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大雨洪水警報が発令された。どしゃぶりの中を、黒い傘を差して時折サンダルの中に入り込む雨水に眉を顰めながら歩き続ける。奇妙なくらい人が通りにだれも居なくて一歩進む度に、ぱしゃり、ぱしゃり、と音が跳ね返ってきた。お婆さんが独りで経営しているであろう商店のビニール屋根の奥に並んだ駄菓子を食べたいなあという気持ちを抑えながら通り過ぎた。お昼ご飯はご馳走になる予定なので食して来ていない。困ったようにお腹がぐうっと鳴る。


「要くん家どこかな」


一昨日買い換えたばかりの携帯を開いて目的地に居る人物から貰ったメールを確認。それによれば、あと十分程このまま歩いていけば着くはずだ。数学の教科書が入った鞄が濡れてしまわないように抱きこめて屋根の下を極力通る。古びた本屋からずらりと漫画が見えた。手前にあったあの漫画、要くんが読んでたなあ。最新刊を買って行こうかと迷ったが、結局既に持っていたら困るのでやめておいた。


「…要くん家まだかな」


腕時計を見ると十分はとうに過ぎている。もしかすると途中で道を間違えたのかもしれない、本当は折れなきゃいけなかったのかも。戻ろうかと立ち止まったら足元を見ていなかった所為で水溜りにはまった。お気に入りの紺色のレースアップが台無しだ。しかし今此処で嘆いていても益々雨に降られるばかりである。仕様がなく近くにあったコンビニに入ってトイレで泥を落として、要くんが好きそうなポテトチップスを買った。


「……要くん家、どこ?」


この雨の中ずっと歩き続けて、流石に脚の感覚がビリビリしたものに変わってきた。何処かで休まりたいがさっきのコンビニ以来施設が一切見当たらない。雨はどんどん勢いを増して頬にまで雨粒が飛び込んでくる。薄い黄色をしていたパイル地の鞄はすっかり黄土色と呼べるくらいにまで変色して重くなってしまった。これではきっと中の教科書もぐっしょりなってしまっているだろう。前こんな雨の日に帰宅して鞄を開けてみたら教科書が使い物にならない状態になっていたものだった。要くん家に行ったらドライヤーを借りなくては。


「それより、何、これ」


要くん家に到着するどころか気づけば見慣れた風景が見えてきて、不思議に思う。可笑しいなあ。私此処見たことある…。ひらひらした白いフレアスカートは脚にぺったりと張り付いてしまっている。お腹がすき過ぎて、食べ物を強請る音は鳴る力さえ失くしてしまったようだ。それでも私は歩き続ける。数学教えてもらわなきゃ、明日から定期だもん。今度落としたら本当進級に危ないし。何より要くんと同じ大学行けなくなっちゃう。頭痛が段々と手足の力を奪う。でも、歩き続ける。一体私は何分、いや、何時間歩いているのだろう?そんな疑問はすっぽり脳内から消え去って、今の私には要くん家に到着するという目的しか掲げられていない。程なくすると、やっと見知った人が此方へ向かって歩いてきた。タンクトップに半ズボンといった涼しげな格好で手にアイスを持っている。あのアイスバーが当たったら是非ともそれを貰いたい。


「千鶴くん!」
「お、久しぶりじゃん!なになにっ、遊びー?」
「この傘返すのと勉強しに…そうだ、千鶴くんって要くん家どこか知ってるよね?教えてくれない?」


やっとこれですんなり要くん家ルートに乗れる!安堵の気持ちで千鶴くんに笑いかけると、千鶴くんは怪訝そうに顔を歪めた。その歪め方の異様さが心に引っかかる。沈黙のせいで、千鶴くんの手に持たれたアイスがどろっ、と地面に落ちた。何だかその光景がおぞましくて、寒さに立った鳥肌を宥めるように手の平でさする。


「かな、め?」
「えっ、うん。要くん家!」
「誰?要って。俺聞いたこと無いんだけど」


冗談かと思ってけたましく笑っても、千鶴くんはいつになく真剣な表情で私を見る。…要くんを知らない?千鶴くんが?昨日も屋上で一緒にお弁当食べてたのに?溶けたアイスを攫って雨はざあざあ地面を流れていく。空腹感とか、そんなものこの際関係ない。ほら見てよ千鶴くんこの傘の柄にちゃんと要くんの名前が、


「…嘘、要くんの名前が」
「どうしたの?雨もひどいしさあ、早く家に帰った方がいいよ」
「あ、うん、そうだね、ありがとう千鶴くん」


千鶴くんの背中が幾重にも天から注ぐ線に遠のいてゆく。傘の柄に確かに書いてあった塚原要という文字は痕跡一つ残さず綺麗さっぱりなくなっていた。怖い、そう思った瞬間にぶるぶる振動して落っこちた携帯電話のディスプレイにはメール一件の文字。拾おうとして屈みこんだ私の足には、いつ出来たのだろう。様々な色をした痣が夥しい数あった。しかも所々出血している。傷の隙間から雨水が沁みて、痛い。受信ボックスを開いた。そこには傘の柄から消えてしまった三文字。喉仏がごくりと移動すると同時に、信じられない光景が目に飛び込んできた。ディスプレイには傘のラインから落ちる水滴が存在している。真横にある店の正体が気になって視線をずらしてみた。そこには最初に見たお婆さんが経営している商店があった。遠くで警報解除のサイレンが聞こえる。つまり私は長い時間をかけてあるはずのない要くんの家を探して一周したわけだ。そう、要くん家なんてあるはずがない。画面に映っていたのは私ではなく、見慣れた要くんの顔だった。そうかこれ、要くんの身体、痣、私が、




From 要くん
Sub 無題
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なあ、俺を返せよ!




   -END-







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ありがと!水結っ

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