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□少女金魚
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「いいじゃん別に。わたしのことなんか知らなくても、沖田は十分生きていけるさ」

「まぁそうですがねィ」

「オイ否定しろよ泣くぞ」



ちっとも泣きそうにないドスの効いた声音に口角が上がる。
何でィ、この女中々イイ性格してんじゃねーか。



「じゃあ泣かれたらメーワクだし、仕方ねーから知ってやりまさァ」

「うわあ何この傍若無人王子」



本当は、昼寝のために裏庭に来ただけ。面倒な授業をサボりたかっただけ。
ただそこに、そいつがいただけなのに。

流れる時間が、影を作る日差しが。
どこか心地よいと思ってしまう俺は、きっともうこの生温い水に肺まで侵されていたんだと思う。


何が知りたい?猫みたいに目を細めるそいつに、俺は少しだけ考えた。
聞いたにも関わらずスリーサイズだの好きなタイプだの話そうとするものだから、近くにあった雑草を抜いて投げた。



「ちょっ、やーめーろーやー。制服に泥つくじゃん」

「少しは見れるようになるんじゃねーですかィ」

「沖田なんてバナナの皮ですっ転べばいいと思うよ」



俺の投げた草が一掴み池に落ちて、小さく波紋を作った。
けれどフナのようだと噂される金魚は、姿を現そうとしない。



「…じゃあ、アンタが」

「ん?」

「アンタが、ここにだけ来る理由、とか」



頬を撫でる程度の風が、彼女の制服と髪を揺らす。
意外にも滑らかに翻ったそれに、こいつも女なんだっけと物凄く失礼なことを思った。



「何それ?」

「いいだろィ何だって」



何となく、教室に来ない理由は聞きたくなかった。
それがどうしてかなんて、俺に分かるはずもなかったんだけど。



「そうねー…何でだろう」

「オイ」



しかし質問したのは俺だというのに、疑問符をつけて答えを返された。
そんなん知るかと言ってやりたいが、聞いたのはこっちだ。ここは我慢、大人になれ俺。



「あ、アレかな」

「どれ」


「…絶対笑うなよ」

「…それは」










無理かもしれやせん。




































――バシャッ!!
跳ね返る水飛沫と、その音で目が覚めた。

はっと我に返り、視界が暗いことに気付く。
あ、アイマスクしてたんだ。


ふあっと伸びを一つ。固くなった筋肉が嫌な音を立てる。
2限目当たりが終わった(多分)チャイムが遠くに聞こえて、俺はアイマスクを押し上げた。



「…オイ、授業終わりやした…」



口を開き、しかしそうした自分に驚いた。
アイマスクを外した先、揺れるのは木々から漏れる光と湿っぽい空気ばかりで、そこに話しかける対象などおりはしないからだ。

どうやら、夢を見ていたらしい。嘲笑にも似た溜め息を漏らして立ち上がる。
さっきの音はどうやら池の金魚が水面を揺らしたものだったらしく、澱んだ池に不似合いな赤が時折見え隠れした。



一昨日の朝、服部はクラスメイトの訃報を告げた。
いつになく沈んだ様子の担任に、いつになくクラスも静まり返っていた。
鬱陶しい前髪に隠れた両目には、僅かにだが悲壮の色が灯っていたように思う。






「…おーい」



立ち上がり、ほんの二歩ほどで池の端につま先が届く。

実に小さな世界だ。
こんなほんの数坪にも満たないような、鬱蒼とした裏庭なんざ。



「テメーらのご主人様とやら、どこ行きやがったんでィ」



蹴り飛ばした小石が池に落ちた。
ぽちゃんと静かに飲まれたそれは、きっと水底で俺達を見上げることになるのだろう。





『沖田』



きっとほんの小さな出来事。
ほんの僅かな、人生のうちの一瞬。

だけどその僅かな時に俺達は確かに存在して、そしてアイツは笑っていた。
下手くそな、決して美人とは言えない表情で、アイツは俺を「沖田」と呼んだ。


そこに確かに影はあるのに、この目に映っても見えるのに。
しかし手を伸ばせば、するりと指の間を抜けてしまう。

ああ君は、
あの無人の机に降り注ぐ、光のような存在だった。



空気よりも軽く、あの雲よりも不確かに。
息をし、立ち、歩き、そして笑った少女。

泣きたくなるほどの空に消えた、斜め後ろの席の女の子。





『…絶対笑うなよ』



アホかお前。
そいつァ無理な相談でさァ。



だって、こんなにも今、

笑いたくなるほどむねがいたい。





「…バーカ」



なァ、やっぱりアンタはバカだよ。
優等生でも、ましてや神様なんかでもねェ。

少し低いアルトの声で俺を呼ぶ、
単なる一人のバカな女だった。















わたし、

この子らのかみさまだから。










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