■ 彼の旅-another story-
□海の中で、X
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【海の中で、X】
深く、暗い淵の中にそれはいた。
ワカメのようにゆらゆら揺らめき、そして沈んでいく。
その脇で、泣きそうな少年の声が聞こえた。
「どうして、お父さんはボクを殴るんだろう。ボクは何も悪くないのに」
「あんたのお父さんが悪い。あんたは何も悪くないわよ」
少年の言葉に高飛車な声が反論した。
少年は涙を浮かべ小さく頷き、暫くしてから涙を零した。
目の前に広がる池に小さな石を投げ、その石を池が飲み込んでいく。
ぽちゃん、と音が鳴り、やがて波紋が広がっていった。
「行かなくちゃ。お母さんが心配するから」
「あんたのお母さんは何もやっちゃくれないわよ」
「でも、好きだから」
苦しそうに顔を歪めて、少年は立ち上がり、ズボンに付いた埃を払う。
暫く静寂が二人を包み、その上を星が流れていった。
「行きたくないな」
「行かなければいいのよ」
「でも怒られる。また、いつでもボクは殴られるだけ」
「分かっているならここを出ればいいんじゃないのかしら?」
「出る?」
女の言葉に少年は疑問符を返した。
そのまま女は続ける。
「そうよ。旅に出るの。世界は広いのよ。汚くて、美しい世界」
「どっちなの?」
「汚い時もあれば、美しい時もあるの」
「へぇ……いいなぁ……ボクも行きたい」
「じゃあ行きましょ。乗って、××××」
「うん!」
女の諭すような声に少年は笑って頷き、その上に飛び乗った。
エンジン音が静寂を振り払い、残響を破壊していく。
少年の頬を伝う涙は、もうなかった。