バサラ小説

□散らぬ桜の浅ましさ
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「…っはぁ!」





水面から顔を出すと憎たらしき程真っ青な空が広がっている。
入道雲がもくもくと形を成し風に流れていく。
波がたぷんと揺れて元親の髪を遊んだ。

潜り始めて何時間が経ったであろうか。背中は日に焼けて真っ赤になってしまった。



(…どこにいるんだアイツ)


ゴーグルを外し毛先からぽたぽたと滴る海水を手の甲で拭い、ぶんぶんと首を振った。
あれから1週間が経とうとしている。
其の時の出来事の記憶が全く朧げなのだが、その記憶している部分の断片が夢とは思えぬ元親はこうして"元就"を探し続けている。


(どう考えたって現実じゃなさそうなんだけど…な)


「ん。元親じゃねぇか。おーい!おめー何してんだ?」
「海女サンの真似かー?」


堤防の上から複数の級友が声をかけてきた。
しかしここは遊泳禁止区域だ。下手に返事をすると周囲に気付かれてしまう。それに何より今は其れ所ではない。
敢えて元親は其れを無視し大きく息を吸い込み海面の下へ潜った。

「…あぁ?何だアイツ。」

最近付き合い悪いよな。だの何だのぶつくさ文句を垂れ流しながら級友達はその場を後にした。



ゴーグルのレンズ越しに見る海は透き通っていて、地上の光を柔らかく吸収しきらめく様は幻想的であった。
岩陰や、魚の影揺れる海草。
視界の端から端まで、見落とさぬように彼を捜す。


(見付かる気がしねぇんだが…全く)



自分は一体如何してしまったのであろうか。
あんな事は夢だと、現実などではないと、否定してしまえばそれで仕舞いではないか。


(でも、そんな事したら)




ごぽん、とくぐもった音を立てて口端から酸素が零れる。





(誰が、あいつの存在を信じてやれるんだよ)







信じなければならない気がした。体の奥、もっと奥の、自分では関与できない何処かが、彼を知っている気がした。
つま先で水を蹴り掌で波を掻き分ける。水面に顔を出すと大きく息を吐き、そして大きく吸い込む。
ずっとこの行為の繰り返しだった。



海水が焼けた肌に沁みる。

(畜生畜生畜生!!!!!)



(誰だか良く分かんねぇヤツのためにここまでしてやってるんだぞ!?さっさと出て来いよ!!!!!)



ごぽごぽごぽ、



耳を横切る水の音しかしない。




再び海面から顔を出すと、入道雲がおかしな色をさせ重く沈み込んで来ている。
ごろごろ、と空がうごめく音がした。
「通り雨が来るか。」

ふう、と一息つくと展望台を捜す。
海しかない元親の町は、唯一の見所で在る海を一望できるようにと展望台を建設した。
完成当時は意外と観光客や地元民が昇っては海を眺めていたものだが今では利用するの者など誰もいない。
海の中では方角が分からないがこの展望台を目安にしていればそんな事はなかった。

「本日も釣果は無し、か。」


顔を出したまま平泳ぎの要領で陸へと向かう。
そうしている間にぽつ、ぽつ と雨が海面を叩き出した。

急がないと、堤防が見えてきたと言う処でバケツをひっくり返した様な大量の雨水が降り注いでくる。
波が大きく上下し元親の体を揺さぶる。
とにかく何かに掴まらなければ。
左手に見える岩場へと、波に揺られ困難な中向かい、ごつごつとした岩に手をかける。
「変な貝がくっついてて気持ちわりいな」
最も今はそんな事を言っていられる場合ではないのだが。
上下した波の所為で豪快に口の中に海水が入る。
其の度に其れを吐き出すが、途中からそれさえも面倒になってきた。
ゆっくりと岩場に沿って堤防のほうへ進む。
通り雨だと高を括っていたが中々止まない。


ふと、掴む対象が途切れた。


「此処は、」


奥のほうで波のぶつかる音がする。

「あの時の、洞窟?」

先日意識を失った自分が助けられ、運ばれた場所だ。
その際は最後に意識を失った際に自力で如何にか帰ってきたらしく全く覚えていなかったが。


何にせよ今はこの幸運に感謝すべきだ。この雨を一時凌げるだけで十分である。


慌てて入った洞窟内は、荒ぶる波と、雨音が反響しあっていた。



(寒ぃ、)

疲弊しきった体を縮めて熱の放出を防ごうと試みる。
一体何時間潜っていたのだろう。腰を下ろした瞬間に体が鉛のように重くなった感覚がし、自分でも支えきれなくなる。
ずるずると横になり息をつくと猛烈な眠気に襲われた。

(ちょっと、 だけ。)

目を瞑った瞬間に元親は眠りの世界に堕ちた。





元親が次に目を覚ました時は既に日が沈みきった後だった。
夏でこの暗さ、恐らくもう夜になってしまっている。
元親は辺りを見渡し、そして水面へと視線を落とす。




「…んだよ」





ぴちゃ、と水が滴り落ちてきて元親の頭で弾け、そのまま額を伝う。
元親は頭をぶんぶんと振って腕で額を拭った。

「さっさと自分から出てくれりゃ世話ねぇのに」




そう言って戻した視線の先には数日の間探し続けた者が居た。
相も変わらずのその澄んだ肌の白さは薄闇でも浮き上がって見える。


「…なぁ、何か言ってくれよ。アンタ、何なんだよ。俺の、何なんだよ。」
目を伏せていた元就は視線を逸らしたままであったが、元親の言葉に眉根を僅かに寄せ安堵したような、落胆したような複雑な表情を浮かべる。
「…覚えては、おらぬか。」
「何をだ。俺は、アンタと何が、」
「覚えておらぬなら其れに越した事は無い。」
「…答えろよ!」

思わず声を荒げた元親は悪い、と呟くと視線を落とした。

「覚えている、というか、記憶してあんだよ。俺にも良く分からねぇけど、」
「………」
「…なぁ、」
「気のせいであろう。」
「なぁ、俺は、」
「…思い出すな。」


突き放す様な元就の物言いに元親は不満げに口を噤んだ。

「じゃあアンタ何しに来たんだよ」

そう問うと元就は一度此方を見、しかし直ぐにその視線は海面へと戻される。
「…貴様には関係なかろう」
「俺が何か余計な事を思い出してないか確認しに来たのか。それとも、俺が何か思い出してくれているか期待して来たのか。」
「…ふざけた事を。」
「じゃあ何で来たんだよ、アンタ」

ふいと背を向ける元就を追うように、元親も海へと入る。


「なあ、…なあって!!」
「五月蝿い!我に構うな!」
「意味分からねぇし!何で来たんだよ!」

背後から腕を掴むと、元親の抗うであろうと言う意に反し元親は動きを止めた。
その白い腕から、元親の指先へとひんやりとした不気味なまでの熱の無さが伝わる。

「我に、触れるな。」
「じゃあ振り払え。力の限り振り払いな。…絶対放さねぇけどな。」
真白き首筋に琥珀色に輝く細い髪が張り付いている。
耳を当てても血の流れている音がしそうにも無いその華奢な肩に、そっと額を擡げた。

「……っ、」


元就はきつく、眼を閉じた。






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