jam

□シンク
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初めて、護りたいと思ってしまった。
その時点で、既に私の負けだったのです。












初めてこの世に生を受けた時、私はきちんと自分の体を持っていた。
おぎゃあと空気を震わせた声も、無造作に動かされる手足も、体の中心でドクドクと脈打つ心臓も、全て私だけのものだった。


私が生まれたのは、地球という名の青い星。まあ、この星が青いっていうのは皮肉にも“外”に出てから知ったことだったんだけれども。
兎に角その星の端っこも端っこにある東の島国の、地図にも載らないような小さな村落が私の故郷だった。

朝は日の出よりも早く起き、夜は月が中天に昇る頃に眠る。科学なんて存在すらも知らないような場所だったから、生活の全ては自然との共存によって成り立っていた。
自給自足が当たり前という中男は畑を耕し女は子供を産み、裕福ではないにせよシアワセと言うべき時間がそこには確かにあった。幼い頃、私は確かにそれに触れていたのだから。



――そんな日常が急変したのは、私が数えで18になった寒い冬のことだった。


私はその日母からのお使いで少し離れた隣村まで出掛けていた。
貨幣制度もそこまで浸透していないものだから、物々交換によって生計が立てられるこの村。私たちの村の特産物と隣村のそれを交換するのは若者の役目であって、今回は偶々それが私の番であっただけだったのだが。

木々が林立する森を抜け、両手に畑を見渡す畦道を軽い足取りで辿る。久しぶりに会った顔なじみのおばさんに「綺麗になって」と誉められたものだから、気分よく鼻歌なんかも混じらせつつ。
そんな時ふいに出てくるのは幼い時分から母が口ずさんでいた簡単な童歌で、けれどどこに行っても誰もが知っている昔ながらの唄だった。

明るく優しいメロディラインは、私にとって母のイメージそのものだ。
一人で歩く夕暮れの道もこの歌さえ連れていれば淋しくはない。そんなこと18にもなって恥ずかしくて言えはしなかったが。



「…ん?」



と、畦道を半分ほどまで辿ろうかという時ふいに空を駆ける光が見えた気がした。
キラリと光っては物凄い速度で落ちていったそれに、流れ星か何かと目を凝らす。しかしまだ空は朱色に染まり始めたばかりで、ようやく東側では紺色が滲み始めているというくらいだった。

私はその時「珍しいこともあるんだなあ」くらいにしか思っていなかった。
それが幸いだったのか不幸だったのか、今となっては分かるはずもないのだが。




――村に辿り着いた私が見たものは、黒焦げになった大地にすっかり姿を変えた故郷だった。





「…え…?」



ドサリ。背中に背負っていた籠が肩から滑り落ちる。
まるで炎で焼かれたかのような惨状をすぐに理解できるほど優秀な頭脳は持ち合わせていない。目を見開いて震える唇で小さく息を吸い込めば、生臭い何かが焼ける匂いがぐっと気管に入り込んだ。

ガタガタと腹の底から震えが這い上がってくるのに、どうしてか足は固まったように動こうとはしない。まるでそこに村があったことすら疑わせるような光景なのに、どうしてか嫌に現実味を帯びている。



「…う、そ…」



震える声で漸く発したのがそれだった。
よろよろと覚束ないままにも何とか踏み出した右足。その後交互に足を動かし未だ火が燻る村に歩を進める。



「おとうさん、おかあさん…?」



小さな声で呼んでみる。しかし返すものは何一つとしてなく、ただ凍えるような風がひゅるりと駆け抜けるだけ。
私の家があった場所には既に何一つとして残っておらず、ただ焼け跡だけが空しく家の建っていた場所を四角く黒ずませていた。



「みん、なぁ…っ」



唐突過ぎる出来事に脳味噌の処理が追いつかない。
枯れたような声で言えば膝の力が抜け、私はその場にへたり込んだ。涙すら浮かばない。これが現実だと思えない。

ぶるぶると戦慄く指先が地面を引っ掻けば消し炭になったその下には見慣れた茶色が浮かび上がる。それがどうにも哀しくて切なくて、私は掻き抱くようにして地面に突っ伏した。


――と、その時だった。
完全に世界との関わりを絶とうとしていた私の耳に、がさりという音が聞こえたのだ。



「………ッ」



もしや、誰か生きていた?
そんな希望にすがりがばりと体を起こす。葉が擦れあうような音は次第に近付いて、私はよろよろと立ち上がったのだ。

しかし。



「…あ…?」



一際大きな葉摺れの音と共に姿を表したのは、この世の者とは思えないようなイキモノ。人間のそれにも似た体つきだが私なんかよりもふた回りくらい大きい肢体。毛むくじゃらなその腕には見たこともないような鉄砲らしきものが抱えられている。
しかし私が何よりも驚いたのは、その頭部がヒトのそれではなかったことだ。まるで狼や熊のような顔には表情はなく、瞳のない眼がぎろりとこちらを睨んでいる。

――死ぬ。
怖いとかいう感情をすっ飛ばして、私は本能的にそう察知した。

鉄砲(あとで知ることになるが、それは奴ら特有の光線銃だったらしい)を抱えているからではない。イキモノのはずなのに人形のような無機質な雰囲気が、呼吸を感じさせない薄く開いた口が、言いようのない恐怖を感じさせたのだ。
権威や力でなくただひたすら存在を恐ろしいと思ったのは、短い人生で初めてのことだった。


――逃げろ!
私は考えるよりも早く地を蹴っていた。どこへ逃げるとも、逃げ切れるとも分からないのにただ我武者羅に走り続ける。
背後から何かの足音が聞こえる。私を追ってきているんだ。怖い。死にたくない。



「はあっ、はあっ、はあっ」



不規則な呼吸で必死に酸素を吸い込むが、肺が燃えるように熱くなるのが一向に収まらない。開きっ放しだった目は次第に乾いて痛みを覚えたが、瞑ったら次の瞬間もう光を見れないのではないかと思うと、怖くて瞬くことさえできなかった。

助けて、助けて。
おとうさん、おにいちゃん、おばさん、



「…っお、おかあさ――」



切れ切れに呟かれた声は、最後まで発することなく風に飛ばされた。
背中に痛烈な痛みを覚えると同時に私の視界はぐらりと揺れ、次第に暗くなるそこから一気に闇へと突き落とされていった。









――次に眼が醒めた時、私は既に私ではなくなっていた。

訳の分からない機械が所狭しと並べられた一室。無機質なそこはこの世にありながら全てが息絶えているような雰囲気しか感じない。
のろのろと瞼を上げ眼を凝らすが、揺れるそこからは私が水中にいることを思い知らされた。



「…お目覚めか」



誰かの声が聞こえる。否、聞こえるのではない。頭に直接叩き込まれているようだ。
耳を経由せず聴覚に直に響くそれは、まるで機械の音声そのものだった。温かみなど欠片も感じない、魂の抜けた合成音。

ぼんやりとする視界には数人の人影が移りこむ。恐らくこの声はその中の誰かが発しているのだろうが、そんなのはもうどうでもよかった。
ただ静かに眠らせてほしかった。



「初めまして、我々は狗毘羅(くびら)という者だ」



そいつはコツコツと靴底を鳴らして私の方に近付いてきた。そっと手を伸ばされる。…触るな。



「………ッ!?」



そう思った瞬間、そいつは驚いて手を引っ込めた。私自身に触れはしなかったが、電流のようなものが走ったと喚いている。うるさい奴だなあ。



「まあまだ目覚めたばかりで本調子ではないのだろう」

「そうですね。とりあえず目的は達したし、気長に待ちましょうよ」



さっきの奴とは違う声がまた脳に響いた。頭が酷く痛くて割れそうな気がした。



「それにしても簡単な仕事だったな」

「ああ、まさかプロトタイプのクローンでことが済んでしまうとは」



――ズキン、ズキン
言いようのない痛みが波のように頭を襲う。顔を顰めてたかったが何故だか上手く行かず、抑えようと手を伸ばしたが肩から下がちっとも動こうとはしなかった。



「――とは実に非力な生き物だな」

「ええ…まあ我々の本懐はその明晰な頭脳を手に入れることでしたから」

「とは言えこんな幼い娘で良かったのですか?あそこにはもっと優秀な者もいたでしょうに」

「クローンの試運転も兼ねていたんだが…どうにも暴走気味なのがいたらしくてな」

「なあに、同じ――だ。脳の構造自体にさほどの違いはないさ」



何事か喋る声が怒涛のように流れ込んでくる。
痛い、頭が、割れてしまいそうだ。



「ああ…これで地球を手に入れるための下準備は整った」

「あそこは――を住まわしておくには勿体無いほどの星ですからね」

「いかにも」

「抵抗もされたが、取るに足らんものであったな」



「ハハハ、生意気ですね…










人間、風情ガ』









――ガガッ

その言葉を聞いた瞬間、視界と脳裏に激しいノイズがかけられた。
走馬灯のように蘇る記憶。どうやら新しいものもインプットされているようで、村が焼かれる様子が網膜に克明に刻まれるのが分かる。

その中に、一人逃げ惑うとある男女が見えた。見覚えのある後姿だ。振り返り、驚愕の色を灯す表情。
一瞬のうちに倒れこんだその二人はお互いに抱き合うようにして一瞬視界から消える。再びその人物が映し出される。今度は、顔のアップで――



『…―――』



女の方が、何事か口元を歪ませた。
零れた細い音は、耳慣れた名前を形づくっていた。



「…お、カあ」



手を伸ばす。呟いた言葉は本当に機械音のようで耳障りだ。
画面がザアッと崩れ始め、砂嵐が視界を覆う。



「…おっとしまった。ちと喋りすぎましたかな」

「いや、もう既にヒトとしての記憶は失くしているだろうよ」

「これからは我らのために働いてもらうのだからな。…そうだ、名前をつけんとな」

「じゃあこんなのはどうですか?クローンの生産ドッグ、擬似母胎装置の主、命の源という意味を込めて――」





地球語で、“マザー”と。










「…お母サん」










――『ブツンッ!!』










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