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□創世記;零
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そんなこんなで上手いこと言いくるめられてしまった俺は、銀八に言われるがままにある場所に向かわされることとなった。
校内を歩き回りそこに辿り着いた俺は傷んだドアに手を掛ける。ガラリ、開けば中からは僅かに消毒液の匂いがした。



「…失礼します」



日頃から無人同然の場所であるその部屋――第二保健室は、予想通り人の気配などないはずなのに何故か挨拶をせねばいけない気分にさせられる。
薄暗い室内に光源は窓から漏れ入る日光ばかり。それも夕方を迎え少しずつ弱々しくなりつつあるから、部屋の半分は既に闇に覆われかけていた。

静謐な空間を侵すような気持ちでそっと足を忍ばせる。上履きのゴムが擦れる音が小さく響き、ベッドを取り巻くカーテンを揺らした気がした。



「………」



銀八の話によるとその「人物」とやらはこのカーテンの中にいるらしい。「人物」など面倒な言い回しをせずとも大体の予測はついている。
しかし一応相手は女の子なんだし、俺が勝手に開けて入ってしまっていいものか。万が一まだ寝てたりしたらどうなるんだ。下手したらセクハラとか言われるかもしれねーだろうが。

今までにない状況に俺の思考は暫く停止する。退くべきか待つべきか、勿論個人的には前者を選びたい気持ちで一杯なのだが、これから暗くなる空を思うと易々と動くことも出来ない。(近頃では近所に不審者が出ると聞いた)
カーテンを取り去ろうとする手を伸ばしたり引っ込めたりする様は偉く滑稽だろう。薄い黄色のそれがひらひらと眼前に踊る度、どこかバカにされているようで腹が立った。
――畜生、何だって俺がこんな目に「…だれ?」



ふと、中から軽やかな声が聞こえた。
それは俺が記憶しているよりもずっと弱々しく、しかしどこかに理知を湛えた色をしているように感じられた。寝起きだというのを差し引いても俺が思い描く人物と一致しない。まだ数度しか耳にしたことはなかったが、あの女のそれはもっとこう、何つーかガキっぽくころころしているようだった気がする。

そのギャップに混乱した俺の体はすっかり固まり、カーテンの中にいる人物が近寄ってきても動くことが出来なかった。せめて後退するくらいのことが出来ればよかったのに、気付いた時にはシャッと目の前の布が豪快にスライドしたところで。



「…あ」



俺より先に相手が小さく声を漏らす。寝起きでとろんとした目はどこか動物じみていて、こしこしとあどけなく目元を擦る仕草が余計にそれを助長していた。好き勝手に跳ねる髪は先程見かけた銀八と同じである。

俺を確認したそいつは未だ眠そうな目をしぱしぱと数回瞬かせ、そうしてにへらとだらしなく頬を緩ませて笑った。ミルクティー色の髪は夏の温度に溶けてしまいそうだったが、その表情のお陰でその時ばかりはアイツの面影に被ることはなかった。
「やっぱり」その人物――吉田が口を開く。



「ひじかたくんだった」

「あ?」



予期していたような口調で言う吉田に俺の眉間に皺が寄る。
先日屋上で遭遇して、それから未だ数回ほどしか顔を合わせたことがないというのに。何だかその言い草が遙か昔からの知り合いのもののように聞こえて、俺は胸の辺りがむずかゆくなるのを感じていた。

「おはよう」と吉田が笑った。「おはようの時間じゃねェ」俺はぶっきらぼうにもそう返す。



「?起きたらおはようだよ?」

「もう7時近いからおはようじゃなくて今晩はだ」

「???」



訳が分からないというようにこてりと首を傾げる、その仕草は何回見ても相変わらずだ。いい加減それが計算でないように思えて来たものの、ではこいつのこの妙にガキ臭い言動は一体何だと言うのだろうか。
それを考えようとした矢先に先程の…カーテンを開ける寸前に聞いた「だれ?」という声が耳に蘇って、思いがけず俺は頬が熱くなるのを感じていた。冷房の止まった室内、熱く籠もる空気を弾いたそれは、夏の西日にも負けず凛とした響きを持っていたものだから。



「いいから帰んぞ」



そう主語も目的語もなしに言い放った俺だったが、吉田は数度瞬いた後ににっこりと笑みを返して来た。寝起きのせいか頬が大福みたいだと思う。全体的にふにゃふにゃしていそうなこの生き物は、根本的な作りからして俺とは違っているように見える。

俺が銀八から言付かったミッションとは「吉田を無事に銀八宅に連れて帰ること」だった。
宿直と言えども放課後の見回り程度のことらしく、今日中に帰宅は出来るのだが吉田を待たせるのは忍びないとのことで。



『てゆうかさ、あんま待たせるとあの子寝ちゃうんだよねー。ずっと保健室やら職員室に一人で放置しとくわけにもいかねェだろ?』



頭を掻きつつ言った銀八は苦笑していたが、そこに面倒とか嫌悪感は感じられなかった。あの男が珍しいこともあったものだ。






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