狂犬
□狂犬
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カッチン鋼で出来た仕上げ鋏を消毒して、ボクは明日の予約を確認した。
ムラっ気はあるけど成績は良くって。だから、大学に進学しても良かったんだけど。
ボクは結局、美容師を選択したんだ。
実際古代ローマとかね、研究したら楽しそうだったけど。でも、もうあの家の、負担にも何もなりたくなかった。
美容室で見習いをしながら、通信教育を得て国家試験。しかし試験よりも何より、柔い鋏に泣かされた。
小さい頃から、サイヤ人独特の強い髪質に泣かされたボク。ダサいのは嫌いだし、カッコイイ髪型だってしたい。でも悉く髪質でアウトだった。だから自分で色々と、スタイリング剤とか試しているうち、こういうの面白いなぁと思うようになった。美容師を意識したのは、まぁそんなとこ。適職だったと思ってる。
カッチン鋼の仕事道具は、デンデに無理を言って頼んでもらった。地球では硬くて加工できないので、その代金として、カッチン鋼を産出する星で、1ヶ月の肉体労働をした。岩やら土やら何でも堅いその星で、優秀な 土木作業員をしたんだよね。体を動かすのは苦じゃないから、思い切り気功波とか繰り出して、サッパリ更地にしたりとか。
1ヶ月後に鋏一式にコーム、オマケの剃刀まで手に入れた時は、そのズッシリした手応えに、ニヤニヤ笑いが止まらなかった。
ピッコロさんが、ダークドラゴンボールの責任を取る形で亡くなり、父のせいで地獄に行ってから。ボクはグレにグレた。恥ずかしいくらい泣き叫んで、地獄に行くために自殺を考えたりした。
ボクの小さい頃に生き返ってきた父には、実はずっと違和感しかなかったんだけれど…。その時は、父さえも酷く憎んだ。
父代わりの兄と母と祖父の、幼い頃の安定した世界に、突然乱入してきた父親。その父に馴染めないボクをそのままに、修行だとか何かで家に居ない事も多かった父。家庭を掻き回すだけ掻き回して、後始末はいつも兄か母。帳尻が合えばいいみたいな、いい加減なその性格に、ボクはついて行けなかった。
強さって何?
それって何もかもを犠牲にしても、得たいものなの!?
父のボクには理解出来ない正義に振り回されて、死んでもドラゴンボールがあるから大丈夫って。そんなに命って軽い物なの!?
(ああ死んだね)
(また生き返るからいいね)
なんて、ボクは薄っぺらな感情しか持てなかった。小さい頃から『死』が容易い、やり直しのきく物だったから。
その歪みを、ピッコロさんはいつも悲しんでいた。
後悔はあまりしない人だったけれど、ドラゴンボールの事には苦しんでいたよ。そして、ドラゴンボールの為だけに、同胞と別れさせ、遠い地球の神にさせてしまったデンデの事も。
デンデを独りぼっちにさせない為に、神の後見人にまでなって。
だけどボクは今、ピッコロさんを思うと、しゃがみ込んで胸の痛みを堪える事しか出来ない。
ピッコロさんは最期に、ボクの感情の薄っぺらさを、ちゃんと矯正してくれたんだね。
愛しています。
こんなにも、ピッコロさんに会いたいです。
何度も何度も心で繰り返して呟く。
そしてボクは、諦めたフリをして、仕方なく生きていくんだ。
自分のお客様の予約を店でチェックして、道具の手入れをして、休みは研修したり、美術館行ったり、映画みたり。喋りたいお客様の為に、話題を仕入れたり。幅広く薄っぺらい情報管理に努力するだけ。
ピッコロさんを地獄に行かざるおえない状態にさせた父は、ピッコロさんと同じように、こちらには戻って来なかった。正直良かったと思ったよ。もしも目の前に居て、あの脳天気な言動を見たら殺したいと思うだろうし、又、実行してしまいそうだから。返り討ちにあって死んだら幸せだろうと思ったけど、そしたらピッコロさんが悲しむと思ったりしてさ。
小さい頃から、ボクはピッコロさんに夢中だった。あの腕に抱き上げてもらいたくて、必死に手を伸ばして、一直線にヨチヨチ歩いたよ。大嫌いな稽古も、ピッコロさんが教えてくれるなら我慢できた。
ピッコロさんは、無理に負荷をかけない、人間らしい行動を基にした稽古で、小さなボクに、変に筋肉を付けなかった。
筋肉をガッチリつけて成長を阻害するよりも、しなやかな柔らかい筋肉を付けてくれたんだ。お陰で父や兄やトランス君より背がかなり高くなれたし。使わない筋肉でムキムキともしていない。
この見た目が、幸運を連れてきたけどね。
美容師の国家試験に受かってから、何となくメイクにも興味が湧いて。夜間のメイク学校に一年間通ってみた。個人的には、ファンデーションとか鱗粉みたいで嫌いだし、人工香料は吐き気がするくらい大嫌い。口紅なんてタールの塊だし、毒物としか考えられない。
だけどだよ。
あれって整形に近い物があるんだよね。
目なんて二倍の大きさに出来るし、色の重ね方で、鼻もスッキリ見せられる。
自信のない女の子が、メイク一つで心まで変わるんだよ!
これはやるしかない!と、唐突に思ったんだ。後は通えそうな学校を何件か見て、雇われてる美容室の店長と色々相談して決めた。
ボクにチャンスが巡ってきたのは、メイク学校の卒業間近の頃。
メイク学校は、最後の総仕上げと言える、メイクコンテストを控えていた。
ヘアーから衣装、メイクまでフルに作り上げるコンテストは、今思い出しても楽しかったけどね。
クラスメートはモデル選びに困っていたけど、ボクは友達の中で、とびきりの金髪美少女に頼み込んだりした。
背が高くて、見栄えが良ければ誰でも良かったんだけどさ。
でも、ここが間違いだった。
チヤホヤされるのに慣れすぎた女の子は、それをボクに要求したんだ。友達の時はそうじゃなかったのに、何だかボクがその子を好きなんでしょう?みたいな。変な自惚れの上から目線。タダでモデルしてもらってるからと、彼女の好きそうなプレゼント渡したり、差し入れしていたボク。それに意味は無かったけれど、誤解が誤解を呼び、気がついたら彼女気取りの人が居たんだ。クラスメートは大半が女性で、だからボクが彼女達と、メイク用品の情報交換とかしていると、直ぐにキレるし邪魔をする。特にボクと仲の良い子には、酷い言葉を裏で言っていたらしい。
我慢に我慢を重ねたけれど、まわりへの迷惑もあり…。もう発表は間近だというのに、ボクは彼女に降りてもらい、一からモデルを探さねばならなくなった。
そんな毎日の息抜きにと、カプセルコーポレイションの若社長であるトランクス君が、新型ソーラーエアカーの発表パーティーに、ボクを招待してくれたんだ。
ソーラーエアカーは前からあったけど、普通のエアカーとは馬力がかなり劣って、使いづらくて普及していなかった。それが今回の新しいソーラーエアカーは、雨天時でもエアカーに負けない馬力で走れるのだとか。そういう説明を、マイクを持ち、トランクス君は堂々としていた。相変わらず、トランクス君のまわりには、たくさんの美女が群がってたけど。きっと笑顔の下で、トランクス君がムカついてるのは分かってる。小さい頃から、お金持ちだとか、顔の良さとかで女の子にモテモテだった彼は、その実、かなりの現実主義だから。自分自身を見てくれない奴は、男も女も嫌いなんだよね。
さて、何か食べるかなぁと、ローストビーフが綺麗にのったサラダを取り分けている時。
トランクス君の居る方向から、「キャア」やら「痛い!」とか、「何この子!」なんて声が聞こえてきた。モーゼの十戒のように人が割れて、ただ一本の道がトランクス君に繋がっていた。
「パンちゃんか…すげぇなぁ」
トランクス君大好きっ子のパンちゃんは、周りの美女を蹴散らして一直線だ。パンちゃんが居るのなら、兄と兄嫁も来たのだろう。
ボクは氣を探って、たった今、パーティー会場に入る所、という兄を見つけた。
兄は職場から直接来たのか、地味なスーツに身を包んでいた。
そういえば兄の高校時代、正義の味方とかやっていた時のコスチュームは、幼いボクの美意識が試されるくらい、変だった。
「格好いいだろ、悟天!!」
兄が大好きだったボクに、他に言えたセリフなど無いだろう。
「いいなぁ兄ちゃん!」
どうせ真似たのなら、ピッコロさんの服のままにしておけばいいのに…。
いつも地味な癖して、弾ける時は思い切りだし。その弾け方を見ていると、何かストレス溜まってるんだろうなぁと、昔からボクは思っていた。
兄はボクを見つけると、あの人の良さそうな笑顔で近づいて来たんだ。
「ビーデルさんは?」
「ちょっと体調がね」
「オメデタ?」
「ナイナイ。子供は1人でいいんだ。何食べてる?」
「サラダ盛っただけ」
「僕もそれにしようかな?」
あっと言う間に空になる皿。ボクは久しぶりに見た、サイヤ人特有のその食欲に圧倒された。
「食べないのか、悟天」
「う〜ん…ピッコロさんが居なくなって1年位した頃からかな? あんまり食べなくても大丈夫になったんだよね」
同情されたような、苦笑いのような、切ないような、バカにされたような、そんな笑顔が兄に浮かんだ。
「まだ諦めてないのか?」
諦める!? アハハ、何言ってんだよ。
「この手にピッコロさんを抱きしめるまで、諦めるなんてするかよ!」
「……悟天…」
今度は、兄の顔に、『仕方ないなぁ』というような笑顔が、すり替わり深くなる。
ボクは、この兄の余裕を、ズタズタにし、地に落としてやりたいと思った。
「アルティメ済みが、自分だけだと思うなよ。
ボクは、兄ちゃんに勝てる自信は無いけど、負ける気も無いよ」
普段、マイナスな感情を顔には出さない兄の、密かな自慢だったろう事。
なあ。
自分だけじゃないって知って、どう思った、兄ちゃん?