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□少女金魚
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むかしむかし、天の神様は言いました。










人間ってのはずるい。
その弱く小さな手で沢山のものを抱き込もうとする癖に、同じ温かさで沢山のものを切り捨てる。
その狡猾さに何度も何度も絶望すると知りながらまだその光に必死に縋りつこうとしていた俺は、一体何になりたかったんだろう。










「わたしの可愛い子どもたち。お前に命題をさずけよう」










物心がついた時から、と言ったらどこかしっくり来ない気もするが。俺はいつ頃ここに来て(生まれて?)、どのくらいの間ここにいて、どのくらいの間ここにいればいいのか知ることもなくただ存在を許されていた。

たった一つ分かっているのは、ここで俺がなすべきこと。
「此岸で彷徨う御魂のあらば、導きてそのあるべき場所へ」まるでどこぞの聖句のように語られる、それは俺たち“天使”のオシゴト。

一体どれくらいの歳月をこの空間で過ごしたかは知らねェが、それにしたって随分な迷い魂を見てきたと思う。
時に小さな四足生物を、時に生物ヒエラルキー頂点に君臨する人間サマを。
体なんてェのは所詮魂の入れ物に過ぎない。それを脱ぎ捨ててしまえば畜生も人間も皆同じ。生前どれだけ偉かったんだか知らないが、此処に連れて来られた時点で辿り着く場所は一緒ってこった。


天使ったって万能なわけじゃァねーから、犬猫と喋れるわけでもない。
それでも俺は時々物言わぬ奴らがどれだけ優しい生き物かと思う時があった。

だって喋るための舌を持ったそいつらは、皆揃ってこう言うんだ。
「金ならいくらでも払う。だからどうか助けてくれ」ってな。


どこの誰が説いたんだか。神仏に縋れば救われるなんざ都合のいい話だ。
ここで現世のカネとやらが一体なんの役に立つ?あんなの俺からしてみればただの紙っぺらに過ぎない。(その点ではトイレットペーパーのがまだ役割がはっきりしているだけマシとも思える)
人間の愚かなところは、どこの世界でも自分たちが一番で正しいと思い込み疑わないところだ。

人間関係なんて言ってみれば価値観の押し付け合い。あっちでそれにどれだけ苦労したんだかしらねーが。



『…ゴクローサン。せめて来世はいい夢見ろよ』



それがお前を救う手立てになるとでも思っていたのか?

(嗚呼なんて)
(何て愚かで滑稽な、)





ニンゲンは嫌いだ。
俺と姿形も使う言語も変わらない癖に、その中身だけがこんなにも違う。

私利私欲に走り自分のことだけを考える。誰かが倒れようとも自分がその上に立てるのなら構わない。
「屍を越える」なんざクソくらえ。どうして倒れたそいつを担ぎ上げてでも、共に歩んでいこうとしない。


今にして思えば、俺の仕事柄が悪いせいもあったのかもしれない。
大抵彷徨ってるアホなヤツってのは、生前ロクなことしなかったと相場が決まっている。現世で立てた功績は、こっちじゃそうそう役には立たない。
何でか?愚問だな、それこそ魂だけになったやつがそんなことに執着なんざしてどうする。

心の定まらないヤツは哀しい。
体という盾を失って、辿り着く場所も知らずただ彷徨うだけに成り果てるのだから。
あれだけちやほやされた現世において、悪霊だなんだと罵られるだけになるのだから。


まあ理由が何であるにしろ、そんな奴らばかりを見ていた俺が人間を好く道理が一体どこにあろうか。
醜く足元に縋りつくその姿に、俺は神様なんざ存在しねェなと何度思ったことか。

そうさ、奴ら崇め立てられるだけ立てられておいて、何だよ。
結局救いも何もしねェんじゃねーか。





――そんな時だった。
アイツに、出会ったのは。





「…はっはあ、これはこれは」



いつものように仕事がやってくる。
今回の対象者はえーと…“女、17歳”。何だまだ全然若ェじゃねーの。

全く世知辛い世の中になったもんだ。時代が進むに連れて人間は進化したが、結局それは手先だけの話であったらしい。
精神まではその進む社会に適応し切れず、必ず振り落とされる者がいる。
今回だってそうだ。どうせ原因は何かしら現世にあった問題による自殺ってセンだろう。

適当にアタリをつけて個人情報の記載された書類をポケットに突っ込む。
吐き潰した革靴の踵は最早あるんだかないんだか分からなくなっており、底と一体化しながらぺたぺたと足元で気だるい音を奏でる。
ふああ。どんよりとした、しかしどこか青いと思わせる空(と言ってもいいものか)に欠伸を一つ。ついでにボリボリと後頭部を掻いてから、俺はそいつに声をかけた。



「おーい、おねーさーん」



横たわるそいつの傍にしゃがみ込んで数度声を発すれば、うっすらと開く瞳。
この瞬間は何度見ても薄気味悪い。まさしく死者の蘇生って言葉がぴったりだ。



「………」

「ちょっ、悲しいから無視はやめてね。
聞こえてたら返事をしなさい、聞こえてなくても返事しろコノヤロー」



ぼんやりとした虚ろな瞳で見上げたまま、しかしそいつはじっと上を見上げているだけ。
何だよ、生きてる間にクスリでもやってたのかコイツ。

また厄介なのが来たと再び頭を掻き、いつまで経ってもぼけっとしている女を一瞥する。
と、小脇に抱えたジャンプがずり落ちそうになり、それに気付いた俺はおっとと受け止める体勢を取るが。



「オイィィィ!」



ぼーっとしているばかりかと思いきや、侮りがたしこの女。
何を思ったのかいきなり俺のジャンプ(あっちの世界で唯一面白いと思えるもんだ)に手を伸ばし、がしりとばかりにそれを掴んで来やがったのだ。



「コレは俺のだから!俺が汗水流して貯めたゴールデンペーパーで購入した尊きジャンプだから!」



驚いて慌てて取り返しにかかるが、火事場のバカ力というやつか女の力はホント馬鹿みたく強い。え、嘘だろ何コレ破ける破けるぅぅぅ!
遂にはあれほどコケにしていたカネを使った冗談まで飛び出す始末で…ってああ何やってんだ俺。

不毛な押し問答というかすったもんだが明けた頃には、ジャンプはすっかりしわくちゃになってしまっていた。
その腹いせにいつもなら比較的もっとソフトに伝える事象を(あくまで比較的だが)、思い切りショックを受けるだろうテンションで言ってしまった。



「お前はもう死んでいる!分かった!?」



荒げた声にか言われた内容にか、女は一瞬ぽかんとした表情を浮かべてこちらを見上げてきた。
そこで漸く少しだけ罪悪感が芽生えた。時は既に遅しかもしれないけども。

その時見た女の瞳が、今まで見てきたそのどれよりも深く美しい色をしていると思ってしまったから。





「何この天パ。女に夢見すぎだキショイ」





…まあ、そう思ったのもホント一瞬のことだったんだけどもね。





それから特にやることもなく、女は至って普通の態度で日々を過ごしていた。
俺としてはまだそいつを担当したばかりで他に宛がわれたものもなかったからまあいいものの、女は一向に成仏しそうな気配を見せない。

毎日毎日ゴロゴロしては、「あーメロンパン食いたい」だの「眠い」だのとひたすら愚痴を漏らす。
言っとくがここにはメロンパンも高級羽毛布団もないからな。そう言うとまた少しだけきょとんとした顔をして、それから「バカか」と言って何でか俺が笑われた。(世の中って理不尽ですよね)


時に下らないことをぽつぽつと話し、時に寄り添うようにゴロゴロと雑魚寝し、時にバカみてーなことで喧嘩した。でも、数時間したら普通に戻ってんだけど。

いつ「助けてくれ」と女が言うのかと、不謹慎にもそんなことばかり考えていた俺にしてみたらこれは結構衝撃的な日々だった。
順応性が高いと言ったら誉めすぎか、兎に角女はこの異常な状況に慣れつつあったのだ。長年こちらにいるはずの俺がたじろぐくらいの速度で。



「…なあ、」



本当に不可解な女である。
どうしてこの状況をこんなに易々と享受できる。どうしてもっと生にしがみつこうとしない。



「なに」

「何でお前…その、自殺とかしたの」



そいつと過ごせば過ごすだけ、俺の中にはそれまで浮かぶこともなかった疑問が湧いてくる。時々意図せずそれが口をつき、自分でも驚くことが幾度かあった。
その旅に女はうーんと少し考えるように上を向き、そうしてこともなげに笑ってみせるのだ。



「さぁね。わたしもよく分かってないのさ」



こんな存在を、俺はこちらの世界で一度でも目にしたことがあっただろうか。

理由もなしに死ぬやつがいるか?
怖いだろう、足が竦むだろう。
そうして自分は生きているのだと、そうして気付くもんじゃねェのか、



「…退屈してたんじゃないかなぁ、とかは思うけど」



他人事のように自分の心境を口にする。
それがどうしてか俺はとても気に入らないのだ。





『神様っているわけ?』





ああそうか。
きっと、その自分を自分とせぬその物言いが。





『…いねェよ。神様なんて』





まるで信じたくもないその存在を、どこか彷彿とさせるからだ。

聞くところによれば、まあこちらのカミサマとやらは随分ちっぽけな命を守っていたらしい。
金魚金魚と事ある度にそいつらのことばかりを口にして。



「………」



嗚呼、何だ。

苛苛する。



募る気持ちは焦燥にも似て。俺はきっと何かを必死に拒んでいた。





「よくお聞き、かわいい子」





…否、そんな大層なモンじゃねェか。





「ひとつ、人間とは何か」









アレだ、そう。

怖かった、んだよ。










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