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□喜劇
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そんなこんなで朝早くに歩き回ったところ、水場だけでなく差し当たっての船内の様子を知ることが出来た。
「春雨」さんとやらのお宅であるこちらのお船はどうやらそれなりに広い造りになっているらしく、恐らく私が単独で行動したら漏れなく迷子になるだろう。そんな親切な水先案内人など望めないであろうアウェイ過ぎるこの空間で、では私がどのようにして船内を知ることが出来たのか。



「へー。じゃあ随分長いことこの船に乗ってるんですねえ」

「まあな…で、お前さんは?」

「あ、じゃあこの地図のこの赤いとこは?」

「ああそこは進入禁止スペースだよ。入ったら命はないと思った方がいいぜ。…で、お前さんは?」

「はー、聞いといて良かったあ!知らないで入ってぽっくりなんて、死んでも死に切れませんもんね!」

「………」



船の甲板とやらに相当するスペースで、私はとある人物と腰を据えて地図を睨めっこしていた。ざんばらな髪に無精髭を生やした、割と大柄なその人はどうやら随分と長くこの船に乗っている船員の一人であるらしい。

部屋を脱出したはいいものの、あっさりと迷子になってしまった私は程なくしてこの人と出会ったのだ。出会い頭に思い切り目を剥かれ、侵入者かと何故か彼が持っていた傘を向けられたのが1時間ほど前の話。
“かむい”と同じくらい素早い身のこなしに私の方が驚いたが、何とか説明に説明を重ねたら「…ああ」とか何とか頷いて納得してくれた。どうやらこの無茶苦茶な状況に理解のある人であるらしい。

と言うわけで傘を降ろしてくれたその人の好意に甘え、ついでとばかりに船内案内を頼んだのだ。勿論連れて回ってもらうのは迷惑だろうから、地図でいいからと言ってのことであるが。



「…ふうん、大体把握は出来ました」

「そうかい…そんならいい加減お前さんのことを」

「あ、これありがとうございます。お返しします」



二人して地図を床に置いてあれはなんだこれはどこだと延々説明を頂くこと30分強。見た目以上に強硬な造り、ものや人の運搬よりも何故か軍備に重きを置いたこの船の構造をそれとなく理解すると、私は地図をくるくると巻き戻しその人に手渡した。



「?もういいのか?」

「あ、はい。私こんなんでも宅配の仕事してるんです。地図のまんまとまでは行かないですけど、雰囲気だけ飲み込めればまあそれとなく動けると思うんで」

「へえ…」



外に出るや先程私に向けた傘をばっと差したその人が、そのために陰になった表情の中少しだけ目を見開かせる。
私も今まで一向に自慢の種にならなかった仕事をこうして活用できたことに大満足である。これまで何度も佐原さん(社員のお局様)に説教食らって生きてきたけど、こうしていつかは報われる日が来るもんなんだなあ。

少しずつ昇り出した朝日を眺め何となく感慨に耽ってみる。が、そこではたと我に返った。
ちょっと待て。仕事…仕事?



「ああああああ!!!」

「!!!」



いきなり奇声を上げ立ち上がった私に、相手をしてくれていた男の人はびくっと肩を揺らす。



「すいません、今何時か分かりますか!?」

「あ?ああ…えーと、もうすぐ8時になるとこだけ「しまったァァァァ!!!」



頭を抱え叫んでいると、心配げに「おーい」と声をかけられる。ああ貴方は何てお優しいんでしょうね。世界が皆この人みたいだったらいいのに!

しかし現実はそう甘いものではない。昨日の拉致による無断欠勤(っていうより中引き?)だけでもきっとあのお局ババアは怒髪天を突いていることだろう。それに加えて今日また遅刻でもしようものなら、次はクビを言い渡されるかもしれない…!
たかが一アルバイトでしかない私はいくら勤務が長いからと言って安心は出来ない。簡単に首を切るからとは佐原さんの常套句のようなものであって、今までの私だったら笑いのネタでしかなかった。けれど今日この状況下では笑うことなどできもしない。「クビ」の二文字を背景に、大きな死神が持ってる感じの鎌を携え佐原さんが高笑いをするという恐ろし過ぎる光景が脳裏に浮かぶ。



「ああああの色々とありがとうございました急いでるんで失礼しますっ!」



勢い任せにそれだけ言って、私は脱兎の如くその場を後にした。呆然としたまま取り残された男の人にはまた後日お礼が言えるといい。
そう言えば名前を聞くことすら忘れたということに後になって気づいたのだけれど、取り合えず差し当たっては「ヒゲさん」というイイ感じのあだ名で呼ばせてもらうことで手打ちにして頂きたい。



「…まーた団長は妙なのを拾ったもんだねェ」



色々とそれどころではなかった私はヒゲさんがそう呟いたことにも気がつかなかった。まあ気づいていたら何かが変わっていたかと言えば、きっとそんなことはないんだろうけども。






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