大奥への扉

□大奥 〜追憶の約束 編 A 〜
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大奥  〜追憶の約束 編 A〜



ふと、少年の足下に何かが落ちているのに気付いてそれに手を伸ばす。
それは゛櫛”であり、大方先程の女児が転んだ拍子に落とした物であると少年は考えた。

「・・・・おや?若様それは・・・・?」

少年が櫛を手にしているのに気付いた男はその手にある櫛を見ると驚いたような顔をする。

「これは蒔絵の櫛ではないですか・・・??こんな立派な物どうなさったのですか??」

男は驚きのあまり少年から櫛を取ると裏、表を確認しながらいい代物だと上機嫌で櫛を眺め見る。

「拾っただけだ。そんなに高価な物なのか?」

少年にとってはその櫛の価値など分からない為どうでもいい事であったが、先程の女児が
何故そのような高価な物を持っていたのか不信感を抱く。

(やはりどこかの武士の娘から盗んで来たのであろうか・・・)

「ええ、これは芸術品ですよ、若様。私の妹の嫁入り道具にどうしても贈りたいと思っていた代物ですよ。いや、やはり江戸に来るとこのような代物は金を出せば簡単に手に入るのでしょうね。」

男は上機嫌だったが、少年は男の手から櫛を奪い返すと睨みつけた。

「これは持ち主に返す。欲しいならお前の懐から出すんだな。」

良い拾い物をした事に浮かれていた男であったが、少年の当然のような態度に男は勿論ですといいながら内心残念がる。



そこへ先程の店の店主が顔出し、男をみつけると花のような笑顔に変わる。

「おや、これはこれは鷹司家の使いの旦那ではないですか!!いや〜奇遇にございますな!廻船問屋から珍しい南蛮の調度品が入りまして是非お見せしたかったところです!!」

そう機嫌よくごまをすりながら店主は男に頭を下げる。

「いやいや、今回は御館様と若様の遣いで江戸に来ただけなんです。」

「ああ、そうでしたか。して、此度は江戸にどれ程いらっしゃるのですか?」

すると急にキョロキョロと辺りを気にしながら付き人が口を開く。

「ここだけの話ですが・・・・、此度は徳川の姫を是非うちの若様と縁談を組んでいただくよう将軍様に頼みに来たまでなのです。その為に一月か、2月は粘れという命なのでございます。して、旦那、噂の徳川の姫をご存知でいらっしゃいますか?」


ヒソヒソと内輪話に花を咲かせた店の店主と鷹司の使いの男はそのまま自然な流れで
店の中に足を運ぶ。

「徳川の姫様ですか?・・・姫様といいましても・・・ほとんど輿入れしてますしなぁ。
和子様も宮家にいよいよ輿入れされるそうでめでたい限りでございますしね。ああ、
今城におりますのは六女の家光様と七女の忠長様でしたか・・・。徳川も気の毒なものですね。この御時世に姫ばかりの誕生では世継ぎ争いも火を噴くばかりですなぁ。」

ため息まじりで店主は腕組をしながら首をふる。
肝心の聞きたいところが答えになっていない使いの男は身を乗り出して又問いただす。

「して、その、六女の家光様はどのような姫君なのですか?」

「ええ?まさか、旦那、あの、家光様を鷹司家に嫁がせるおつもりですか?」

店主のあまりの驚きように男も一気に不安がよぎる。

「そ、それはどういう意味なのだ?もしやあまり・・・・・その
美しくはないとかそういう事ですか?」

横で馬鹿馬鹿しく聞いていた少年もその事実だけは気になり顔を店主に向ける。
使いの男と少年に問い詰められるように見られて店主もたじろく。

「いや・・・姿見の事ではなく、噂によれば・・・相当な”じゃじゃ馬姫”だと聞いておりますので・・。奉行に携わっている知人がその・・・暴れているのを見たとの声も聞きましたのでねぇ・・。」

それを聞いて何故だか少年は自分の嫁となる予定のその姫に興味が沸きだす。


(徳川の姫と言うから、どんな高飛車な女かと思っていたが・・・・
面白いかもしれないな・・・)

その後も容姿や性格や色々としつこく男は店主に尋ねていたが、少年はそれ以上の
探索など興味が沸かなかった為、店の外に一人で出ふいに空を仰いだ。


そして懐から先程拾った櫛を取り出す。
言われてみれば見事な飾絵が描かれている。艶もありとても使い古した様子でもなく
それは大事に使用されていただろうという感じが詠みとられた。

「このような高価な物を他人から盗むとはあの女、只者じゃないかもしれんな・・。」

いくらそこらの商人の子供とはいえ、このような大層な物を盗もうなど
相当な高貴な屋敷に入り込まなければ無理なのではと悟る。
しかし落し物だとしても、この時代にこのような高価な物を手に入れる家柄でなければ
手に出来ないことからきっと城に出入りしている子供だろうと推測した。

「まぁ、どうせ明日城に行くんだから調度いい。」

少年はまた自分の懐に櫛をなおすと憂鬱だった城への御目見えも何故だかワクワクした
物へと変わっていくのであった。




一方江戸城。

泥だらけになったまま家光は門構えの前で立尽くす。
なぜならば懐になおしていたはずの通行証をどこかで落とし、門番にこれより先は
通行証がなければ曲者とみなすと言われ締め出されていたのであった。

「おのれ・・・・。それもこれもあの時の糞餓鬼のせいじゃ。あの転んだ拍子に
どうせ落としたのじゃ。」

家光は悔しさのあまり涙目になる。
今の姿はどこから見てもただの商人の子供也。
髪に唯一つけていたはずの櫛も無くし、ここを通れる通行証もなく自分がどんなに
家光だと名乗っても顔を見た事もない門番には通用するはずもなかった。

「おい!!いい加減にそこを通せ!!このままだとお前の命の保証はないぞ!!
今に父上や母上が駆けつけるぞ!!」

「しつこい餓鬼だなぁ・・。どこの子供か知らんが俺達は急がしいんだ!!
家へ帰れ!!お前のような小娘が徳川の姫だと?笑わせるな。」

「おい、相手にするな、また怒られちまう。」

門番達はしつこく言う家光を払いのけると、また自分達の持ち場に戻って行ってしまった。
そうこうしているうちに日も沈みかけ辺りが暗くなりはじめる空に家光は不安と焦りが騒ぎ出す。

「・・・・あの櫛を亡くしたと母上に知れれば罰は免れぬな・・・。」

姫である徳川には装飾品など数え切れないほどあったが、あの櫛だけは母から貰った
大事な櫛であった。

「・・・・自業自得じゃ・・・・。城を黙って抜け出すから・・・」

悔しさと不安と自分への怒りが入り混じって家光の瞳からボタボタと大粒の涙が零れる。
空は次第に赤く染まり、夕暮れになり太陽もついに沈んでしまった。

「・・・・・うっ。・・・・・ひっ・・・。」

辺りには門の隅でうずくまってすすり泣く家光の声だけが響いていた。
通りすがりの商人も、奉行を終えた役人も誰も振り向こうともしなかった。

そこへ小さな足音が聞こえてくる。
その足音は次第に近づき、ついに門の前までくると辺りが騒がしくなる。

「いけません、そのような・・・!!」
「ここから外へ出る事は禁止されております!!どうかお戻り下さい!!」

「黙れ!!そこをのけ!!」

数名の怒鳴り声が聞こえ、家光は何事かと顔をあげる。
そして、閉まったはずの門が一気に開く音が響き渡った。

その門から飛び出すように出てきた人物に家光は目を見開く。
その人物は辺りを見渡し、門の隅でうずくまる家光を見つけると驚いて声を上げた。

「家光!!」

息を切らしながら出てきたのは家光より少し年上だろうと見える青年であった。
家光はその姿に自然と涙が溢れ、ゆっくりと立ち上がる。


「あ、兄上・・・・・」

家光が立ち上がり駆け寄るよりも早くその身体を青年が抱きしめた。
家光が兄と言ったこの男こそこの徳川家の側室の唯一の男児であり嫡子である日向であった。

「お前なんでこんな格好で・・・・・。父上も母上もどれだけ心配したと思うておる!!」


「ご、ごめんなさい・・・・。」

家光はそれ以上の言葉は言えずに日向の胸の中で泣き続けた。
その後兄の建前もあってか、その日は何事もなく城内へと戻ったのであった。

そして翌日。
家光は日向に昨日の事をきちんと謝ろうと思い、西の丸までやって来ていた。

「兄上はご滞在か?」

家光は日向の好きな菓子を手にお側役に問いただねる。
突然の家光の訪問にお側役も驚き何かに動揺している様子である事に気付く。

「どうしたのじゃ?兄上はおらんのか?」

中々部屋へ通そうとしないお側役に家光は眉根をよせて不機嫌さを表す。

「どうしたのだ?姫様がわざわざ日向様にお会いに出向いていると申しているのだ。そこを開けぬか」

ついには家光付の女中が前へ出て、お側役を睨みつける。

「は、はぁ、し、しかしながら・・。誰も通すなとの仰せで・・・」

その言葉に家光は益々疑問が生じる。
うっすらと隙間から見えた先に奥医師の緒形の姿が家光の視界に入る。
途端に手に持つ風呂敷に力が込められる。

「まさか・・・容態が優れぬのか・・・?」

その言葉を発した瞬間にお側役もそれ以上は口を開く事も出来ずにおろおろと動揺を隠せないでいる様子に変わる。

「姫様・・・。日向様は体調が優れぬそうですよ?また明日に致しますか?」

呆れたように言う女中に対して家光は俯いた。
微かに風呂敷を持つ手が震えているのに女中がどうしたものかと覗き込む。

「姫様?どうかされたのですか?」

そしてようやく家光は顔をあげると口を開いた。

「兄上に会えぬのは仕方あるまい。では、変わりに緒方を読んでまいれ。」

「え・・・・?」

突然の家光の発言にお側役は驚いて顔を上げる。

「緒形殿をですか?そ、それは・・・・」


慌てたように首を振って無理だとでも言いたいのだろうか、お側役も青ざめる。

しかし、そこへ静かに扉を開く音が耳に入る。
その流れるような静かな仕草に合わせて家光がその先へと視線を移す。


「私がどうか致しましたか・・・・?」

表れたのはたった今名前をだした張本人の緒形であった。
緒形はこの場には似に突くわないほどの笑みで家光を見つめた。

「これは家光様。姫様がこのような場所まで足を運ばれるとは・・・
いかがなさいましたか?」

何事もないように微笑む緒形に家光は動じることなく見つめ返す。

「兄上の容態を聞きたかったのじゃ。」

真っ直ぐな瞳で緒形を見るその目は真に偽りのない光を照らしていた。
そんな家光の眼差しに一瞬、緒形も考え込むがため息と同時に口が開かれる。

「・・・・・どうぞこちらへ・・・。」

緒形は静かに後ろに下がると、部屋に入るよう施した。
まさか部屋へ入れるとは思ってもいなかった家光は一瞬たじろぐが、真実を確かめる為に唇をかみ締めると足を前へ踏み出した。


ゆっくりと家光は足を一歩ずつ前へ出して歩いた。
部屋と部屋の距離は大した距離ではなかったのだが、今の家光には長い道のりに感じられた。
そして家光の視界に布団に寝込む日向の顔が映し出される


呼吸は荒く、熱でうなされているのか息苦しそうな様子であった。
そして背後に緒形が立ち、家光の肩に手を置く。

「昨日・・・・体調が優れぬのを承知でこの西の丸から抜け出したのです・・・。
日向様は幼き頃より持病を患っておられるので、急激に走ったりなど出来ぬお身体なのです。それも十分ご自身で承知で昨日、この江戸城内を我々が止めるのも聞かずに走り回っていたのでございます。」

ドクンドクンと家光の胸が鼓動を打つ。
風呂敷を持つ手がカタカタと震えだす。
謝る為にここへ来たのに、震えるばかりで何も声に出せない。

「・・・・・私のせいじゃ・・・」

ようやく言葉にしたのは謝りでもなく、自分に対して真実を告げる言葉だった。

ドサリ

足下に日向の為に持って来た菓子が落とされる。
その拍子で中に入っていた小さい砂糖菓子が床に散らばった。

「姫様・・・・・」

緒形はこの事実を伝えるべきか迷っていたが、家光にはそれを知る権利が
あるのだと悟った。

「昨夜、姫様を二の丸に送り届けた後に発作が起きましてね・・・・。
それから高熱にうなされ、薬も利かぬ状態でございます。病弱なお身体で姫様を探す
為にずっと走り続けたのでございます。日向様は・・・・腹違いとはいえ本当に妹思いのお優しいお方ですよ・・・」

途端に家光の目からは涙が零れる。
その様子を微笑みながら緒形は見つめ、そっと背中をなでる。
家光は罪悪感で胸が張り裂けそうだった。
自分が城を抜け出さなければこんなことにはならなかったのにと後悔なかりが突き刺すように胸を苦しくさせる。

「ご、ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・もう、もう二度と勝手な真似はせぬ。
だから・・だから、兄上を助けてくれ・・・」



泣きじゃくる家光に緒形は背中をなでながら、日向を見つめた。

「大丈夫ですよ。姫様をおいていなくなったりなどしません。あのお方こそ
本当に慈悲深く心お優しいお世継ぎ様です。ですから姫様、どうか日向様のお側で
お声をかけてあげて下さいませ。きっと、次期になおるでしょう。」

緒形は家光を日向の近くまで連れよると、そこへ座らせた。
目の前に移る日向の苦しそうな光景に家光の目から再び涙が溢れ出す。

ゆっくりと家光は手を伸ばし、日向の手を握った。
そして心の底から願った。


(どうか神様・・・兄上をお助け下さい。その為なら私はどんな痛みにも耐えてみせる。
どんな試練にも立ち向かう。だから、兄上を私の元から連れて行かないでくれ・・)


この江戸城に徳川の子孫として生まれ、姉達は次々に幼いながらに嫁いで行き、取り残されたかのように家光は二の丸に佇む日が繰り返されていた。
それを世間では今までの姫と違いお転婆でじゃじゃ馬で、剣術ばかりする家光に対して
実子ではないのではと噂されたほど家光の存在は疎まれていた。

幼い家光には側室の子ながらも男児として生まれ、お世継ぎ様として大事に扱われてきた日向が羨ましかった。

(私も男であればよかった・・・)

いつもそんな事を考えていた。
しかし、当の日向は身体も弱く常に寝込んでいる事が多く跡継ぎとしては相応しく無いだの、徳川の分家達からの声が上がっていたのであった。
そんな批判の声を受ける中、腹違いではあるが家光の事を妹としていつも優しく扱ってくれていた。
家光も日向の存在がまるで自分と同じ立場のような気がして心を許していたのであった。


つづく★

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