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□喜劇
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――ほぼ同時刻。がなり声が響くメインフロアから少し離れた廊下にその人物はいた。
ジジジ…と頭上の蛍光灯が今にも切れそうに明滅を繰り返している。その下に照らし出されるのは、美しい桃色。長い髪を後ろで三つ編みにくくり、それをまるで尾か何かのように優雅に揺らしながら神威は長い廊下を歩いていた。



「…ふあーあ」



非常時にも関わらずまるで隙だらけというような風体で欠伸さえかまして見せる。それでこそこの人物が人物たる所以なのであろうが、その能天気さはこの状況下にあってはどこか異質かつ恐ろしいもののようにも思えた。
カツカツと踵を鳴らして長い廊下を歩く。ほぼ直線上に敷かれているにも関わらず、そこに続くのは只管の闇。不気味な雰囲気も相俟って常人ならば多少は尻込みするようなその場所に向かい、しかし神威はどこか楽しげに歩を進めていた。



「うーん、こっちかなあ」



宇宙一を謳われる戦闘種族とは言え特別に嗅覚が発達しているわけではないのだが、彼はどこか獲物に対して鼻の利く処があった。人はそれを第六感、もしくは本能と呼ぶのだろうが。

トレードマークの明るい髪を揺らしては軽快に闇へと続く廊下を歩いていく。その青い瞳に映るのは待ち受ける闘いに対する興奮のみであり、船を襲った奸賊を討つだとかそう言った大義名分は一切掲げられていない。
血の舞う戦場こそが自分たちの生きる場所だとかつて彼の師匠はそうのたまった。自分の後ろにはきっと屍しか残らない。見据える世界は、きっと地獄と違わぬものであろうと。




***



「―――っ!?」



それは、何度目になるか分からない体当たりをかまそうとした矢先のことだった。急に何かに片足を取られ一気にバランスを崩したかと思えば、床に叩きつけられる瞬間にふわりと宙に体が浮く。
何事だと暗闇に目を凝らせどそこに“何か”を見ることは出来ない。ただ異質な物体が私の目の前にはいて、そして右足と胴体を捕らえている――触れることでしかモノを感知できないこの状況にあって、私が確信できるのはたったのそれだけ。相手が敵であるか味方であるか分からない…とは言え、少なくとも良心的な人物ではなさそうなことは分かったが。

声にならない悲鳴を上げ、私の体は宙に投げ出される。足と腰を捕らえられたままぐんと持ち上げられ、不安定な状態で私は必死にもがいて見せる。



「く…っ、な、なに…」



ギリギリと締め付けられる腹部が苦しい。どうやら相手は人間ではないらしい。時折聞こえるはあはあと荒いだ息が耳障りで、その度にぞわりと鳥肌が立った。

と、次の瞬間私は暗闇の中に小さな光を見つけることとなる。勿論それは外界から漏れ入るものなどではない。暗がりに浮かび上がるかのように揺れていた小さなそれ。私と目が合うと同時にニタリと歪んだその光は、どうやら相手の瞳であるようだ。
まるで歓喜を湛えるかのようなその揺らぎに私は背筋を嫌なものが走り抜けるのを感じた。何かなんて分からない。けれど、私はあの光を知っている。



「…と、ろい…さん?」



最早その名では呼べぬ姿を最期に見た。しかし私がそこに見たのは、ほんの数時間前に襲い掛かってきた、あの瞬間のトロイさんの瞳そのものだったのだ。



『…セロ…ワセロ』



私の問いかけに反応してか、相手がもぞもぞと蠢くのを感じる。形をなさぬ、まさに塊というに相応しいようなそれ。大きさも重量も分からないけれど、圧倒的な威圧感にぶわりと全身から冷や汗が流れ出した。



「…な、なに…?」

『オイシソウ…クワセロ…!』

「………!」



はっきりと声が聞こえた頃にはもう襲い。暗闇の中、音もなく伸ばされた腕のようなものに私は捉えられてしまう。



「っ!」



どぷり。悲鳴も上げられず何か液体のようなものに包み込まれる。それが相手の“腕”に捕まった感覚なのだと理解するのには暫しの時間が必要だった。



「(何これ…!?)」



まるでゼリー質のようなその感触。ぶよぶよとして手触りは人間のそれとはかけはなれていて、一気に私を恐怖が襲いかかった。
この後私はどうなってしまうのか。歯を立てられた首筋に一気に痛みが蘇る。駄目だと思いつつも曇る視界は押さえきれず、私は目頭が熱くなるのを感じていた。



『ニンゲン…ニンゲン、スキ』

「う、うーっ!」



ニタニタと目と口だけが暗闇に形を描く。ぼんやりと浮かび上がるそれに戦慄が走り、口を押さえつけられたままで「食べないで」と必死に懇願した。



『…ンー』

「ううううーっ!ふゔーっ!!」

『ウル、サイ』

「―――!」



しかしそこで真横から強烈な打撃がかまされる。脳味噌を直接揺らすかのような衝撃に私はとんでもない眩暈に襲われ、一気に全身の力が抜けるのを感じていた。



「(く、そ…!)」



ぐわんぐわんと撓む視界。救いなのはここがただ只管の暗闇だということだろうか。
胃の中のものがせり上がるような感覚に陥り、眩暈と吐き気の中で私はぼろぼろと涙を流した。






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