(以下史実萎え危険!)


というか思いっきりBL内容です。












テストに絶対出ない政宗史実





・戦国時代の有名な武将の例に漏れず、政宗にも寵童がいた。
(戦国時代の有名な武将で男色の気がまったく無かったのは秀吉くらいです)


・ちなみに自分の側室の弟だったらしい(笑)


・加藤清正など有名な大名と共に天皇の息子(絶世の美少年で有名)に恋心を寄せていたが、身分違いのため叶わぬことを理解していたので、その息子の茶室に通ってお茶を飲む事だけを楽しみにしていた。


・寵愛していた男の子は政宗の秘書としてきっちり働いていて、後に側近として重要な家臣になった。


男性にラブレターを送っていて、その宛名は只野作十郎だったという事までバレている。
(信玄の寵童への浮気釈明の手紙も衝撃的ですよ)


大阪夏の陣に出陣の前日、寵愛していた小十郎の息子(美男子だったらしい)のほっぺにチュウした。
(前に出ろ…前だ!! by政宗の右腕)






は匿名の方、は香織さんから情報を頂きました!!

ありがとうございました!!






※一応政宗の名誉の為に弁解しておきますが、当時は両刀使いが普通でした。


それに、変な言い方ではありますが、床を共にするほど親密な仲になることによってより深い絆を結び、絶対裏切らない家臣として重用したりもしました。


現に、信長も信玄も政宗も、立派に成長した寵童を後に重要な家臣として家臣団に組み込んでいますから!!


大体の寵童は大名の傍にいて、護衛・身辺の世話をしたり、秘書のような仕事をしたりする場合もありました。


う〜ん、あえて言うなら大名に愛される事は出世コースの一つだったのかもしれません。









 こんな内容がテストに出たらびっくりです(笑)









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