jam
□シンク
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――ふわり、
まるで湖面に羽が落ちるかのような柔らかさで、それは俺の上へ降り注いだ。
深淵へと落ちていたはずの意識が優しく掬い上げられる。綺麗な声が聞こえた。
「…うた…?」
誰かが歌っているのだろうか。よく覚えてはいないが、これは確か昔に聞いたことがある――
「………!!」
考えることを始めた頭が急速に回転したのが分かった。俺は横たえていた体を勢いよく跳ね起こし、きょろきょろと周囲を見やる。
すると先ほどまで感じていた柔らかい何かとは正反対な、まるで無機質で温かさなど感じられない不健康な空間が床から天井へと広がるようにして視界に映り込んだ。
一体どのくらい寝てしまったのだろうか。寝入った瞬間のことは、まあぼんやりとではあるにせよ覚えているのだが。
『あら、おはよう』
と、そこで軽い挨拶が頭上から響く。驚いて顔を上げればブーンと微かな音を鳴らすモニターがあって、その中では肘を突いた少女がにこにこと笑いながらこちらを見下ろしていた。
『大丈夫なのギントキ?随分疲れてるみたいじゃないの』
「…どんくらい寝てた」
心配しているというよりはどこか面白がっている口調に返事は返さず、質問に質問でもって水を向ける。
すると少女はつまらないとでも言うように肩を竦め、『小一時間ってとこかしら』といって再び歌を歌い始めた。
ごしごしと目を擦る。顔面に付着していたのか固まった赤いものがパラパラと剥がれ落ちて、自身が大量の返り血を浴びていたのだと漸く思い至った。
***
モニターの向こうの機械(からくり)少女がにこやかに勝負を吹っかけて来てから数分。
敵である狗毘羅(くびら)族の弱点を潰すべくこの不思議な部屋に乗り込んだ俺は、刀を携えたまま謎解きをしなければならないという、いかにも滑稽な事態に陥っていた。
「…つーかコレ、考えてみたら俺とんでもなく不利なんじゃね?」
『普通考えなくてもそうでしょ。実際にここ使ってる連中ですら解体の仕方なんて分かんないんだから』
セキュリティも考えてか、解体のための説明書などは一切存在しないらしい。
しかし目の前に並ぶのは何十本とある原色のコード。その一つ一つがこの部屋を司るメインコンピューターと繋がっており、きちんとした手順を踏んで外していかなければ爆破装置が起動して即座にお陀仏なのだと少女はのたまった。
「じゃあどーしよーもねーじゃねェか。そりゃ今までの奴らだって死ぬわ」
『だってしょうがないじゃない。弱点なんだから』
あたかも見せびらかすように露呈しているのは、敵がエサに引っかかって勝手に自滅するのを見越しているからだと言う。
初歩的な作戦ではあるが、なるほどさすがはそれなりの科学技術を持っているだけのことはある。人間様より賢いなんざ、ケモノにしておくのがもったいねーな。
「にしたって一体何通りあると思ってんだよ。無学ナメんじゃねーぞコラ」
理不尽な怒りをぶつけてみるが、少女はくすくすと笑うだけだった。そんなに俺はおかしいのか。聞いてみたい気もしたが、一も二もなく笑って肯定されそうなのでやっぱりやめにしておこう。
『しょーがないなぁ』
が、何事も言ってみるものだ。
ちっともしょうがないとは思っていなさそうな表情で少女は俺にチャンスをくれると言った。何と途中まで正解を教えてくれるというのだ。
「ってオメー分かんのかよ!」
『当たり前でしょー。私はここの主なんだから。自分の体の構造くらい知っておかなきゃ、誰も助けてなんかくんないのよ』
あっさりと吐かれた言葉だが、そこには少しだけ哀しい台詞が混ざっているのを聞き逃さなかった。
しかしそれは敵方の事情であって俺には取るに足らないことだ。そう自分に言い聞かせぶるぶると首を振れば、やはり何の痛みもなさそうな顔つきで『どうしたの?』と問いかけられた。
「っし、じゃあ早速解体すっか」
『ふふふ、優しくしてねー』
ふざけた口調にバカかと返す。
工具なんざ持っちゃいないから、コードを斬るのはペンチやハサミでなくボロボロに刃こぼれした愛刀である。
『しつこいようだけど間違えたら即ドカンだからね。そこんとこ忘れないでね』
「分かってるっつーの。変にプレッシャーかけてんじゃねーよ!」
『はーい』
くすくすくす。少女特有の、春風のような笑い声が天井に響く。胡乱気な瞳でそれを見つつ、俺は腰に佩いた刀をゆっくりとした動作で鞘から取り出した。
『まずは一番左の、ピンクのコードね』
「…これか?」
『そうそれ』
指示に従い恐る恐るそのコードに手をかける。
人の姿を借りちゃあいるが、こいつもれっきとした敵であることに間違いはない。まさか騙しているとも思えないが。
やや緊張気味にそれを握る。無宗教の癖してこんな時ばっか神様仏様と祈ってしまうのは日本人の性というやつだろうか。
目を瞑り、息を吸い込む。「ナンマイダー!」と心中でうろ覚えな経を唱えながら、一思いに握るコードを切り上げた。
「………っ」
1秒、2秒、3秒。10秒経ったところでそっと目を開ける。
するとそこには先ほどと何ら変わらぬ景色が広がっていて、俺は盛大に息を吐き出した。ピンクのコードはものの見事にぶったぎられている。
『何よ、肝っ玉のちっさい男ねぇ』
「うるせーよ。命懸かってんだからこんくらい気合い入れたっていいだろーが」
『私が騙してるとでも思った?』
軽口のノリで心中を言い当てられ、不覚にもギクリと肩が跳ねる。目を半分に眇めてこちらをみていたそいつは『やっぱりね』とばかりに溜め息を吐き、あのねえという前置きをしてから俺に向かってこう言った。
『私がそんな嘘を吐くように見える?』
「いや…んなこと言ったって初対面だし(機械だけど)」
『いくらギントキが敵だからってね、そんなせせこましいことするような狭量な器は持ち合わせてません。私ゲームはフェアに楽しむタイプなの』
失礼しちゃうとぷりぷりした様子でいうそいつは、機械の癖して何だかやたらと人間臭い。
精巧な機械であればきっとここで俺を騙すのだろう。だがこいつはそうしなかった。その事実に少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「わーったよ、つまりオメーはポンコツってことだな」
『何その結論』
先ほどまで有利な立場にばかり立たれていたから、これはこれで気分がいい。むむむとばかりに眉間に皺を寄せる姿は年頃の人間そのもので、まるで人工のものとは思えないほどだ。
それとも科学の進歩っつーのは、こんな小さな箱の中に人間さえも作り出せてしまうモンなのか。
『いーから私を信じなさい。敵なのは本当だけど、悪いことにはしないわよ』
「うぃー」
生返事にひらひらと手を振るオプションをつければ、やっぱり少し怒ったような顔をするそいつ。
人間ってよりも動物に近いようにも感じる。高い知能を持った、こまっしゃくれた猫みたいな。
『人工知能ナメんなよ』
先ほどの俺の台詞を真似した物言いに思わず笑いが漏れる。
ここが戦場の真っ只中とは思えない。けれど遠くに見える扉を開けば、そこには阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっているはずなのだ。
「…次、頼むわ」
『はあい』
言われる通りにコードを切り離す。一人でも多く仲間を守れるように。一人でも生き残れるように。
大層な願いだと自嘲しつつも瞼を閉じれば浮かぶ悪友たちの顔に、つい刀を握る手にも力が篭められた。
そんなこんなでぶちぶちとコードを握っては斬り握っては斬りを繰り返すうちに、次第に底の方まで見えるようになっていった。
『次、右端のビジリアンブルー』
「いやそれどんな色?」
多少の冗談も交えつつ次々と解体作業を進めていく俺の手は澱みなく動いていた。これならば6時間と言わず済むかもしれない。
期待にも似た思いで、そう思ったその時。
「…よっしゃ、遂にあと2本だ」
ライムグリーンだのペールピンクだの、微妙な色ばっか指定してきやがるそいつに誇らしげな顔を向ける。見ればまだ1時間半が経過したばかりというところ。こんな楽勝でいいのだろうか。
『ふふ、お疲れ様。あと一息ね』
「おォ」
相変わらずにこにこ笑う少女に心なしか俺も笑みが浮かぶ。
「んじゃ、最後のを教えてくれ」
勝ったという高揚感の中、俺は問う。しかし少女はさっきと同じ笑みを浮かべたままで、しかしその目元にまた不思議な光が宿るのを俺は見逃さなかった。
『ごめんねギントキ。こっからは、アンタが一人で解くの』
「…は?」
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