jam

□少女金魚
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「…な、何ですか」

「…んー」



じっと見つめられたまま、歯切れの悪い言葉を繰り返す。
まるで生え揃わない歯をむずがる赤ん坊みたいだなんて、かなり失礼なことを考えた。何気に的を得ていると思った。



「…もう、覚えてねーかもしんねェけどさ」

「え?」



失礼なことを考えているのはわたしだけではなかった。
このクソ天パめ私が若年性アルツハイマーだとでもいいたいのか。



「これからちょっとショッキングなカンジなカンジだから」

「は?ちょ、何言ってるかよく分かんないんですけども」


「だから」





泣かないでね。





――どこか淋しそうな声でその人は言った。
その表情がさっきまでじゃれていた坂田さんとは違う人のものに見えて、あたしは背筋に冷たいものを感じていた。






緑のフェンスに立った坂田さんは、今度はゆっくりと下降してくれた。
もっと言えば階段か何か足元の安定した下降方法を考えて下さいと言いたかった。いや実際言ったけれども。


わたし達が立っていたのはどうやら何か大きな建物であるようだった。
壁面には沢山の窓ガラスが嵌め込まれていて、しかしそれのどれもが少しばかり薄汚れている。

陰になって日が入らない場所にいるせいか、窓から中を覗き一つの部屋の向こうに見る光は大層美しかった。
窓ガラスにこびり付いた埃すらもキラキラと輝かせるそれは、何だかとても懐かしく思えた。


ゆっくりと空が遠くなって、
光がコンクリを挟んで途切れて、そしてまた窓越しに弾けて、

ソーダ水のガラス瓶の中から見た世界は、きっとこんな感じなのかもしれないなあ。





「うい、とーちゃくー」



すとん。
思ったよりも柔らかい足音で着地に成功。
名残を惜しむように髪の毛がわたしの後に続いた。

もう太陽の光は空を見ることでしか確認できなくなってしまった。



「で?何ですかここにあるものは」

「んー?」



改めて坂田さんに向き合う。
今度は怖くないから堂々としていられるのだ。



「こっちに来れば分かる」

「へえ」

「けど」

「けど?」



おいでと言われたから足を踏み出したのに、それをまた止めたのは伸ばされた大きな手だったりする。



「なぁ、後悔しねーか?」

「だから何がですか」

「何がって、アレだよ」

「はー?」



何だかいつもの坂田さんらしくない。
いやいつもの彼を熟知しているかと言えば決してはいとは言えないんだけれど、そうじゃなくてええと。



「…歯切れが悪いよ。見せたくないなら連れてくんなや」

「だからその顔怖ェって」



多少今のでたじろいだらしい(それもどうなの)
後退して怯んだ坂田さんの横をすり抜けてしまおうと思った。

が、どうしてか足が進んでくれない。



「あ、あれ」

「…ほら、やっぱな」



何がやっぱなのか。

はあ、と、今日何回目か分からない溜め息を吐いて坂田さんは頭を掻く。
きっとこれはこの人の癖なんだろうなあ。ちょっと困った時とかの。



「ちょっと難しいこと言うようだけど」

「うん、でも出来れば簡単に」

「…いや無理」

「………お願いします」



無理と言ったときの坂田さんの顔がかつてないほどに面倒臭そうだった。
いやいいけどね。何か…ちょっとアレ、すいませんでした。



「はあ、じゃあ話すけど。
酷なこと言うようだけどさ、お前死んでんの」

「知ってます」

「いや知ってねえよ。まだ生きてる時と同じ気持ちでいる」



は、?



「生きてる時?」

「そ。肉体と魂がまだちゃんとワンセットだった時。
言っちまえば今のお前はただの魂…思念の残りカスみてーなもんだってのに」

「いやカスってアンタ」

「マジメに聞け。
んで、だ。魂だけの状態のお前は取りあえず生前の姿を取ってはいるが、ずっと不安定な状態なんだよ」

「…はあ」



あれ、やっぱり何か難しい。
そんで何だか、



「つまるところ、お前の気持ちは前なんかよりずっとずっと行動として表される」

「???」

「…だァから、お前の足が今止まったってのは、お前の精神がこれ以上進みたくないって言ってるからなんだよ」

「…えー?」



聞きたくない、みたいな。











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