jam

□喜劇
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――ウィィ…ン
機械の作動する小さな音を上げてドアがスライドする。生活感のないその一室に阿伏兎が戻って来た時、部屋の主はごろごろと布団の上でだらけている最中だった。



「…取り合えず最奥の独房に突っ込んどいたぜ」

「んー?ご苦労様ー」



布団の上を転がりながら言う上司に少なからず溜息が漏れる。その様子からは先程まで死闘を繰り広げていた姿は考えられない。しかし脱ぎ捨てられた衣服から感じるのは紛れもない血の臭いで、ヒトならざる者に通っていたその独特な臭気に阿伏兎は小さく顔を歪めた。



「ねぇお腹空かない?適当に何か見繕って来てよ。あ、あとそれからその服汚れちゃったから捨てといて」

「…アンタなァ」



まるで子供のような物言いはいつものことである。しかし今回は付き合いの長い阿伏兎でさえも異常と感じる事態。
一方では貧血で足元すら覚束ない少女がいるというのに、同じ船内でこれほどの違いがあるだろうか。



「(まあ…俺たちも“異常”なイキモノだからなァ)」



自嘲気味に腹の中でそれだけを思い頭を振る。霧散した考えをどうすることもなく、阿伏兎は散らかる衣服を取り上げて部屋を去ろうとした。
――のだが。



「…なあ、一つだけ聞いてもいいか」

「ん?」

「アンタ一体あの娘をどうしたいんだ?今回ばかりはさっぱり意図が読めねェんだが」



振り返らず言った言葉に神威も大した興味を向けずに反応する。が、質問とやらの内容を聞くなり、ごろごろと遊ばせていた手足をぴたりと止めた。



「…どうしたい、ねえ…」

「アンタのこったろうからどうせ性欲処理なりお人形ごっこなりに使うんだと思ってた。けどそんな風にも見えねェし、かと言って傍に置こうとするわけでもない」



阿伏兎の脳裏にはついさっきまでの出来事が思い出されていた。
「殺して」と震える声で言った少女に、表情一つ変えずに頷き返した神威。「ああこれで終わりか」とらしくもなくほんの少し惜しがる気持ちを感じもしたが、死に関して自分はこの上もなく淡白である。せめて最期だけは見守ってやろうとその場を動かずにいたのだが、結局彼女の血があの狭い部屋に散ることはなかった。



「愛だの情だの、そんなモンは俺たちにゃ必要ねェんじゃなかったか?情けをかけた所で得するような存在じゃねェだろうに、アンタは攻撃を外した」

「………」

「大体あれを拾ったってことからして解せねェんだよ。少しでも疑わしきはこれまで即座に手にかけて来ただろうが………もしや名前をつけて首輪を与えた途端に情が移ったか「阿伏兎」



畳み掛けるように言葉を並べていたその矢先、名前を呼ばれて阿伏兎はびくりと肩を揺らした。それほど大きな声だったわけではない。寧ろ穏やかにすら聞こえる声音だったのに、それにはこれ以上もないほどの殺気が含まれていて。



「何が言いたいのかよく分からないんだけど。俺がいつ情をかけたって?言っただろ、あくまでも傍に置くのは俺を楽しませて欲しいからだって」

「………」



にこり。そんな音すら聞こえるほどに綺麗に笑んだ上司。しかし背中越しにすら伝わるその威圧感に、阿伏兎は今にも膝を折ってしまいそうだった。



「まああの様子じゃ俺が手を出さずとも死ぬと思うけどね。女を殺すのはあんまり趣味じゃないんだ、それだけだよ」

「…そうかィ」



まるで目には見えぬ刃を首に突き立てられているような圧迫感だった。体勢を直し殺気を収めた神威に緊張感が解かれる。どっと吹き上がった冷たい汗が背中を伝うのを感じ、阿伏兎は苦しげに目を細めた。



「ほらほら、阿伏兎が変なこと言うから余計にお腹が減っちゃったじゃん。罰として30秒で戻って来なよね」

「…無茶言うなって」



神威の言葉に漸く阿伏兎が苦笑を浮かべられるまでになる。が、それとほぼ同じくしてけたたましくドアがノックされる音が響いた。



「――何事だ」



途端表情を引き締めた阿伏兎。扉の向こうに殺気を放ちながら問えば、恐らくは部下の一人であろう天人がくぐもる声で答えた。



「緊急事態です、先程団長に殺害されたはずのトロイという男の遺体が遁走した模様です」

「…は?」



突拍子もない報告に阿伏兎は大きく目を見開く。
傘で、胸を一突き。苦しげに喘ぎ顔面をぐちゃぐちゃにしたまま男は果てたはずだ。最期に呟かれた言葉まで鮮明に覚えている。



「見間違いじゃねェのか?アレは確かに死んでいたはずだが」

「報告ではそうなっているんですが…」



兎に角現場にいらして下さい。部下の言葉に阿伏兎は神威を振り返る。すると何事か考え込むように顎に手を当てていた神威が、一足飛びで扉付近まで近寄り。



――バキャァ…ッ!

「ひ、ひ…ッ」



繰り出された強靭な回し蹴りに扉の向こうに居た天人が情けない声を上げる。中心からガラガラと崩れたのはこの部屋のドアだったはずのもので、しかし破壊した張本人はにこにこと絶えず笑みを浮かべている。



「…オイオイ、何も壊すこたァねーんじゃねェの」

「ああごめんごめん。後で修理しといてよ」



無茶を仰るとこめかみに手を当て溜息を一つ。瓦礫を軽快に飛び越えると、項の上辺りで結ばれた三つ編みも踊るようにふわりと揺れた。



「…いいね。楽しくなって来たなあ」






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