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□喜劇
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「無様だね」



これがかつて夜兎の頂点に君臨した男の最期。戦いの末に辿り着いた、末期の姿かと思うと。
きっと俺の声ももう届いてはいないのだろう。伸ばした指先からは皮膚がボロボロとこぼれ落ちた。それほどまでに太陽を――日輪を欲していたとどうして気づかないふりをした?それこそアンタが持たないといった、愛だの情だのいうモンじゃなかったの?



「…愛、ねえ」



呟いた言葉はどこまでも広がる青い空に飲み込まれた。吹き抜ける一陣の風は万延する闇を浄化するかのようだ。…まあそれも、一時的なものではあるだろうけど。

ちらりと目をやると鳳仙は日輪に、そして吉原の女たちに看取られ目を閉じるところだった。柔らかに笑んだ横顔、それがあの男の辿り着いた場所。

――虫唾が走るね。

ねえ鳳仙、俺たちが目指したものは、アンタが俺に授けたものはそんなものではなかっただろう?そんなチンケで、脆弱なものではなかっただろう?



「俺はもっと、上に行くよ」



太陽なんて小さいことは言わない。それすらも飲み込んでしまうような、もっともっと高い場所。そうだな、宇宙の海賊王なんていいかもしれない。

目を細めて吉原の街を見下ろす。暗がりに浮かぶネオンだけが眩しかったそこは一瞬にして姿を変え、今では突然の出来事に皆が唖然と空を見上げている。
倦むような負の感情は全て地上に満ちるものだ。愛も憎悪も重くて仕方がないのに、人間どもはそれを態々背負い込もうとする。それらを脱ぎ捨てれば、簡単に焦がれた空を飛べるというのに。(それが侍の美徳だってんだからやっぱり宇宙は広いと思わされる)



「神威ィィィィィ!!!」



ああ、何だか騒音が聞こえるよ。妹の声を高く聞きながら、俺は笑って手を振り返す。
ここにもう用はない。俺は飛ぶんだ、それこそ夜を跳ねる兎のように。

振り返ると銀髪のお侍さんと目が合った…ような気がした。この距離だ、あっちから俺のことが見えているとも思えないけど。



「      」



その口が小さく動いたのだけは目の端に映ったから、次に会った時にまた話をしてみたいものだ。勿論俺が覚えていればの話だけど。



降り立った路地裏は、光も差さず湿っぽいままの空気がどんよりととぐろを巻いているようだった。水分を吸ったどす黒い土を踏みしめる。
鼻歌交じりにそこを歩けば、ゆっくりとこの身が闇に包まれるのを感じた。振り返ることすら厭わしい。俺がどんな場所に立っているか、この先に続く道がどんなものであるか――そんなこと、俺自身が一番理解しているというのに。



――ニャア、



ふと、背後で猫の鳴く声がした。肩越しに目をやるとまだ僅かに光の残る場所にその姿を見つける。
野良猫だろうと首輪のないそいつを見て思う。薄汚れた毛並みだが恐らく本来は日本に特有の三毛柄。

――ニャー。俺と目が合ったのに気づいてか猫が数度鳴き声を上げた。
獣の世界の鉄則は目があったら決して逸らさないことだ。逸らした方が先に負ける。それを知っているだろうに、猫はどこか必死に泣いているようにも見えた。まるで暗がりに立つ俺を、呼んでいるかのように。



「…馬鹿馬鹿しい」



少しでも戦闘の意欲が感じられたら殺してやっても良かったものを、その猫からは闘志の欠片も見当たらない。ただひたすらニャアニャア泣いているだけの奴をなぶり殺しても愉しくなんてないというのに。
すっかり興味を失い俺は緩く目を伏せてその場を後にする。じゃりりと足下で小石が擦れ、それと同時に猫が一際甲高い声で泣いたらしいが、そんなの俺が気づくはずもないじゃあないか。

暗がりばかりが続くその路地に、響くのは猫のか細い泣き声だけである。












(喜劇/吉原にて)
銀さんが呟いたのは、記憶を失くしたあの子が唯一縋り付こうとする人物の名前。

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