなことしなくてもいいのにと思う反面、そこまで気を配れる奴だから皆に慕われているのだとも思う。

「ワンッ」

一足先にドアまでたどり着いたラピードは挨拶のように一声ないた後、そそくさと部屋から出て行ってしまった。ラピードも相変わらずだなと思いながらエステルへと顔を向ければ、ラピードへ笑顔で手を振った後になんの前振りもなく俺達に向き直り深々と頭を下げたのだからルークも俺も驚いてしまったのは無理もないことだろう。唖然として声もなく顔を見合わせる俺たちへ、顔を上げたエステルは笑顔を向けた。

「今日はありがとうございました。明日からはご迷惑をおかけすると思いますが、宜しくお願いしますね」
「ああ。明日の正午頃、正門前で待ってっから宜しくな、エステル」

何事だと驚いてしまったが、発せられた言葉に思わず律儀な奴だと感心してしまう。フレンもだが、上に立つ者がそんなにぽんぽん頭を下げてよい物なのだろうか。傲慢な態度では支持は得られないと分かってはいるが威厳とか尊厳だとかそういったものの事をもう少し考えてもいいと思う。それらの全くない親しみやすい奴らだからこそ俺なんかでも付き合えるのだろうが、傍から見ていて危なげだと思ってしまうのだから俺の心配性も大分重篤らしい。
にこにこと笑うエステルはルークに向き直ると少し首を傾げながら問いかけた。

「ルークは凛々の明星の一員なんです?もしそれなら明日からもいっぱいお話出来るんですけど」
「いや、俺は違うよ。まだここにきて短いし、そういうのは考えたことはなかったな」
「そうなんですか。残念です、もっと色々お伺いしたかったんですけど」
「まあ、ルークにはルークの事情もあんだろ」
「そうですね。本当に今日は来て頂いてありがとうございました」

エステルにお礼を言われるたび、ルークは困ったように笑いながらどう対応していいのか分からないと目を彷徨わせている。俺と目が合うと照れたように口をゆがめて軽く頬を指で掻きながらドアの方へと視線を流した。やれやれと思いながらもルークへ笑顔を向けてやれば、安心したように顔の強張りが取れるのを見て、少しだけ嬉しいと思ってしまう自分にまるで保護者のようだと呆れてしまった。

「じゃあ、そろそろ行くわ。また明日な」
「今日はありがとな。色々話せて楽しかったぜ」
「こちらこそです!また明日、宜しくお願いしますね」

上品に手を振るエステルに見送られながらドアをくぐれば、待ちくたびれたとでも言いたげにラピードがこちらを見上げていた。悪かったなと苦笑しながら言ってやれば、一度鼻を鳴らして俺の隣へと歩いてくるのだからこいつの包容力も計り知れないと苦笑が漏れた。
ともあれ、奇しくも出発が明日と決まってしまったのだから、適当に準備をしなければならない。部屋を出てからどことなく浮かない表情のルークを気にかけつつも少し早足で下町へと向かった。






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