No Innocence
□11題
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音楽室を後にし、下駄箱へと向かう途中に思い出した。
今日は病院へ行く予定だったのだ。
予約を入れてある時間は少し遅めにしてあるので問題はないが、何分あるのが神奈川だ。行くのに時間がかかってしまう。
何故素直に帰らなかったのかと過去の自分を少し恨めしく思いながら、病院へと足を進めた。
夕方の帰宅ラッシュの時刻よりも少し早く電車に乗る事が出来、目的地である病院へと着いたのは日が傾き始めた頃。
僕がお世話になっている病院はかなり大きな所で、東京に住んでいるのにも関わらず此方へ足を運ぶのには僕自身の体の特殊性にある。
それゆえ、近隣に僕の事を診てくれる病院が此処しかないというのが厄介なところだ。
だが、此処しかないからこそ先生とはかなり仲良くなっている。お互いにメル友の関係にある程度にはだが。
受付で名前を呼ばれ、少し離れた先生のもとへと足を進める。
大きな病院であるが故、人もそれなりに多い。
「……仁王?」
「っ、え」
微かに聞こえた僕の名を呼ぶ声。
咄嗟に振り向こうとするのを止め、あくまで平常を装ってつかつかと歩いていく。
もしかしたら雅と見間違いをしているのかもしれない。なんと言っても此処は神奈川だ、会う可能性がゼロであるとは言えない。
そのままの足で僕は先生の元へと向かうと、すぐにその扉を閉めて中に入った。
「やあ桔梗ちゃん、久しぶりだね」
「先生、1か月前に会いました」
「いやあ、また綺麗になっちゃって。もう先生の所に嫁に来ちゃう?俺大歓迎だよ」
「貴方結婚してますよ、それに手出したら犯罪ですよ。医者が未成年者に手出したとか洒落になりませんから」
「あはは、やだなー桔梗ちゃん、冗談だよ」
「分かってるよ……」
「そうそう、今日はどうした?」
途端に医者の顔になる先生。
この人、顔だけは本当にイケメンだからいけない。
話している事はかなりちゃらんぽらんだが、医者としては結構有名な人だ。勿論、良い意味で。
「薬がもうそろそろ切れちゃうから、貰いに。あと傷の状況とか見てもらおうかなーって」
「そっか。じゃ、傷見せて」
この時期には少し暑苦しく感じる長袖をまくりあげると、先生は少し驚いた顔をした。
「やっぱ桔梗ちゃん治り早いねぇ……いつ見ても吃驚するよ。うん、このままいけばすぐに傷は無くなるね。それに桔梗ちゃん、傷痕残らないから……綺麗なままだしね」
「傷痕残んないのはほんと助かるよ先生……足とか腕とか治ったら普通に出せるようになるし」
「でもちゃんと日焼け止め塗ってよ?」
「分かってるって!もう何年この体で生活してると思ってんの」
「ごめんごめん!そうそう、最近は大丈夫?」
具体的に何なのか、を聞いてこないのはやはりこの人なりの優しさなのだろうか。
先生も事情は把握済みで、こっちに戻ってきたときには真っ先に先生に会い、物凄く驚かれたものだ。
数年ぶりに会ったと思ったら体は傷だらけ、当然メンタルもやられていたのだから。
「大丈夫!そりゃもう健康かな。この前にも雅に会えた、し………」
「どうした?」
徐々に声が小さくなっていった僕に、酷く心配そうな顔を向けてくる先生。
「先生、紙とペンあります?」
「あるけど……いきなりどうした?」
心配しながらも渡してくれた先生に、手早く紙にペンで文字を書いていく。
『外で誰かが話聞いてる』
文字を見た瞬間に、驚いたように目を見開く。
少し小声になって、それって不味い人?と聞いてくる先生に多分平気だと…と告げる。
思い当たるのは先程名前を呼んだ人物。
きっと雅の知り合いなのだろう誰かにわざと聞こえるような声の大きさで話す。
「そうだ先生、盗み聞きって中々酷いことですよね」
「ん?あぁそうだね。そりゃもうプライバシーん侵害といえるようなものだと思うけど」
僕の言葉を聞いてすぐにニヤリとあくどい顔をしたこの人は中々良い性格をしていると思う。
「ですよね。偶に僕もやっちうから人の事言えないけど」
「え、何桔梗ちゃんやっちゃうんだ………ま、俺もよくやっちゃうけどね!」
「えっ、先生………あはは、流石だわー本当に!
でも理由はどうであれやっぱり宜しくない事なんだよなー」
「うんうん、やっぱそう思うよねー」
態とらしいそんな会話をしたら、扉の向こうの気配は少し焦ったように走り去っていった。
一体誰だったのだろうか。そんな好奇心が少し胸を過る。
「あ、もう平気だよ先生」
「ほんと?よかったー。にしても良く気付いたねー桔梗ちゃん。俺全然気が付かなかったわ」
「まー向こうも結構気配消そうと頑張ってたみたいだしねー」
「そっかぁ……桔梗ちゃんさ、いっつも敬語とタメ口ごちゃごちゃで話すよね」
「あー……いまいちどっちで話せばいいか分かんないからこんな感じになっちゃってる」
「俺と桔梗ちゃんの仲なんだから別にタメでいいよ?そっちの方が楽っしょ」
「なんだー、いいんだ。そっかー…」
少し頬を緩めながら言うと、先生はにっこりと微笑んだ。
「あ、桔梗ちゃん!俺パパになるんだ!」
「ええええええ、それ本当なの!?そっかー……良かったじゃん先生!美人な奥さんは相変わらず?」
「そりゃもうねー、ほんと可愛いよー」
「あ、惚気るのはなしね?もう何回聞いたと思ってんの、こっち…」
「あれ、そんなに喋ってた?でもほんと可愛いよー」
「はいはい、分かったから……先生この後の患者さんはいないの?こんな喋ってて平気なの?」
「桔梗ちゃん来るって分かってたから空けといたんだ」
「それでいいの……」
「そりゃ、桔梗ちゃんのこと大事だもの。此処の病院だってその事に関しては結構容認してくれてるんだよ」
「そーだったんだ……そりゃ、特殊な事例だしねえ、僕自身」
「別に桔梗ちゃんが気落ちする必要はないんだよ、だってさ、桔梗ちゃんには魅力が沢山あるんだしさー」
「ちょ、え、先生何それ口説いてんの……」
「え、今のは言葉の文というか……」
「あはは、先生っ本気で返してる」
「いやー、今のは確かに俺が変な事言ったねー。あ、そうそう。薬はいつも通りでいいよね?」
「うん、大丈夫だよ!」
「わかった、じゃあ処方箋出しとくからいつも通り受付でね。…って、大分話しこんでたね。外もちょっと暗いし。大丈夫?なんだったら車出すけど」
「いやいや、流石に其れは大丈夫だよ。先生も奥さんと赤ちゃんが待ってるんだから早く帰ってあげなよ。駅なら近いから問題ないしね」
「うん……なんかごめんね、桔梗ちゃん。それじゃ、また1カ月後にね」
「はーい、ありがとーございました」
いつもよりも暗くなってしまった空を確認して、診察室を後にした。
受付で無事薬を受け取り、そのまま僕は帰路についた。