シンアスのお話

□ひきこもり
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 スクランブルエッグにサラダとカフェオレ。トーストに添えられたバターはとろりと溶け、キツネ色のパンに染み込んでいる。
「あーすらーんさーん、ご飯できましたよー」
 シンはテーブルにセッティングした朝食を満足気に眺めると、エプロンを外して寝室へと向かった。

 シンが階段を上り、顔を覗かせる頃、寝室に続くドアがゆっくりと開く。
「あれ、自分で起きられたんですか。 って、服くらい着てくださいよ」
 寝ぼけたまま出てきたアスランは、シーツを辛うじて纏っているだけの姿でシンへと向かって行く。シンは慌てて寝室へ戻そうと押しやるが、アスランは難がった。
「いいだろ、誰が見るわけでもないんだから」
「そりゃこんな山奥に人なんていませんけど」
 窓から覗く景色からは、生い茂る樹々と家を取り囲む塀しか見えない。誰かの目に留まる心配などまったく必要がなかった。
「でも、オレがムラムラしてくるからダメです」
 面倒くさがるアスランを寝室へと戻し、シンは手早くクローゼットから服を取り出すとそれをアスランに押しつける。アスランは渋々着替え始めた。
「だったらすればいいじゃないか」
 まだ寝ぼけているのか負けず嫌いなのか、憮然と呟く。アスランはここへ越してきて、前以上にだらしなくなっていた。
 そんなアスランへと溜め息を吐き、シンもまた呟き返す。
「朝食冷めるじゃないですか」
「あ、それは嫌だ」
 アスランがぱちっと目を開いた。朝食という言葉に、ずっと漂っていた匂いに気づいたアスランだった。

「今日もおいしそうだな」
 テーブルについたアスランは、用意された朝食を眺めて感嘆の息を零す。さっそくとトーストに手を伸ばしたその顔は、幸せに緩んでいた。
「簡単なものばっかりですけどね」
 サクリと音を立てトーストを齧るアスランに、シンは苦笑いで返す。だが恋人の様子に満更でもないのか、照れたようにサラダを頬張った。

 香ばしい匂いと暖かな陽射しが、家中を包む。
 二人がこの家に越して、1週間が経とうとしていた。
 物自体は少ないものの、二人分あればそれなりにあった引っ越し荷物。それを主にシンが片付け、新しい生活に必要なものを買い揃え、ようやく落ち着いてきたところだった。
「もっとはやくこうしていれば良かったな。こんなに快適だなんて、想像以上だ」
 アスランがしみじみと呟く。
「快適? こんな山奥の辺境地ですよ。買い出しに2時間かかるってのに」
 シンはうなだれて返した。
 新居の周りは見渡す限りの山が連なっている。そのすべてが私有地で、もちろんコンビニもなければ自販機もない。少し離れたところに巨大な屋敷があるものの、後は森が広がるだけの大自然真っ只中だった。
「さすがに山奥過ぎますよ。のんびりできる場所がいいってのはオレも賛成しましたけど、ラクスさんにちゃんと伝えた上でこの場所に決まったんですか?」
 新居の家主はアスランだが、実際にここを手配したのはアスランが仕事を引き受けている先の取締役のその娘ラクス。山々の私有地も離れた場所にある屋敷と見紛うばかりの別荘も、すべての所有者は彼女だった。
「ちゃんと伝えたさ。『仕事ができる環境さえ整っていれば、あとは静かに二人で暮らしていきたいんだが、どこかいい場所はないだろうか』と相談したんだ。完璧だろう?」
 アスランはカフェオレを飲みながらしれっと答える。シンはますますうなだれた。
「そりゃ、山奥のわりに設備は整ってますけど」
「専用回線もあるし、開発環境は申し分ない。『専属でクラインと契約し続けるなら、最高の環境を用意してみせます』と断言されたんだ。さすが有言実行だよ」
「そりゃそっちの環境はいいとしても、塀に囲まれた上に見渡す限り山ばっかですよ!? 幽閉じゃないですか!」
 贅沢に作られた檻。越してきた感想はそれだった。シンには口を出せるだけの資金がなかったため、新居について何も言えなかった。が、今はそれを悔やむばかりだ。
「ラクスのところなら、俺が出張る必要のない仕事ばかりさ。外に出る必要もないよ。言われたものをただ作っていればいいんだから」
 シンの訴えに、アスランは微笑って心配ないと応える。アスランにとってここは、何一つ不自由のない満たされた環境だった。
「……アンタ、それ」
(ただの駒じゃねーか……!!)
 シンは頭を抱えた。アスランの『完璧引きこもり計画』が完成されている。
「でも、そうだな。シンの要望をほとんど聞いていない。不満があればラクスに申請しておくことだ。でないと、ラクスが怒るぞ」
 サラダを口に運びながらアスランは神妙に頷いた。シンへと注意を喚起するとスクランブルエッグに手をつける。
「え。なんでオレが……いくら不満があっても言えませんよそんなこと」
 アスランの言葉に顔を上げたシンは、不思議そうに首を傾げた。
「それに、怒られるとすればワガママ言うほうが怒られるでしょう」
 住まいを用意してもらっている分剤で、贅沢を口にする方がバチ当たりだ。
 シンは言うがアスランは首を振る。
「ラクスは俺に『最高の環境を用意する』と約束したんだ。だからお前のことを一番気にしていた」
「え?」








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