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□少女金魚
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鋼のような強さや、花のような美しさを持つわけではない。
特出して何が出来るとか、かと言って何が劣っているとかいうわけでもなく。
当たり障りのない言葉を選ぶなら…そう、きっと“普通の”女の子。
特別仲良しな訳ではなかったけど。
ねえ、貴女は私にとって、まるで空気のような存在だったのよ。
少し冷たい風が一箇所に集まるようにして流れて行く。
下から上へと吹き上げるようなそれに髪とスカートを抑えながら、私の足は澱みなくある場所を目指していた。
「ここ…」
滅多に人は寄り付かない、色々といわくのある校舎裏。
薄暗く鬱蒼とした木々の生い茂るそこは何かあってもおかしくないと言った風情を醸し出していて、「あそこの池には半魚人が住んでいる」なんて噂が流れたのはいつのことだろうと考えた。
パキリ。
足の下で干からびた小枝が鳴く。
初めて足を踏み入れたその空間は、じめじめしていて薄気味悪い癖に何故だか不思議な心境を齎すもので。
あたかも一つの聖域がそこにあるように、丁度校舎が影になる場所を境界にしてこちらとあちらは区切られた別々の世界のような気すらした。
――ぼんやりと窓の外を眺めるその姿を、私は一体何回目にしたのだろうか。
進級してからというもの、彼女が教室に来たのは本当に数えるほど。こちらとしてはそれでどうして留年しなかったのかと不思議なくらいだ。
特別暗いとかいうわけでもないのに、何故だか他人を寄せ付けない。
事務的な会話は数度交わしたけれど、私自身彼女にまつわる思い出らしい思い出はほとんどと言っていいほどないに等しかった。
きっとあの子は、私たちとは別の次元で不思議な性質を持っていたのではないだろうか。
いつもいつもいない時はそのことにすら気付かせないのに、ふと空席のはずのそこに目をやれば、いつの間にか当たり前のように着席している女の子。
ほんの少し制服を着崩して、左肘で顎を支える。
ガラス玉のような瞳はいつもどこか遠くを捉えていて、私たちなんて眼中にはないのね、なんてことを思ったりもした。
だけど一度だけ、そんなどこか浮世離れした彼女を身近に感じることがあった。
あれは確か、入学式から一週間もしない曇りの日のこと。
私は面倒臭いことに当時担任だった教師から頼まれごとをされてしまい、それが終わったと思いきや迷惑極まりないストーカーゴリラに追いかけられていた。
勿論ゴリラにはこの上なく見事にスクリューパンチをお見舞いした。
けれどそんなもので退治できるならこんなに苦労していない。10分後には恐るべき回復を見せてくれやがったために、再びフルオートで付け上がって来たのだ。
「うおおお妙すゎァァァァん!!!」
ああうざったい。
一体何回その時代がかった呼称をやめろと言ったら分かるのかしら。
懲りずに負って来るそいつを迎撃しつつも、なるべく人気のない場所へと逃げていく。
入学早々往来で喧嘩なんて、この後の生活に支障を来たしそうだもの(色々とね)
鬱陶しいのでどこかで一撃の下に叩きのめしてやろうと、グッと右拳を固く握ったその時。
「…はるーはなーのみーのー かぜーのさむさやー」
どこからともなく…いえ、恐らくこの先に続く廊下から僅かにそれた場所からそんな歌声が聞こえて来たのだ。
「…人がいるのかしら」
薄暗い、人気のない方へ方へと走っているはずなのに。
決して上手いと言えないその声に、だけど私はいつしか引き寄せられるようにして走り始めていた。
気付けば背後にゴリラの影もない。きっとどこぞのしつけ係たちが上手いこと連行してくれたのね。
「たにーのうーぐいーす うたーはおもえどー」
未だ佩き慣れない固い上履きを跳ね上げるようにして走る。
暫く行くとコンクリートで出来た渡り廊下へと到達し、どうやら声はその奥から聞こえてくるものらしかった。
「ときーにあーらずーとー こえーもたーてずー」
下足を持ってはいなかったけど、今さらそんなのは気にしない。
校庭に繋がるのは左手の道。
だけど私が選んだのは右手の道。声に導かれる、なんてロマンチックじゃない?きっとその奥に、何か素敵なものがあるような、
「ときーにあーらずーとー こえーもたーてずー」
そんな気が、したのよ。(女の勘ってやつかしら)
唄い終わったのか、妙に達成感の篭った溜め息を空中に散らす。
少し肌寒いその日の気候は吐息を白く染め、こちらに背を向けて地面に座る人物の輪郭を僅かにぼやけさせた。
――パチパチパチ
何の気なしに拍手なんてしてみれば、人がいるとは思わなかったのか驚いたようすでその背がこちらを向く。
淡い色のカーディガンを身に纏う、それはあまり見かけないような女の子だった。
「ふふ、お上手ね」
にっこりと、敵意を持たせないような笑みを見せる。
すると少女はおずおずと頭を下げて「どうも」と言った。
「隣、いいかしら?」
「あ、はいどうぞ」
思い切り地べたに座っていたのだけれど、少女は指差した場所と私を少し見比べると腰を浮かせて横にずれる。
「初めて来たわこんなところ」
「…で、しょうねえ」
薄暗く、特にこれと言って目的もなさそうな校舎裏。確かに近寄る人間などいなさそうで、いたとしたらかなりの物好きのように思う。
スカートを抑えてゆったりと座り込めば、僅かに湿った雑草の匂いが鼻腔を擽った。
「貴女はいつもここに?」
「え、と。はい、まあ」
「見たことないわね。1年生?」
「はい」
簡単な受け答えだけど、初対面の人間でもそう物怖じしていない様子。
不思議な子だと思ったけど、どうしてか嫌悪感は湧いて来なかった。