大奥への扉

□表と裏  12
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大奥 表と裏  12


永光が立ち去って一段と静かになった空間に緊張感がはりつめる。
日向がゆっくりと振り向き家光を捕らえる。
その視線があまりにも息苦しく感じ家光は咄嗟に目線をそらす。

そんな光景に日向の拳が静かに握られた。

「・・・・・家光・・・・」

何時もとは何処か違う口調で名前を呼ばれ、家光の視線がゆっくりと日向に向けられた。

二人の視線が交わり、静かな静寂に家光に嫌な緊張が走る。


(ああ・・・この空気・・・・昔から嫌いだ・・・・)

この張り詰めたような空気が家光は昔から大嫌いであった。
この、息も出来ないほどの時間の流れと冷ややかな視線が崇源院との時間を
思い起こさせる。

そしてゆっくりと日向の口が開かれる。


「・・・・・お前の事に私が口を出す権利などない。だが・・・・・
お前はあやつの事を軽く見すぎている。あの物が裏でどんな工作をしたのかは知らないが
裏切られるのはお前の方だ家光。」

突然の日向の言葉に家光が驚き目を見開く。
一瞬息を呑んだ家光は日向を睨みつけると口を開いた。

「兄上・・・・。永光はそんな男ではありません。何も知らないのは兄上の方です。
そして・・・・」

一度深呼吸をした家光が鋭い目つきで日向を見ると再び続ける。

「ここは私の納める国でございます。例え兄上とて口出しはさせません。
私が幼き頃からどんな思いでここにいるかお分かりでしょう。私はいつまでも子供では
ございません。これ以上私の政に口を出すおつもりでしたら話は以上です。
お引取り下さい。」

これ以上何かを言ったところで言い訳など通用しないと悟った家光はただ、拳を強く
握った。

家光は今まで兄の日向に対してこのような反発をした言葉など口にした事もなかった。
それだけ家光は義の兄である日向を心から慕っていた。
そして幼き頃より幾度となくこの地位に上がるまで助けて貰った事に返せないほどの
恩があったからである。

日向は家光の言葉に驚いてはいたものの、小さく微笑むとそれ以上口を開く事もなく、
ゆっくりと家光の床の間まで来ると静かに腰を降ろした。

「お前が私に対して自分の意見を言うのは久しぶりだな・・・。いつからか・・・
私に向けての作り笑いも・・・話し方も・・・まるで他人行儀な姿になった事に責任を
感じていた・・・。」

「・・!?」

意外にも口に出した言葉が予想外の事で家光が驚く。

「・・・・・身体はもう大事無いのか・・・?」



労わるように日向は優しく家光に視線を送る。

「・・・・・はい・・・」

その返答に日向はどこか安心したような、しかし苦しそうな表情をする。
そして家光は、日向の首筋に一筋の汗が流れている事に気付いた。

「兄上・・・・急いで・・・来られたのですか・・?」

途端に家光の鼓動が嫌な音を立て始める。
忘れていた記憶が思い起こされるように拳が震える。

(昔から兄上は私の為に自分の身体など後回しにして優先するお方だった・・)

しかし、日向は家光の質問には答えず静かに微笑んだだけであった。

「私の心配などする暇があるならば自分の身体を療養しろ。お前は・・・
どうして何時もこうも問題を起こすのだ・・・・」

ため息混じりで日向が口を開き、家光を布団に寝かせるためにゆっくりと肩に触れた。

「・・・・兄上は・・・永光がお嫌いですか・・・?」

「・・・・!!!!」

もう永光について話をするつもりなどなかったが、突然の家光の言葉に日向が目を見開き家光を見つめる。

「・・・家光・・・。お前は何も知らないからそう、永光を庇えるのだ。あやつは・・・
裏切り者だ・・・。側室にあがれば、その権力を利用しこの幕府を思い通りに操るに決まっている。朝廷側とも裏でつながっているとお前も薄々気付いているだろう?
そんな男を側室などにすればあの男の思う壺ではないか。」


「・・・・・」

家光が口を閉ざし静かに聴いているのを確認すると、再び日向が口を開いた。

「私はお前の政に口を出すつもりはない。この江戸も幕府もお前の天下だ。お前が将軍となった日から私には口を出す権利などないのだ。だが・・・・
お前の幸せを誰より願うのは私だ・・・・。お前が苦しむ姿も、傷つく姿も、もう見たくはない・・・」

「兄上・・・・・」

そして日向の手が家光を引き寄せ抱きしめられる。
途端に昔、こうしてこの暖かい腕に何度慰められたかという記憶が蘇る。

「私がもっと立派な武将であれば良かった・・・。そうすれば・・・・お前をこんな目に
あわす事などなかった・・。こんな息苦しい場所に閉じ込める事もなかったのだ・・・。
私は自分が憎い・・・。私が病弱でなければ・・・あのまま世継ぎとして徳川の跡取りとなっていれたのだ・・・・」

抱きしめる手が震えているのに家光が気付く。
家光は胸が締め付けられるように苦しくなるのを感じる。
家光にとっては、日向がこうして長年病弱な身体のせいで家光を身代わりにしてしまったのだと苦しんでいるのを知っていた。

「兄上・・・・。私はもう、後悔などしてはおりません。幼き頃は少しは母や父を怨みましたが・・・ですが、今ここにいるのは
私の意志でございます。民が私を必要としている限り、私はこの国の民の為に生きると決めたのです。」


そういって家光は日向の胸に顔を埋めた。
少し早い日向の鼓動がトクトクと聞こえてくる。それが生きている証拠なのだと思うと
何故か暖かい気持ちになる。

「もう・・・・兄上もご自分の為に生きて下さい。これからは守るべき物の為に生きて下さい。兄上には帰る場所ができたはずでしょう・・・?」

家光はそう言って両手で日向の胸を押し返すとゆっくりと離れた。
日向を見上げればその両目から涙が流れていた。

「私は・・・・母上の命通り、鷹司と祝言をあげるつもりです。
そして・・・永光を側室に迎えます。これはもう決めた事にございます。
兄上がどう捉えようとも、裏切り者であろうが、私が判断し認めた者です。ですからどうか・・・・」

その続きの言葉が声が震えて声が出ない。
思い起こせば、幼き頃に何度こうして日向に助けてもらったのか数え切れない程である。
家光が姫らしく出来ないのも、周りから煩く言われようとも、日向だけは家光を信じてくれていた。
そうして命の危険を顧みずに家光を助けようと動いてくれた数々。

「どうか、これから流す涙も苦労も全て愛するお方のためだけに惜しんでください。」

家光は涙が出そうになるのをぐっとこらえ微笑んで見せた。
だが日向はそれは出来ないとでもいいたげに首を振る。

だがそれ以上日向は口を開かなかった。
それ以上家光にかける言葉も思いつかず、ただひたすら俯き涙を流した。
真実を口に出す事も出来ず、かと言ってここから連れ出すことも出来ない自分自身を
日向は憎んだ。


(その地位を変わる事ができたならば・・・・・いや、むしろ、お前の横に並ぶのが
他でもなく、私であればよかった・・・・)

それは決して口に出せない、口に出してはいけない言葉であった。
日向の思いはどうする事も出来ないものであった。

先程の家光の言葉が胸に何度となく突き刺さる。
これ以上の線は越える事もできない現実と、こうして会うこともこれで最後だと
言わんばかりの言葉に涙が止まらなくなる。





「・・・・上様・・・・緒形殿が参られました・・・」

障子の向こうから女中が静かに声をあげた。
突然の来客に驚いたもの、一瞬家光は考え込む。

それはこの出来事が起こる前に緒形に向かって「城から出て行け」という
ような態度をとってしまった事を思い出したからであった。
だが、こうしてまた命を助けられたのだと思うと会わす顔さえないと羞恥心まで
込み上げてくる。


「・・・ああ、通してよい・・・」


家光の言葉に我に返った日向も慌てて涙を拭き去り、何時もの表情に戻る。

「失礼致します・・・・・」

ゆっくりと障子が開かれ、緒形が姿をみせる。
頭を下げていた緒形が表をあげた際に日向の姿があった事に驚く。

日向もばつが悪そうに苦い顔をする。
緒形はそのまま静かに家光のもとまでやってくると離れた場所に腰をおろす。
チラリと日向に視線をむけるも、日向は視線をあわそうともしなかった。

「・・・・・上様お加減はいかがですか?傷はそれ程深くはございませんでしたが念のために確認させて貰ってもよろしいでしょうか?」

「・・・・・特に痛みはもうないが・・・お前も引き下がらぬであろうから仕方あるまい・・・・。」

緒形は家光の変わらぬ態度に安心したのか、微笑み、医療道具を手に家光の側まで来ると診療をはじめようと手を伸ばしたが、何かを思い出したように日向を振り返る。

「日向様・・・・、上様の診療を致しますので席を外していただいても宜しいですか?
なにせ・・・・・傷は腹部なもので・・・・」

「!!!!」

言われた意味が分かった日向は顔を赤くして立ち上がり、部屋から出て行こうと後ろを向いたものの、ふと疑問が生じる。


腹部を診療するということは勿論、そこの傷の様子を確認するのであって、勿論衣服を脱ぐわけで、自分さえも見た事もないその身体を緒形は何時も診ているということである。

「お、緒形・・貴様・・・・!!」


振り返った先に日向の視界に飛び込んできたのはそれこそ、しゅるりと腰紐がとかれ、家光が自分で夜着を脱ごうとしている光景であった。

「!!!!!!」

その夜着の下から見える白い肌に思わず日向の胸がどくんと鼓動を打ち始める。
あまりの息苦しさに日向は倒れこむようにしてその場に崩れ落ちた。

「あ、兄上!?」

「日向様!?」

緒形も急いで日向の元へ駆けつけ手をかし、なんとか発作は収まった。
しかし、診療途中のままである家光の夜着の崩れた姿が視界に入りまともに呼吸が続かない。

「上様、一旦日向様を別室で休ませますのでお待ちいただけますか?」

「ああ、私なら大丈夫だ。暫く兄上を診てやってくれ。」

そうして慌しく日向と緒形は部屋を出て行ったのであった。

再び静まり返った部屋に家光は日向の先程の言葉を思い出し、小さく笑う。

「兄上は昔からお人よしなお方だ・・・・」

誰にも聞こえない声で家光は小さく呟いた。


家光は今頃になってズキリと腹部の傷が痛むのに気付いた。

「・・・・・っ・・・」

しかし、この痛みも全ては自分のした事による罰なのだと思った。

(なにもかも・・・・本当は違う・・・・・・)

腹部を押さえながら家光は布団に潜り込んだ。
嫌な記憶が次々に蘇ってくる。

炊事場の影から震えながら見ている自分。
目の前で苦しみながら倒れ行く女性の姿。
そして泣きじゃくる日向の姿・・。

(この地位が本当は全てあの方の策略だと知ったら兄上は軽蔑するだろう・・・)

兄上が憎むべき相手は本当は私なのだ・・・

まるで犠牲になったかのように平気だと口を開いて平然と話した自分自身に吐き気さえ覚える。

(何も出来なかったとはいえ・・・よくもそんな言葉が口から出たものだ・・・)

家光は自分に嫌悪感を抱く。

私が立つこの地位にはどれ程の血が流れたのだろうか?
強くならなければと・・・・
生きる為に強くならなければとどれ程の者を排除してきただろうか?


家光は目を閉じる。
腹部はズキズキと痛むばかりである。

何が正しくて、何が間違っているのかも分からなくなる。
ただ、言えるのは自分が作る道に全ての希望が託されているという事だ。


だから自分が嘆く暇など、そんな資格さえもない。
この陰謀に巻き込まれるのは自分の代だけで十分だと思った。

そして春日局の言葉がふと脳裏に蘇る。

”天下を取ると言う事は、何かを犠牲にすると言うことです。
太平の世が訪れてもなお、この幕府を狙う者は五万といるのです。あなたは
この世に生を授かった時からこの徳川の波動の歯車の一部なのです。”


その”犠牲”をどれほど作り上げてきたのかと思うと自分自身に虫唾が走る。

それと同時に永光の言葉も思い出される。

どんな家光でも、生涯共にしたいと言ったのだ。
思い出すだけで笑いが込み上げてくる。

裏切り者?
果たしてそれはどちらが?
いいように利用しているのはこちらかもしれないというのに。


そうして家光は痛みの中再び眠りについた。


つづく★
 

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