jam

□喜劇
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――ザア…ッ
夜半から降り出した雨は日中になっても続いており、今も激しい風を伴って船の窓を叩いている。

こんな日にも停泊をしようとしない無謀な船は一体どこに向かっているのだろうと考える。一応宇宙船であるとは聞いているから、きっと信じられない程の高度に昇っては地球を見下ろしたりもするんだろう。
しかし実際に乗船しているはずの私にその実感はない。今だって外を覗き込めば一面に黒い景色が続いており、時折遠くで蟠るような雷鳴が白く稲光を燻らせて見えるくらいだ。例え今この瞬間宇宙に飛び出したとしても、きっとこれでは何一つ分からないんじゃなかろうか。

冷たい窓に張り付くような体勢でいたら、そのまますうっと熱を奪い去られるような気分になる。くっつけたおでこがやけに冷たい。
小さく吐いた溜息は瞬間窓を白く曇らせたが、すぐに黒い景色に取って代わられてしまう。こんな吐息の欠片ですら私はこの船に残せないのかと思うと、何だか悲しくて、とても可笑しかった。



『神様の威を狩る兎だよ』



こんな日には、どうしてもあの言葉が私の脳裏を駆け巡る。一人になると色々考えてしまうからだろうか。

あの時見せた神威(ようやく発音を覚えた)の表情は、これまで見たことがなかったものであったように思う。寂しげとも優しげとも取れない、凪いだ海のような青い瞳。俯いたせいで光を映さないそれはとても深く、どこまでも底が見えない。
何かを諦めたような、何かを決意したような。深淵を知らない私には決して出来ない表情を浮かべた神威は、だけどどうしてか何かを渇望しているような気がしたのだ。
それが何であるかなんて、私に分かるはずもなかったのだけど。

ごろり。することもなく手持ち無沙汰な私はひたすらベッドの上で寝返りを打つ。
夕食時に見る神威のそれとは弾力・大きさ・快適さ共に大きく劣る私の寝床は、本当に動物のために誂えられたもののように軋んでいる。相変わらず脚は腐っているし、何ていうかシーツも湿っぽい匂いがするし。
見上げれば無表情な天井には剥き出しの裸電球が一つぶら提げられていて。快適に運行しているように見える戦艦が、その揺れを見る限りではかなり風に吹き殴られていることが分かった。



「…なーにやってんだかなあ」



呟かれた言葉はあの日の神威の言葉よりも簡単に空間に消滅してしまう。
最初こそ嫌悪感しか覚えなかったここでの暮らしも、最近では私の日常の一部と姿を変えてしまっている。全くおかしな話だと嘲笑するが、思い出した記憶が既に遠く色褪せていることに焦る自分も感じられなかった。つくづく人間とは適応力の高い生き物である。


――コンコン
何度目かの寝返りを打ったその時、控えめなノック音がドアを叩いた。差し当たって取り付けられたその扉は蝶番が緩んでキイキイとうるさい。元々この部屋のものではなかったのか(というか他の部屋は基本的にオートロックの自動ドアである)、サイズが合わないそれは隙間風が吹き込んであまりその役割を果たしていないようにも思える。

さて誰だと知り合いの顔を思い浮かべたが、この船にあって私と接触を持とうとする者は限られていた。うち一名は進んで私の部屋を訪ねることなどしなさそうだし、うち一名は尋ねたとしてノックなど控えめなことはしないだろう。有無を言わせずドア粉砕という光景がいとも簡単に目に浮かぶようだ。
となれば残るは後一人。私を訪ねて来る用事というのもあまり思い浮かばないが。

思いつつベッドから腰をあげ、はいはいとばかりにドアノブに手をかければキイイと高い音を上げてドアは内側に開かれる。すっと細く入り込んだ蛍光灯の明かりの元、立っていたのはやはり予想した人物だった。



「トロイさん」



名を呼べばにこりと笑みを返すその人。実はここ数日顔を合わせていなかったのでどうしたのかと思っていたのだ。
「今、お時間大丈夫ですか」紳士然として問うたその人に勿論と私も笑って答える。ああ良かったと胸を撫で下ろす姿がとても好ましい。



「お邪魔します」



尖った耳の後ろを掻きつつ遠慮気味にトロイさんは入室する。
付き合いもしていない男性を部屋に上げるなんてと、これまでの私なら思ったであろう。が、ここでの暮らしでそんなか弱いことは言っていられないのだ。それにトロイさんに限ってと思った自分もいたかもしれない。

決して広くはない部屋の中央にどうぞと言って腰掛けさせる。そう言えば出せるような茶菓子の一つもなかったのだ。しかし気づいて頭を抱えた私の心情を読み取ったかのように、トロイさんは「お気になさらず」と言ってくれた。



「でも、お腹空きますよね?」

「大丈夫ですよ…すぐに、ご飯ですから」



にこり。落とされた笑みは相変わらず優しげでほっとする。
トロイさんの言葉にそう言えばと視線を外に向けるが、そこではやっぱり激しい雨模様が繰り広げられているだけで時刻を知ることなど出来そうにはなかった。






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