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□少女金魚
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――それからまた、長い眠りと短い覚醒を何度か繰り返した。
「怖くない」というその言葉だけがお守りのようにわたしの胸にとぐろし、けれどやはり見る夢に嫌悪感を抱く。

んだよ坂田チクショー。嘘吐きやがって。
見るもんは見るんだから、結局何言ったって…



「……ん?」



“見慣れた”はずの――きっとわたしの思い出とか記憶の一部の――映像から、ぱっと景色が入れ替わった。



「…どこだここ」



視界は全面黒。
しかしそれが闇でないことは容易に分かった。自分の姿が見えるのだ。

足場もあるのでわたしは数歩そこを歩いてみた。
これは夢の続きなのか。それともまた短い目覚めの時間の出来事なんだろうか。



「ん、あれ」



大した距離はあるいていないはずなのに、前方に見慣れた人影があった。
後姿でどうこうってのではない。ただあのもの珍しい銀髪プラス天然パーマ。きっと誰もが一度見たら忘れられないであろうその面白おかしい頭部で、わたしはその人をあっさりと判断付けたのだ。

ていうかアレ、アイツわたしの傍にいるとか言わなかったっけ?
何早速放棄してんだよコノヤロー。今度額に肉って書いてやろーかァァ!


密かな憤りにわたしが拳を握り締めていると、また景色が変わった。
黒い空間がぐにゃりと動き、それが収まると同時に世界に色が着く。ざわざわという雑踏の声も聞こえ始め、驚いたわたしは辺りを見回した。



「…ここ、」



足元にはコンクリの地面。
その下は道路になっているようで、何台もの車が二車線の道を言ったり来たりしている。



「歩道橋?」



わたしが知っている場所かはもう“思い出せない”が、道行く人や車、路肩の店なんかの感じからここはきっと日本なんだろうと推測する。

この雑多な景色に何の用が。
私から少し離れて歩道橋の上に立つ坂田はある一点をじっと見つめているようだ。



「………?」



しかし別段そこに何があるという訳でもない。
歩道橋を利用する人はあれど、坂田が気にしているのは彼らではないらしい。



「坂田、」



声を掛けようと思い手を伸ばす。
けれど私の喉を震わせたのはいつもの声ではなく、か細くしわがれこんな雑踏の中では決して届きそうにないものだった。

え、嘘何コレ。
記憶の次は声とか、人魚姫ですかコノヤロー。

喉に手をやりぱくぱくと口を動かすが、空気の漏れたような変な音にしかならない。
しかも“他”の人たちにわたし達は見えないのか、誰一人として構ってはくれようとしない。


かすかすと情けない音を吐き出していると、ふと坂田の視線が動いた気がした。
涙目になりつつも何かとその先を負えば、今まさによいしょよいしょと歩道橋の階段を上がろうとする妊婦さんの姿が。



「(うあ、あれ危なっかしいな。誰か手ェ貸してあげればいいのに…)」



妊娠何ヶ月とか、見て分かるような知識は持ち合わせていない。
それでも膨らんだお腹を見れば、臨月までもう少しだろう事はすぐに分かった。



「(ちょっと坂田!アンタも見てないで手伝ってあげたら…!)」



声が出ないので気付いてもらえぬかと手足を振り回す。
しかし坂田がこちらに気付くことはなく、ただ、本当にただじっとその女性を見つめているだけで。



「(坂田!ちょっと気付けこの天パ!)」



ふらふらとした足取り。額にかいた大量の汗。
もしかしたらこれから病院に行くのかもしれない。



「(こらァァァきーづーけェェェ!)」



背後から念を送るという、最早ちょっとおかしい子のような行動を取る。
だってこんなの見てられないじゃないか。
もしも、もしもあんなところで足を踏み外したら、



「あ…ッ」



ドンッ。
擦れ違い様に駆け下りていったサラリーマンの方が、女の人の腕をほんの少し掠めた。

しかし身重の彼女にしてみたら、それこそが致命的な打撃なのであって。



「――――!!!!」



覚束ない足は最上段にかかっていたにも関わらずそれを踏み外し、体を支えていたはずの右手は空しく宙を引っ掻くばかり。
傍目にもスローに見えるほどゆっくり、しかしその人はふわりと体を宙に踊らせる。



「………」



嘘、嘘、嘘!
それなのに坂田は微動だにしない。


天使だなんてただのお題目。それは人間の魂を地上から駆り立てる存在なのだ、と。

ああ言ったさ。確かにアンタそんな感じのこと言っただろうけども。



「………っな、」



気付いたら、重いはずの足が地面を蹴っていた。
気付いたら、鉛のようだった腕を精一杯伸ばしていた。



「…………ッ!」



正義感とか、思いやりとか。
決してそんな綺麗な感情で動いたのではないと思う。

ただ、そうしなければ、と。





――ズダダダダダダダ…!





温かい、腕に触れた気がした。
触れられるはずのないものなのに、わたしは確かにそれを感じたのだ。



「―――――!」



坂田が何か叫んでいる。

ああそうだ。
ありゃわたしの名前だわ。









ねえ坂田。
わたしがあの日空を飛んだのも、きっとこんな気持ちに似ていたと思うのだよ。






























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