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□弟と僕
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 僕は思わず椅子から立ち上がった。
 仕事から帰り夕飯も済ませた夜、独り暮らしをする一人の部屋で、僕は目の前のパソコンの画面を凝視していた。
「U.M.A.が……来る……っ!!」
 いつものようにネットを巡回していたところだった。何気なくSNSをチェックしていると、とんでもない情報が目に飛び込んできたのだ。U.M.A.が僕の住んでいる街でライブをするという。1か月後に。それもクラブで。マジかよ最高かよ。
 U.M.A.(ユー・エム・エー)というのは、僕の最も好きなHIPHOPのアーティストだ。1DJ2MCのクルーなのでやっぱりクラブで見るのが一番だと思う。僕みたいなオタクがHIPHOPを聴くなんて一般人に知られたら似合わないとバカにされるかもしれない。でも好きなものは好きなのだ。人の趣味には人種も信条も性別も社会的身分もあるいは門地も関係ない。U.M.A.は東名阪以外ではほとんどライブをしないアーティストなのだ。これで行かなきゃファンの名が廃る。僕は椅子から立ったまま、生きる希望に打ち震える。一人で。
 だが僕は大きな喜びと同時にいくらかの不安も憶えていた。
 クラブというあまりにもアウェーな場所に行かなければならない。20代後半の大人が言うことじゃないかもしれないが……僕は、ひとりじゃ行けない。
 どうしよう、と思いながら、ひとまず椅子に座り直してスマートフォンに手を伸ばした。どうしよう、と思いながらも、僕には強い味方がいるということも僕はわかっているのだ。僕は、どうしよう、とは思っている。でもたぶんあいつは、どうしよう、などとは思わない。あいつには連絡を取るのも会うのも久しぶりだった。だが信頼感はいつだって変わりない。
『いいよ。行こう』
 1か月後にU.M.A.のライブがあるんだけど行かないか、とメッセージを送ると、すぐに相手から返事が返ってきた。予想はしていたが一切の躊躇いもない。さすが遊び慣れているだけある。これがオタク仲間の誰かだったら、いやいやクラブとかムリです、と言われても仕方ないところだ。
『クラブだし夜遅くなるけど、蜜子さんは怒らない?』
『一人でゆっくり外食しに行けるって喜んでる』
 あいつには嫁さんがいる。あまり遅い時間の外出は心配をかけるかと思ったが、どうやら快諾されているらしい。『じゃあチケット2枚取っていい?』と送るとすぐに了承の返信がきた。
 僕は安堵の溜め息をついた。不安はいとも簡単に解消された。ほんとに早かった。
 持つべきものは、夜遊びに慣れていて、音楽の趣味が一緒で、かつ兄が甘えたら甘やかしてくれる弟だ。

 僕と誠二は本当に似ていない兄弟だ。まず顔が似ていない。僕は母似で誠二は父似だ。性格は逆のようで、僕が父似の堅物で誠二は母似のおおらかさがある。それと視力も、僕は父に似てド近眼だが、誠二は母に似て眼鏡に用がない。ただ、体格だけは二人とも父に似て180越えだ。
 それから、僕は立派なオタクになったのに、誠二はマンガやアニメに全く興味がない。僕は見るからにオタクなダサい容姿をしている(直す気もない)が、誠二は僕から見てもイケメンでおしゃれだ。僕は酒こそ飲んでも夜遊びは殆どしないが、誠二は夜遊びこそが趣味だしめちゃくちゃ慣れている。そして僕は独身だし彼女いない歴=年齢だが、誠二は既婚だ。
 しかし誠二の嫁さんの蜜子さんは、本当に誠二を自由にさせているんだな、と改めて思う。
 誠二がゲイで蜜子さんもレズビアンで、二人は夫婦だが夜の方はお互い勝手にしている、というのは僕も知ってはいる。それは二人が納得しているのだからいいと思う。傍から見ても仲の良い夫婦だし、二人の間には、一般的な夫婦の愛とは違うかもしれないが、確かな絆があるということは見ていてわかる。
 誠二は、僕にはないあらゆるものを持っている。あんなに器量良しの嫁さんがいるのに、好みの男(美少年系)を食い漁っている(らしい)。しかも見た目も人当たりもいいから女の子にもモテる(本人は嬉しくなくても)。僕には嫁もいないし、女の子にも男にもモテないのに。いや男にモテたいとは思わないけど。人生は不公平だ。
 ……いや、弟には色々頼っているし感謝しているから恨み言はやめておこう。
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