シンアスのお話

□銀世界
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■ 銀世界 ■





「え、雪を見たことがないんですか?」

 シンは驚いて振り返った。
「違う、雪が積もっているところを見たことがないんだ」
 アスランはベッドに横たわりながら、些細な訂正を加えて答えた。

 シンがアスラン専属の使用人としてこの屋敷へやってきてから、まだ一度も雪は積もっていない。
 森の奥にひっそりとある屋敷だが、この地域は比較的暖かな気候だからか。もしくは、温暖化の影響か。
 なんにせよ、屋敷からほとんど出たことのないアスランが雪景色を見たことがなくとも、仕方のないことだった。

「キレイですよ、銀世界っていうのかな。もうすぐクリスマスだから、ここでも降ったらホワイトクリスマスですね」
 顔を上げて窓の外を見やる。広がる木々を眺めながら、シンが目を細めた。
 アスランはそんなシンの袖を軽く引っ張った。
「シンも、見たいか?」

 シンは再び驚いて振り返ると、問いかけに苦笑いを返した。
「そうですね。……でも、ここじゃあ銀世界は難しいかもしれませんけど」








 シンは屋敷の主、パトリックに呼ばれた。
「どこでもいい。アスランに雪を見せてやってくれ」
「は、……え?」
 あまり屋敷にいることのない主を前に、緊張していた糸が解れる。
 予想外の命に、シンは目を丸めた。
「あれがな、珍しくメールを寄越してきたのだ」
 眉間にシワを寄せたパトリックは、シンの目の前に携帯の画面を向けた。シンが遠慮がちに、その画面を見る。
「この人、私に転送までしてきたのよ。仕事中だというのに」
 パトリックの隣に控えていた夫人レノアが、半分呆れて笑っている。
 どうやらしかめっ面をしていた主は、ただ嬉し泣きを我慢していただけだった。
「えっと……」
 シンが戸惑いながら、画面に記された文面を読んだ。
「幼いころは、身体が弱いためにほとんど外へ出してやれなかった。そのせいか、回復してからも自分から外へ出なくなってしまった」
「すっかりひきこもりになってしまいましたものね」
 シンが読む間に、ザラ夫妻は大切な一人息子を想い、しみじみと呟く。
「だが、お前が来てからはどうだ。庭を散歩もすれば、街へ買い物へも行くようになって」
「そうね……ネットでお金を稼いで一人前みたいになっていたけれど、シンくんと出会ってやっと人並みに成長した気がするわ」
 親としての想いを口々に告げられ、シンは携帯から視線を上げた。
 そこには、アスランから父親への「お願い」が簡潔に書かれていた。
「我儘ひとつ言わないあれが、初めて私にクリスマスプレゼントとしての願いを伝えてきたのだ。"お前と雪を見に行きたい"と」
「おねだりにしては堅い文章でしょう? あの子、甘え方がわからないのよ。だから、シンくんの雇用主である主人に"休暇願い"なんて形でメールしたんだわ」
 二人は次々に言葉を続ける。息子の成長(?)に、喜び溢れているようだ。
 シンはなんと答えていいものか逡巡した。
「あれの記念すべき初旅行だ。家族旅行としてすぐにでも手配しようとしたのだが……」
「駄目よアナタ。私たちが一緒じゃ、シンくんが気を遣って休暇にならないわ。あの子にも釘を刺されたでしょう?」
「う、む……」
 レノアの言いつけに、パトリックが残念そうに唸り渋る。
 レノアはシンへと向き直ると、そっとその手を取って近づいた。
「世間知らずな子だから、たとえ二人でも貴方に世話を焼かせることになって休暇にならないでしょうけど……仕事とは思わず、ただあの子とクリスマスを楽しんできてほしいの」
 お願いできないかしら?
 息子と同じ色の瞳が、シンの赤い瞳を見つめて乞い願う。
「あ……」
 この瞳にねだられるのはとても弱い。
 シンは握られた手の温もりへの羞恥に、困惑した。
 そして幾拍か後、これだけは言っておかなければと口を開いた。

「……オレは、仕事だからってだけで、あの人のそばにいるわけじゃ、ありません……から」
 シンは照れた顔を隠すように俯くと、そのまま頭を下げた。

「休暇、ありがとうございます」
 母親の微笑みと、父親の複雑な溜息が零れた。









「理屈ではわかっていても、本当に空を飛ぶんだな。飛行機は」
 アスランが初フライトで高揚したまま、シンを振り返った。
 白い息が藍色の髪に纏い、ふわりと広がっていく。
「オレには理屈もわかりませんよ。……ほら、風邪引きます」
 シンはそんなアスランを見つめて微笑むと、マフラーをその藍色の髪を包むように巻いた。
「ありがとう。でも、寒いことは覚悟していたが、とても空気が透き通っていて心地の良い冷たさだ。寒くないよ」
 マフラーへと鼻先を埋めながら、アスランは初めての地の空気に目元を綻ばせる。
「だしかにそうですね。……それに、二人っきりの旅行ですから」
 そう言うと、シンはアスランの手を握ってコートのポケットに運んだ。
「……あったかいな」
 アスランも照れくさそうに微笑みながら、ポケットの中で指を交差させて握り返す。

 仕事でも友人でもない、恋人同士の繋ぎ方だった。
「メリークリスマス、シン」
「はい。メリークリスマス、アスランさん」

 誰も二人を知らない北の地では、二人だけの銀世界が広がっていた。






END



ALEXANDRITE EYES   ひののき


 

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