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□喜劇
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コツリ。最後の靴音が鳴らされれば、蛍光灯の元にトロイさんの端正な顔が晒される。心配げに潜められた眉は“かむい”からの暴力がどれほどのものかを物語っているようだ。
それに慌てて両手を振ると、ほっと息を吐き出すトロイさん。おかしいな、こんな優しい人に恐怖を感じるなんて殴られ過ぎて私もどっかおかしくなってしまったのだろうか。



「ほんとに何でもありません…あ、トロイさんもご飯ですか?」



何とか話題を逸らそうと、当たり障りのないような会話を振る。するとその意図に気づいてくれたのか、やはりトロイさんはにこりと微笑み。



「…ええ、たった今終えたところですよ」



柔らかくとろけるように笑うものだから私まで嬉しくなってしまう。


本当に、どうしてこの人がこんなにも物騒な場所にいるんだろう。勿体ないなといつも思ってしまう。彼ほどの人柄なら、いくらでも仕事を選べただろうに。
しかしそう言うと、決まってトロイさんは照れたように頭を掻く。そしてこう言うのだ、「僕にはここが一番あっているんですよ」と。

まあ職業選択の自由とはよく言うし、私が彼の選択に口を出せるかと言えば否である。どこに魅力を感じたんだかは分からないが、取り合えずトロイさんはここにいるのが性に合っているというのだからきっとそれでいいのだろう。
私個人の意見としては、早い所下剋上でも何でもしてあの傍若無人な団長様とやらを引き摺り下ろして欲しいものである。


その後は夕食の話だとか他愛もないような会話を一つ二つ取り上げて、互いにくすくすと笑い合った。一日の終わりにこうして穏やかに笑えるということがどれほど幸せなことであるか、皮肉にもここに来て初めて分かったような気がする。
まだ仕事があると言うトロイさんと別れた後も、あのふわふわとした気持ちは続いている。彼はまるで戦場に咲く一輪の花のようだ。男の人に花なんて表現もどうかと思うが、私にとっての癒しなのだから決して間違ってはいない。

るんるんと軽い足取りで部屋へと戻る。この先に待っているのが例え物置部屋の硬質なベッドだろうとも、今日だけは何だかいい夢を見られそうな気がした。


そしてそんな私を遠方から見つめる二対の瞳。窓越しに私を見やる、穏やかな笑みは先程まで顔を合わせていたトロイさんのものだ。
ふふふ、と意味深に綺麗な笑みを浮かべるその人。「可愛いなあ」とどこかのご主人様のような口調で呟やかれたその真意に、私が気づくのはもう少し先の話である。





***



――その頃。

廊下から漏れ入る蛍光灯の弱々しい光だけが、その一室にある照明だった。室内は暗く、ただ真四角く切り取られたその明かりだけが入り口から部屋の中央部分までの床の色を明るく変えている。



「…まーたやられたか」



コツリ。靴音を鳴らして室内に侵入した阿伏兎は、部屋の中央に座り込んで小さく一人ごちた。次いで、重苦しい溜息を吐く。
その部屋からは異様な程の血臭が溢れていた。不審に思って中に入れば、なるほど惨劇の後だったようで。



「ったく、一体どんだけ殺したんだか」



暗がりにあってもよく分かる、部屋中を染める赤黒い液体。既に凝固し始めているそれにツ、と手を伸ばせば、既に冷たくなったそれが指先にぬるりとまとわりついた。



「あーぶーとー」



と、そこで背後からかけられる軽やかな声。振り向かずとも誰だとは明白である。



「団長」



蛍光灯の光を背負いながら入り口にもたれてニコリと笑う青年。これだけの異臭を前に崩れないその相好は、相対する者に却って恐怖を与えるものであった。
桃色の髪は影かかってその色を深くしている。振り向いた阿伏兎の視線を受け流しながら、「うーん」とか言いつつ青年は室内に踏み入った。



「あちゃー、またやられちゃったか」

「ああ…もうこれで何件目になるか」



軽く空き巣にでも入られたかのような口調であるが、この現場で起きたのは紛うことなき悪夢である。部屋中に飛び散った血飛沫がそれを克明に表しており、犠牲者はきっと一人ではなかっただろうことも容易に想像できる。


――この数ヶ月間、ここ宇宙海賊春雨第七師団の戦艦において不可解な事件が多発していた。それは、団員の原因不明の失踪。






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