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□喜劇
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最早耳タコなその宣伝をBGMに私はこそこそとロッカールームへ移動する。が、しかし面倒なことに口うるさい社員のオバサンに見つかってしまい、足を止めざるを得なくなってしまった。



「…あー、オハヨウゴザイマス」

「はいおはようございます!それで貴女の朝は一体何時に始まっているのかしら?」



緑色の制服に身を包んだ人間がそこかしこで忙しく走り回っているこの状況下で、その人の纏う紺色のスーツは何だか異様である。

私の勤め先である“ミケネコヤマト”は国内でも大手の宅配請負会社で、私はそこでしがないアルバイトをやっている。何とか例の派遣切り騒ぎの余波も受けず今日も今日とてこうしてのうのうと働いているのだけど、それだって悩みがないわけではない。
その一つが、この目の前のお局様にあるのであって。



「そもそも貴女は遅刻が多すぎます!今月だけで一体何回目だと思ってるの!?5回よ5回!いい加減チンパンジーだって出勤時間くらい覚えますよ!」

「………」



キンキンと耳に痛いマシンガントークはここ最近私専用のものとなりつつある。顔見知りの社員やアルバイトが通りかかる度「またか」というような顔をしては、他人事なガッツポーズを見せてくるのも全てそのせいである。



「いくら若いからって貴女も社会人の一人でしょう?時間も守れないで何を運搬できるというのかしら!」

「…スイマセン」



どれだけ私の無能っぷりを公表したいのか、お局様は声高にその失態を上げ連ねている。まあよく回ることだと唾を飛ばすその大きな口を見つめていると、ふと気づいたことが一つ。



「(…あ)」



薄い唇にこれでもかと引かれたルージュの色が、普段と少しだけ違うのである。先日までは毒々しいまでのレッドを使用していたというのに、今日は可愛らしくローズピンクの色合いを呈している。

気がつくとそこここに見える小さな変化。いつも後ろでくくっているだけの髪型を複雑なアップヘアにしていたり、小綺麗なアクセサリー類は金の台に大粒のパールをあしらいイヤリングとネックレスがお揃いになっていたり。
まるで恋する少女かのようなお局様の装いにじっと視線を注いでいると、上の空になったのかと勘違いした彼女はまた何か文句を口にしようとした。



「ちょっとちゃんと聞いてるんですか、」

「佐原さん、今日何かあるんですか?」



無意識下のうちにそう問えば、一瞬きょとんとした顔つきを見せるお局様。疑問符を浮かべるかのようなその表情に変化のしどころをいくつか指摘してやると、開けていた大口をぐっと引き締めて慌てたように言い訳をし出した。



「こっ、これは別に何でもないのよ!ただ今日は新しい子が来る日でしょう?社員としてはこうしてきちんとした身なりで指導をしないと」



あわあわと身振り手振りを添えて話すその姿からは、先ほどの鬼婆のような姿は想像すら出来ない。

因みに“新しい子”というのは今度入ってきたバイト君のことだろうと予測する。高卒のフリーターとして働き始めるその面子の中に、女子社員から黄色い声を飛ばされるような美青年がいたというのだ(仲のいいバイトの子に聞いた)。確か名前は亀有君。
その言葉に私はははーんと目を光らせ、好機を得たりと内心ほくそ笑む。



「佐原さん、もしかして亀有君のこと言ってます?」



ニヤリと意地悪く顔を歪ませて言えば、焦って訂正を入れるお局様。こうなれば手玉に取ったも同然である。私は同僚たちから無理矢理聞かされた“亀有君情報”なるデータポットを脳内から引っ張り出し、あれこれと説明してやることにした。



「亀有君、確かロイスのチョコレートが大好きなんだそうですよ」

「…え?ろ、ろいす?」

「ええ。てゆうか甘いものに滅法目がないらしくて。常にポケットに駄菓子を常備しているらしいです」



可愛いですよね〜というヨイショも忘れない。笑顔の影でちらりと相手の反応を窺えば、両拳を握り締めて物凄い食らいつきを見せている。



「差し入れとかしてあげたら喜ぶだろうな〜。相当ポイント高いだろうな〜。亀有君思わず好きになっちゃうかもしれな「…ち、ちょっと出かけて来ます!」



私の台詞が途中だと言うのに、大きな音を立てて出て行くお局様。後に残ったのは彼女が通った道々に舞う散らばった資料やら埃やらで、開けっ放しにされたドアだけがキイキイという音を立てて空しく揺れていた。



「流石だねェ」

「いやいやそれほどでも」



その隙に私はロッカー室へと向かい、何事もなかったかのように通常業務に就くことにする。
着慣れた緑色の制服に袖を通しキャップを後ろ向きにして被って部屋を出れば、さっきの現場を見ていたらしい社員のおじさんにそんな言葉をもらうこととなった。






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