jam

□喜劇
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――ばき…ッ!!抉るようなスクリューアッパーが私の顎を捉え、天井近くまで打ち上げられたかと思った瞬間腹部に物凄い痛みが走った。
痛いと思う暇もない。ぐらつく視界に映るのはへらへらとしたあの笑顔。畜生と、詰まる気道に構わず口だけを動かせばしかし相手は至極楽しそうに笑って見せた。



「生意気だなあ」



笑いながら発される言葉は、本当に飼い主がペットに投げかけるかのような軽やかさ。蝶でも止まるんじゃないかと言う和やかな雰囲気にも関わらず、私の体は壁に突き飛ばされ強かに後頭部を打ってしまった。
ぐにゃりと世界がたわみ始め、私は得も言われぬ気持ちの悪さに襲われる。そのままふっと電源が落ちるかのように意識は暗転、残響する音はただ春の日のそよ風のような柔らかさでくすくすと笑い転げてた。






「………」



水が湧き出るかのような感覚。意識が浮き上がるのは妙な浮遊感を伴ってのことだった。
ぼやける視界に見える景色は薄汚れていて、ぼんやりと光るのは蛍光灯、その周りは埃に塗れた天井であることが容易に分かる。

ぐらぐらする頭も気にせず身を起こせば、ずきりと激しく後頭部が痛んだ。…あんのバイオレンス野郎め、思いっ切り蹴り付けてくれやがって。
痛みのついでに込み上げる怒りを隠そうともせず舌打ちをする。するとその音に反応してか、物陰からすっと立ち上がる人影が合った。



「あっ、目が覚めましたか」

「!」



衝立と言うにはおこがましい、薄いカーテンの向こうから柔らかな声が聞こえる。遠慮気味にひょっこり顔を覗かせたのは、ここ数日で何度か見かけた顔だった。



「あ、えーと貴方、トロイ、さん?」



不躾にも指を差して言えば、にこりと笑んだまま頷くその人。数日前にも“かむい”の理不尽な「躾」とやらにより気を失った私を介護してくれた優しい人だ。
“かむい”たちとは違う種族であるらしい彼は、しかし他の船員に比べればずっとヒトに近い容姿を持っている。特徴と言えば不思議な色の瞳と尖った耳くらいのもので、最近ファンタジーものの映画をよく見ていた私に取ってはそんなもの違いというものにも入らなかった。

どうやらここは船の医務室であるらしい。医者など乗船していないというのに申し訳程度に設けられたその一室は、私の暮らす物置部屋とさほど変わらない狭さ及び暗さである。



「すいません、またご迷惑かけちゃったみたいで」

「いえ、気にしないで下さい。僕なんかまだ下っ端中の下っ端ですから」



ぺこりとお辞儀をすれば慌てたようにお辞儀を仕返すその人が可愛らしい。

恐らく私より年上であろうに腰の低いトロイさんは、この船にあって私に次ぐ「異質」なお方だった。血気盛んと言うか、最早殺気立っちゃってる人たちが多数乗船しているこの船において、こんなにも他人を気にかける性格は珍しい。どうしてこんな殺伐とした船に乗ったのかと聞きたくなってしまうくらい、その人の優しさは私にとって有難いものだった。



「下っ端だなんて!私トロイさんがいなければ今頃出血多量とかで死んでますって!」

「そんな大袈裟な」

「いやホントに!」



拳を握り熱く語る私にもくすくすと穏やかな笑いをくれる。
近頃ではすっかり私のオアシスとなったトロイさんは、私より数ヶ月前に入団したばかりの新人さんである。そのため任される仕事は雑用がほとんどだと言うのだが、その中に私の看病というものまで含まれてしまっているあたり、申し訳ないやら悲しいやらでこちらとしては何とも言い難い状況となっていた。

阿伏兎さんも優しい部類に入るけど、この人には敵わないだろうなあ。基本的にあの人は放任主義っぽいから、構ってくれる時とくれない時の差が大きすぎるのがネックなのだ。
それに比べトロイさんはいつでも声をかけてくれるし、話を聞いてはつまらない冗談に笑ってくれる。

ここに来て初めて得た「日常」に私は物凄くテンションが上がっていた。それはもう、思わず顔に出てしまうくらいに。






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