至宝のシンアス
□離れた手
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*離れた手*
春から通うことになった大学について、シンは楽しそうに語っていた。受けてみたい講義のこと。そして、アスランとの出会いのきっかけになった剣道を、続けていくこと。
シンの笑顔を見ていて、アスランは胸が痛んだ。希望に満ちたシンは、可能性のかたまりのようだった。
自分と離れた場所で、シンはたくさんのことを経験する。新たな出会いがある。広がっていくシンの世界の中に、自分の居場所は、あるのだろうか。
離れたら、シンの心も遠くなってしまいそうで、いつか別れを告げられそうで、怖い。
「シン……!」
シンの言葉を、アスランは遮った。
みっともなく、すがりついてしまいたかった。
行かないで。俺だけを見ていて。
勝手な想い。シンを、ここに縛りつけてしまいたい。
こんな醜い感情を抱いていることを、知られたら、きっと、嫌われてしまう。
知られる前に、いっそ。
「いい機会だから、別れよう」
自分から、アスランは別れを告げた。嫌われる前に、まだ、愛されている今、恋人という関係を終わらせようと。
悲痛な声に、シンは棒立ちになった。
シンの服のポケットには、アスランに渡すつもりで持ってきた、合鍵が入っていた。
アスランを好きでいることは、シンにとっては、息をするより自然なことだった。距離なんて関係ないと思えたからこそ、遠方の大学を選べた。
アスランの不安を、別れを望む理由を、シンは察した。アスランは、信じていないのだ。
部屋の空気が、重い。ここは、こんな場所だっただろうか。アスランの匂いのするここは、温かな場所だった。何度も体を重ねてきた。
いつもの笑顔が、アスランからは消えている。
シンは、唇を噛んだ。消したのは、自分。信じさせてあげることができなかった。
どうして信じてくれないんだ!
怒鳴りたくなる自分は、まだ子供だと、シンは思った。アスランを、包み込めるようになりたい。
シンはアスランの手を、握った。
引き寄せて、抱いてしまいたい。めちゃくちゃに犯して、俺の気持ちをわかってと叫びたい。それでは駄目なのに。乱暴しても、きっと、伝わらない。
「離してくれ……」
アスランは、かすれた声で言った。
「シン……離せ……」
伝わる体温が愛しくて、泣きたくなる。
別れを告げたくせに、好きだと言ってしまいたい。
「離せって言ってるだろ……!」
「……わかりました。別れましょう」
すっと、シンは手を離した。背を向けて、出て行く。
シンがいなくなった部屋。アスランは立っていられず、床に崩れ落ちた。
こらえていた涙が、頬を伝い落ちていった。嗚咽が漏れる。
苦しくて、苦しくて、うまく、息ができない。
シン。
離せと言ったのに、離れた手を、心は追っていた。
つないだ手は、離れてしまった。
シンは、もう、そばにいない。
シンは、振り返り、ドアを見つめた。こみあげた嗚咽を呑み込む。これは、本当の別れではない。
アスラン。
離れても、会えなくても好きだと、証明してみせる。信じさせてみせる。だから、今は。
シンは、決意をこめて、足を前へ踏み出した。
つないだ手を、離してしまった。
でも必ず、そばに帰る。
END
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