jam
□喜劇
3ページ/3ページ
――ぐしゃ…ッ!
何かが潰れるような音がして、そうして部屋から一つの呼吸が消えた。最期に残されたのは小さな断末魔で、私は目の前で命が散ったのを悟る。
「…と、ろい、さ」
見開いた目に映るものはもう何もない。血に塗れた顔は悶絶の色を浮かべていて、きっと最期まで苦しんだろうことが窺える。
悲鳴すら上げられない私など意にも介さず、傘を引き抜いた神威はすたすたとこちらに歩み寄った。
「ねえ、」
ぐっと、思い切り首輪を引かれて私は呻き声を上げる。引き攣れた皮膚が痛い。溢れる血が気持ち悪い。
「ど、して…殺したの…?」
「ん?だって目障りだったから。別にいいだろ、消えて困るような命じゃない」
にこり。まるで作り物のように完璧な笑顔を浮かべるその人に、私は言いようのない感情を覚えた。恐怖と怒りとをどろどろに混ぜ込んで沸騰させたような、半凝固体の汚い気持ち。
気づけば右腕が宙を舞って。目を見開いた阿伏兎さんにも構わず、私は目の前の男の左頬を思い切り張り倒していた。
数秒して、のろのろと左手を添える神威。肩で息をする私はその様すら睨みつけて、汚い言葉をこれでもかと投げつけた。
「最低!助けてって言ってたのに…まだ、やり直せたかもしれないのに!」
「………」
「消えて困らないなんて誰が決めるのよ!少なくともアンタなんかじゃないでしょ!」
言いたい放題の私に構わず、神威は暫く呆然とした視線を虚空にさ迷わせる。きっとこの声も届いてはいないのだろう。
もしかしたら、殺されるのかもしれないなあ。熱くなる言葉とは裏腹に私の思考は嫌に冷めていて、きっとそんなんだから心の中できつく締めていたはずの蓋がゴトリと音を立てて外れたのかもしれないと思った。
「…弱い奴が、嫌いなら、」
「………」
「なんで…何で私を殺さないの」
何で、私を傍に置くの。
溜まっていた感情が涙となって溢れ出た。拭うこともせずにいたら、恐らく飛んできたガラス片あたりで傷つけたのだろう、頬がピリピリと痛みを伝える。
「…もういやだよ…」
「………」
「もう…つかれた」
呟いた言葉はやけに空間に響いた気がした。既に給湯室とも呼べないそこでは端の方で水道管でも壊れたのか激しい水飛沫が噴き上げられている。
水の飛沫を浴びる廃墟はどこか美しい。まるで惨劇があったなどとは思わせないようなそこには、桃色の光が乱反射しているようだ。
「…お願い」
だけどもう、私にはこの人の傍で地獄に耐え得るだけの力が残されていない。ならばせめてと、私の口はその意図と関係なく勝手に台詞を形作る。
「…いらないなら、私を殺して下さい」
飛び散る血飛沫に地獄を見た。たった一回で何をと言われるかもしれないが、それだけ私が弱かったという話なのだ。
人間は死という現象に弱い。ほんの一秒、一瞬の絶望が、全てを奪ってしまうのとも言い切れないから。
言った私に神威は視線を返した。相変わらず底が見えない、美しい青を湛えている。
「…団「わかったよ」
そして返される言葉は了解のそれ。死刑宣告と同じなのに、どこか安心している自分はやはり血の毒に犯されているような気がする。
「結局アンタもつまんない人間だったね。情だの何だの言ってるうちは強さなんて手に入らないよ」
「………」
「言うことを聞かないペットなんて、要らないから」
言って神威はすっと傘を掲げた。ガシャコンと物騒な音がする。照準は、私の眉間辺り。
「――おい、団長!」
「阿伏兎は黙ってて」
ああ、死ぬんだなあ。どこかぼんやりとした意識の中でそう思った。
怖いとさっきまで叫んでいた心臓も今は嫌に穏やかだ。ただ頬を伝って止まないこの涙だけは、どうか許して欲しい。
「じゃあね、ミケ」
綺麗な唇が私の「名前」を象った。
一見ただの傘である彼の武器はどこが引き金なのか分からない。いつ弾丸が私の眉間を貫くか分からない――その様が、酷くこの武器の持ち主に似ているようで。
ふっと、胸中に穏やかな風が吹いた。まるで彼の瞳に浮かぶ海のよう。
それが何だか可笑しくて、私は笑ったのだと思う。僅かに引き攣った首筋の皮が少しだけ痛みを訴えた。
「………」
随分死は穏やかなものであるようだ。今まで経験したことはなかったから分からなかったけど。
…トロイさんも、こんな気持ちで最期を迎えたのなら良かったのに、なあ。
ふと、神威の表情が止まった気がした。歪んだとかではなく文字通り止まったのだ。もしかしたらそれは感情を吐露しない彼の防衛本能によるものだったのかもしれないが、その原因を私が知ることはこの先ないんだろうと思う。
「…さよなら、かむい」
出来るなら、私のことは忘れて欲しい。貴方の見る地獄の中、横たわる死骸の一つになるなんて死んだ後だって真っ平ごめんだ。
私の最後の負け惜しみ