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□創世記;零
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荒い息が喉を熱く焼け付かせる。纏った白いワイシャツにはじっとりと汗が滲み、日本の夏ならではのじめじめとした高湿の気候に乾かされることもなく俺の肌へ纏わりついた。
うざってえ。そう思うもそれを引きちぎるなど未だ理性の残る俺の脳では出来るはずもなく、ただ一層眉間の皺を深くすることによって外部にその嫌悪感を知らしめることしか出来なかった。
所詮人間なんてそんなもの。出来ることなんてほとんどないに等しいのだ。

――バアン!けたたましい音を立てて、その古びた扉は開けられた。
立ち入り禁止と書かれた看板を踏み越え、熱い二酸化炭素の集まる踊り場を駆け抜ける。扉をブチ壊し飛び出せば、眼前にあるのはただ果てしもないスカイブルー。



「――っぅあッ!!」



ここまで息を止めていたのではないかと思うくらいに、俺は空気を吸い込んだ。肺に流れ込む酸素がやや熱を帯びているのを感じ、この臓器をじりじりと焼いてくれればいいと思った。そうでもしないと痛みも苦しみもどこかフィルターがかったようで、俺には認識することができないのだ。

相変わらず理性は残っているようであるが、しかしそのプラグは脳幹から外れているようだった。まさにギリギリのラインというところ。あと少し、軽くショートでも起こしてくれたなら、俺は今にでもここから飛べただろうに。

ふらつく足取りでその場でたたらを踏む。くたびれた校舎の屋上とは言え流石に4階ともなるとそれなりに高度がある。
情けなくも生にしがみ付こうとするのは俺の本能で、緑がはげかかったフェンスに手を置いた瞬間どうしようもない恐怖に駆られた。どうしたって人間は、鳥になんかなれないんだ。



『…俺ァ、俺ァアンタを一生許しやせん』

「………」



――アイツの後を追おうだなんて、一人で楽になることなど許されてはいないんだ。


フェンスに寄りかかった体勢でずるずると座り込む。丁度授業が始まった頃だろうか。ちらりと時計を確認するが、何だかそれもどうでもよくなった。もういい。何もしたくはない。
ごろりと寝転がり天を見上げた。憎たらしいくらいに空は晴れ渡っていて、きっとその上には天国なんてないんだと思わせる。そんなものがあるのだとすれば、その上にいる奴らは下界にこんな青を投げ掛けようとは思わないだろう。
アイツだってまだ地上に縛られて、どこかで途方にくれているに違いない。そう、あるといい。

随分歪んだ考えではあっただろうが、その時はただそれだけが俺を慰めていた。そんなものなどいらないと思いながらも、やはり何かに縋らなければ生きてなんていけないのだ。
誰にも甘えることをせずに生きてきたせいか、思考は既にショートしかけていたらしいが。



――ガシャ…ッ



そしてそのまま眠ってしまえと、軽く目を閉じかけた時のことだ。
一人きりだと思っていたその空間の右手から、フェンスに重力が掛けられる音がした。風に揺れるような静かなものではない。小さな軋みを含んだその音は、確かに俺の鼓膜を震わせて。



「…な…ッ!?」



一体何だと思いつつ、安眠を妨害せんとする音源へと目を向けた。
そこで俺は未だかつてないほどに目を見開くこととなる。不届きな野郎だったら憂さ晴らしに一発お見舞いしてやろうと思っていた矢先のことだったから、余計にだったかもしれない。

屋上の片隅、丁度フェンスが交差する一角にて。
紺色のスカートをはためかせ、とある女子生徒が天に向かって腕を伸ばしていたのだ。

全てがどうでもいいと思うには俺は理性的過ぎたのかもしれない。兎に角その時はただ「やべえ」と、そればかりが思考を駆け抜けて。
気付いたらその場所に向かって全力疾走をかましていて、気付いたらそのひらひらと揺れるセーラー服の襟首を引っ付かんで思い切り手繰り寄せていた。



「うわあ!!」



何とも色気もへったくれもないような声を挙げて、その女は俺の上へと倒れこむ。別にクッションになってやる気はなかったのだが、落ちどころというか俺の引き方が悪く、見事に俺はその役を演じてしまうハメになった。



「ぐえっ!」



蛙が潰れたような声を上げつつ女生徒の体を受け止める。腹部への圧力は半端なものではなかったために、助けてやったはず俺が代わりに悶絶することになった。



「げほげほっ、ごっほ…!」



腹部に乗っかったままの女を転がし、俺は荒い息を咳と共に吐き出しつつ四つん這いになる。じんじんと声を上げて叫ぶかのように痛みが腹から広がるのを感じた。
転がされた女は未だ仰向けになって地べたに寝転んでいる。呆けたようにそのままの体勢でいるのを見ると何故か苛々して、苛々ついでに一喝くれてやろうと俺はそいつの頭の上辺りまで歩を進めた。



「オイコラ」

「………」



のぞき込むようにして見た女は阿呆のようにきょとんとした表情で瞬きを繰り返している。俺の声が聞こえていないのか、はたまた状況が飲み込めていないのか――大きな瞳をばしばしと開閉させつつ、青空を見上げたまま口を開いてこう言った。



「…びっくりしたあ」






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