バサラ小説

□宵の明星俄か曇れど
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散らぬ桜は何と味気ないことか。
浅ましいとさえ思う。






 宵の明星俄か曇れど







瀬戸内海を挟んで同盟を結んだ毛利と長曾我部は共に戦線を戦い抜き、ようやく戦乱の世が鎮まりつつあった頃であった。

例にもよって元親がほんの僅かな従者を引き連れて文もなく元就の居城である高松城へやってきた。
仮にも一国の主である者がここまで無用心に振舞うべきではないのだが、そう言えば「俺を心配してくれてるのか」と戯れを抜かすのだからもう既に元就は何も言わなくなっていた。

暫しふたりきりで元就の自室に籠り睦言を交わす事もしばしばであり、両陣営にも二人の関係は暗黙の了解となっていた。
この時も最初は元就は執務に励み、元親は其れを時には黙って、時には一方的に世間話をしながら見守っていたが、仕舞いにはどちらともなく互いの熱を共有し合っていた。

丁度着衣を正し、風を通しているところに小姓が食事はどうするかと伺いに来た。
面倒なので自室に運ばせるよう伝えると深々と頭を下げて只今お持ち致しますと告げ去っていく。
内庭に面した障子は開け放たれていて、僅かに冷たい風が二人の汗を舐め取っていった。

暫くするとすすすと衣擦れの音が近付いて来、其れが止まってすぐに失礼致しますとゆっくり襖が開かれた。

3人の小姓が膳を二人の下へ運び、「今宵は珍しい獣の肉が入ったとの事です。」と言いながら手際よく支度を進める。
元親が珍しい獣ってのは何だと聞き返すと、聡明そうな年長の小姓は、何でも異国の獣だそうで御座います。わたくしも其れのみしか…。と少年らしい澄んだ声で返した。


「獣とは言いますが淡白で臭みが無い味だそうで、魚のような味だと聞きました。獣肉を好まれない元就様に宜しいのではないかと。」
小姓がそう言うとすすすと元親の横へ来ると、僭越ながら失礼致しますと元親の盃に酒を注いだ。

元就にしては珍しくこの小姓を信頼しており、元親もまた元より勘繰りや疑いを好まないので毒見などは一切行っていない。
その小姓もまた、それを知りながらも付け上がる事もせず、干渉してくることもせず、ただ与えられた仕事を的確にこなす為、元就はとても重宝していた。

「もう良い。下がれ。」
「はい。失礼致します。控えておりまするが故、何か御座いましたらどうか何なりと御申し付け下さいませ。」
そう言い深々と頭を下げるととても美しい所作で襖を開け閉てし、部屋を出た。


「珍しい肉だってな。」
そう言い盃を傾け酒を口に含むとちらりと膳の上にあるその肉へと目を向けた。
見た所鶏肉に良く似て居り、彩り良く盛り付けられた其れはとても旨そうに見えた。

元より魚を好む元就は、一瞬異国の獣の肉という得体の知れない物をを食す事に抵抗を感じていた。
しかし何故であろうかとても強い食欲を感じ、その肉に箸を付けた。
口に入れれば柔らかくほぐれ、他の獣には無い様なとても香りの良い風味と、丁度良い塩気と、薬味の風味が元就の口内に広がる。
数回咀嚼し飲み込むと僅かに米を口に運び、吸い物を飲むと、再びその肉に箸を付けた。
「どうだ?」
「…不味くはない。」
酒を飲む故未だ膳に手をつけていない元親は、それじゃあ楽しみだと再び盃に口を寄せた。
本来なら菜を一口食べたなら米を一口、と膳に載る料理を満遍なく少しずつ食べる元就が、よっぽどその肉が気に入ったのか黙々と食べ続けている。
とうとう肉を食べきった元就は吸い物を一口飲んだ。

「俺も一口頂いてみるか」

そう言って元親が箸を手にしたときであった。


元就が突然手で顔を被い、俯いてしまった。
如何したのか、そう問いかけようとした時細かく元就の体が痙攣を始めた。
「元就ッ!!」
駆け寄り被う手を退かさせると、目をきつく瞑り歯を食い縛っている。
「匙を呼べ!」
廊下に控えていた小姓が慌てて襖を開け放つと、元親はそう叫んだ。







 *  *  *







元就は眠り続け、目を覚ましたのは半月が過ぎた時であった。
気付けば自分の周りを御簾で覆われ、枕元には竹の水差しが置かれていた。


一体自分はどうなったのだろうかと上半身を起こすと強い倦怠感を感じた。
「お目覚めだ…!」
「おお、元就様…!!」
御簾の外で控えていた家臣がそう言ってどよめくのを元就は夢心地で見ていた。
体がまるで自分のものではないような気がした。
勿論そんな筈は無く、自らが望めば手も動くし足も動く。しかし何か違和感を覚えた。自分でも分からぬ「何か」に。
ぐらりと眩暈を起こし、こめかみに手を当てるとぎゅうと目を瞑る。
深呼吸をすれば眩暈は治まり、とりあえず口内を潤わせようとと水差しに手を伸ばした時であった。




己の手が、雪のように白かった。




元々肌は白い元就であるが、それより遙かに白く、血の気の無い、まるで作り物のような色をしていた。
一体何が起こったのか頭を抑え、ぼんやりとした記憶を辿ると元親と席を共にした夕餉の際に突如襲った体を焼かれるが如く全身に激痛と熱が走り、次に全てが抜け去ったような感覚が蘇ってきた。

「おお、元就様よくぞ…」
「貴様ら…」

はぁ、はぁと肩で息をすると家臣を強く睨み付けた。
その元就の表情は御簾越しで分からぬが其の声色でその場にいた家臣がひとり「ひぃ、」と声を裏返させる。

「我に…何を盛ったか。」
徐に立ち上がり御簾を掻き分け家臣の前に出ると明らかに顔を青褪めさせた男が畳へ頭を擦り付けた。
「も、申し訳御座いませぬ…!!」
「言え!!」
声色を荒げると、ひとりの家臣が慌てたように襖を開け失礼致しますと頭を下げると室内に入り、足早に元就の下へ座ると再び深々と頭を下げご説明はこの私めが、と言った。




「先日の夕餉の際、私共がお出ししたのはあやかしの肉にて御座います。」




一瞬何を言っているのかさえ分からなかった。
しかしようやっと理解できた時、元就は激しく腸が煮え返る思いがした。

「貴様、自身が遣える主にあやかしの肉を食わせる家臣など何処に居ようか!」
「しかし、これも全て毛利の末永き繁栄を思えばの事!」
「…何を言っているのか理解できぬ…」


ぎゅう、と手にしたままであった水差しを握り締め未だ畳みに頭をつけたままで居る家臣たちを殺意の籠った視線で睨みつけると、ひとりの家臣が言葉を発すべく息を吸う音がした。



「に、人魚の肉にて御座います。」


「ふ、…ふざけるな…!貴様ら己が何を言っているのか分かっているのか!」

震えた声でそう言ってのけた家臣へ水差しを投げつけた。
カァンとその頭の横に激しくぶつかると水差しは反射し再び宙を飛び、中に入っていた薬湯が辺りへ飛び散り畳に滲み込んだ。


「私共めは如何なる罰も甘んじてお受け致す覚悟で御座います!これも全て毛利の御為!
人魚の肉を食べた者は不老不死の見になると言います。
元就様の知略が御座いますれば永劫毛利家は衰える事が御座いませぬ!」


強く頭を殴打されたような、いや遙かにそれ以上の衝撃であった。

「どうぞ首をお刎ね下さいませ!」
さぁと言って差し出された刀を、元就は手に取る事さえ出来なかった。


この家臣たちは自分たちの首で毛利が永劫栄えるのなら、と言わんばかりであった。
あやかしとなった元就が永劫実権を握る、そんな事をし、毛利が繁栄し続けるなどある筈も無い。あやかしが実権を握る一族など、淘汰され抹消されるが当たり前だ。
この家臣達の何と言う愚かさ!そして己等の勝手をするだけしてのけてさっさと死のうとは何たる傲慢さか!


激しい憎しみが元就を包んだ。殺してやりたいなど、そんな生半可なものではない。
腹を切り裂かれ、熱湯を注ぎ込まれたように、ぐらぐらと憎しみが際限なく湧き上がる感覚を止められなかった。



「…貴様らを殺して楽にさせてやるものか」



そうやっと喉から声を絞り出し爪先で家臣の顎を持ち上げると、その目を射殺さんとばかりに睨み付けた。

「……死して楽になどさせぬ。決して、楽になるなどと許さぬぞ貴様ら…
貴様らの所業によって衰退してゆく毛利を見届るが良い!あやかしに魂を奪われた主の狂い行く様を見、老いても尚自責の念に駆られ続けろ!其の時我が貴様らを殺す!!」

そう言いその男の腹を力の限り蹴り上げると、出て行けと背を向けた。
「この部屋には一切の人物をも近づけさせるな。良いか、一切だ!」
部屋に居た家臣達は腹を蹴られた男を数人がかりで抱え上げ、失礼致しますと去っていった。


元就は此れ迄毛利の為だけに献身してきた身であった。
先ず優先するは毛利の繁栄。そうして多くのものを犠牲にし、葬ってきた。
決してそんな自分に酔っていた訳ではない。自ら望んだ事だった。


しかしそれでこの仕打ち…


元就はいっそ狂ってしまいたいと、自嘲するかの如く声を出して笑った。


所詮己は「毛利」にとっての駒であったのだ。盤上を足掻くのみを許された、



「もと、ちか…」



唇を強く噛み締めると血が滲んだが既に痛みは感じなかった。





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