No Innocence
□9題
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―カランッ
乾いた音が響く。
音の原因を探ろうと目を動かせば、発生源は地面に転がるラケットだった。
手の方へ視線を遣れば、握っていたはずのラケットが無かった。
そこで、やっと自覚したのだ。
僕がラケットを落としたという事に。
「桔梗っ!」
少し焦ったような声音で寄ってくる雅。
僕自身も正直なんでそうなったかがよく分からない。
「……ちゃんと握ったつもりじゃったが」
そう呟いてみれば、雅の目が少し見開かれた。
現状は、僕が想像していたよりもずっと深刻だ。
それから十数分ラケットと格闘し、なんとか握れるようにはなった。
この状態からテニスをする事を想像すると正直気が滅入る。だが、そんな甘ったれた事など言ってられない。
僕は早くテニスがしたいんだよ。
「雅、やろ」
「……おう」
短い言葉の応酬で、ラリーを始めた。
勿論最初は上手く行く筈など無くて。
ボールがこちらへ来るたびに脳内であの映像がなんども再生された。
赤、只管に赤い沢山の物。
それの所為で赤くなどない己のラケットやテニスボール、さらには自分の腕までもが赤に染まって見える。
何回もラケットを落とたり、奇跡的にボールを打ち返せたとしてもネットだったり。
だが、徐々にだが進歩は出てきた。
勿論テニス経験者から見たらまだまだなのだけれど、数十分前の僕からしたら其れは奇跡ともいえる位の進歩だ。
ある程度体が温まってきたところで、本題に入る事にした。
「雅、そろそろやろうと思うんじゃが」
「イリュージョン、か?」
「うん。一番近いんじゃから雅でいくつもりじゃ」
「ほぉ……まさかこんな所で自分と戦えるんとはのう」
「ま、やってみんと分からんがの」
数ヶ月振りの感覚を思い出す。
そっと目を瞑り、イメージするのは勿論雅だ。
ゆっくりと瞼を開けば、それはもう僕なんかではない。
「「行くぜよ」」
同じ声が2つ、テニスコートに響いた。