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□少女金魚
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「…ゲホッ!」



喉が嗄れる。
と言うか、焼けるかと思った。


突然分娩室のドアの前に立ちはだかり、人目も憚らず叫びだした女。
周囲にいた人は皆一様にぎょっと目を見開いて、何事かとこちらを見ている。

だけど、そんなの構うもんか。

だってアンタは確かに言ったはずだ。
『俺が呼ぶから』って言ってくれたじゃないか。



「…約束しといて自分から破る奴があるかァァァ!!!」

「ちょっ、オイ何だ君は!」

「お前それでも天使なわけ!?わたしを散々おちょくってくれたバカはどこ行ったんだコノヤロー!」

「オイィィィ!だっ、誰かこいつを取り押さえろ!」



絶叫に震える体にわらわらと伸びてくる手。
何とか押さえつけ放り出そうとしているのだろうが、そんなの聞いちゃあいられない。



「どうしたネ!やっぱり頭打ってたアルか!」

「元々不出来だったのにこれ以上だなんて…うっ」

「オメーは紛らわしい演技をすんじゃねェェェ!」


「ぅオラ聞いてんのかこの万年パーマネントォォォ!!!」



叫ぶわたし、を取り押さえる腕、に更にしがみ付くクラスメイト。
まるで昔話の大きなかぶのワンシーンだと、どこか客観的な自分が笑えて仕方ない。

バカヤロー坂田。こんだけ大騒ぎしてんだから、アンタも浮かれて出て来いっつーの。





「アンタまたわたしに嘘吐く気!?」

「こっちはめったに見せない女の武器まで使ったってのに、結局お前はその程度だったのかこのクズめ!」

「次嘘吐いたらなァ、お前どうなるか分かってんだろーな!」


「傍にいるからって…あれちょっと嬉しかったんだぞバカァァァ!」



「いい加減にせんかァ!」



見知らぬオッサンがわたしの腕を掴む。
痛い。痛いよ。



「バカ…ッ、っぎ、

銀ちゃ…っ!」
















――…っぎゃあ、おぎゃあっ、おぎゃあ…っ





「……え…」



それから数秒もせず、一瞬の沈黙が空間を包んだ。

途端響いた大きな産声。
命のうたを叫ぶ声。



「…う、生まれた…?」



誰かがぽつりとそう呟いて、一気にその場から力が抜けた。
巻きついていた腕も解かれていき、わたしも地面にへたり込む。



「お、おい大丈夫か」

「…よ…」



良かった。そう言った瞬間涙がぶわりと溢れ出した。
情けない。こうも簡単に泣くキャラではなかったはずなんだけど。


それから暫くして、ウィーンという音を立てて分娩室の扉が開いた。
そこにいたのは手術着に身を包んだお医者様。うっすらと額に汗をかいている。



「…おめでとうございます。元気な男の子ですよ」



彼がそう言い、一瞬にして場はわっと沸きあがった。
どうやら念願の長子だったらしい。そんな出産現場でわたしは何てことを。



「えーと、それから」



そそくさと逃げ出そうとしていた矢先、しかしその医者の視線がわたしを捉えた。
あれ、何だコレ凄く嫌な予感が。



「君かな?大声でバカだの何だの叫んでいたのは」

「………」






何でだか知らないが、嬉しげに駆け込んだ旦那さんに続き見ず知らずのわたしも妊婦さん(っていうかもう新米ママさんか)に呼ばれた。
一通りの術後処理が終わり、彼女が入院室に移されてからのことである。


――コンコン
遠慮がちにドアをノックすれば、どうぞという綺麗な声音。
恐る恐るそれを引いて中を覗けば、ベッドに横たわる女の人がわたしを認めるなりにこやかに微笑んだ。



「こんにちは」

「こ…こんに、ちは」



その向こうには恐らく旦那さんと思しき人が椅子に腰掛けている。
何だか居た堪れない思いに駆られ、わたしはひたすら俯いてもじもじとしたまま佇むしかなかった。



「いきなり呼び立ててごめんなさいね」

「…え、いやあの」

「いらっしゃいな」



かむかむと手招きするその人。
少し躊躇ってから足を進め、ベッドサイドまで近寄った。



「あ、あの…さっきはすいませんでした」

「あら、どうして?」

「…大変な時に、大騒ぎ、して」



考えてみれば何て非常識な奴だったんだろう。
申し訳なさで穴があったらそれを更に穿り返して埋まってしまいたい勢いだ。



「ふふ、」



しかし。何故だかしょぼくれるわたしを前にその人はおかしそうに笑った。
何だ何だとわたしの方が驚いて顔を上げれば、少し笑いを止めてこちらを見上げる。



「…何か変なことを言うようだけど」

「え」

「少し、聞いてくれるかしら?」



そう前置きしてから女の人は言った。



「私ね、貴女に会ったことがある気がするの」

「…へ?」



おかしいでしょう?そう言って彼女はまた一つ笑い。



「ここに来る前…上手いことタクシーが捕まらなくて、お腹守りながら必死に歩いてたの」

「はあ」

「丁度自宅に戻ってたから、そう距離はなかったんだけど…ここは道向こうになるから、道路を渡らなくちゃいけなくてね?」



その人の家から病院に来るまでは、大きな歩道橋を渡らねばいけないらしい。
しかしそれとわたしに一体何の関係が。



「そこで私、不注意にも階段から落っこちちゃってねえ」

「ええ!」

「あ、無事だったのよ何とか。この通り元気だし」



見かけによらず何てタフなんですかお姉さん。
驚愕の色を隠せずにいたら、そこでその人はクスリと笑って。



「助けて、くれたのよ」

「…誰が」





「貴女にそっくりの、天使さん」





笑いながら、けれど至極真面目に言うものだから、何となく茶化すことなんて出来なかった。
勿論彼女はわたしが人間であることを分かっているだろうが、それでも何やら運命を感じずにはいられなかったらしい。



「誰も助けてくれなくて、もうだめだーって思った時ね。その天使さんは羽もないのに思い切り飛び込んで来てくれたの」

「………」

「私の腕を強く引いて、自分からクッションになるみたくなってくれてね」

「…へ、え…」



お姉さんが話すたびに、体のどこかがドクドクと熱くなる気がした。
そんなの知らない。それは、わたしではないはずなのに。



「こんなこと、貴女に言うのもおかしいかもしれないけど」

「ずっと言いたかったのよ」

「女の勘ってやつかしらね。…いつか会える気がしてはいたの」



穏やかに話すその人に、旦那さんもうんうんと頷いている。
こんな馬鹿みたいな話を、信じているとでもいうのだろうか。



「…ふにゃあ」

「ああ、そうそう」



と、そこで聞こえた潰れたような泣き声。



「それからこの子も助けてくれたしね」

「…え…」












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