無双夢
□お嬢さん、手遅れですよ
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「はぁっ、はぁっ、はぁっ…!」
「そっちに言ったぞ!」
「追え!逃がすな!」
“捕まれば殺される”
本能がそう叫んでいた。
足がもつれそうになりながら、必死に山中を駆け抜ける。つい昨日まで暮らしていた屋敷は炎を上げ、赤々と夜空を照らしていた。
「その娘を捕らえろ!」
「蜀へと寝返った裏切り者の娘だ!」
追ってくる兵達が口々に叫ぶ。
裏切り者ってなに?父が何をしたっていうの?どうしてこんなことになってしまったの?
曹の旗を掲げる人達がやってきたかと思えば、帰る家も、家族も、みんな燃えてなくなってしまった。
ひとりに、なってしまった。
ボロボロと零れてきた涙が視界を滲ませる。嗚咽と息切れが共にきて、まともに呼吸ができない。喉が焼き切れるように痛い。
「ひとりにしないで…!」
カラカラに渇いた喉からは半ば悲鳴に似た声が出た。
ひとりにしないで、ひとりで死にたくない。どうして、私が残ってしまったの。
もう足は動かなかった。
私はそのままへたり込むと、目を閉じ仰向けに体を倒した。少し後ろからはもうすぐ追いつくであろう追っ手の兵達の具足の音がする。
「君、ひとりぼっちなんだね」
ああ死ぬんだとそう覚悟した時、ふと上からそんな声が聞こえた。
もう追いつかれたの?
薄目を開け、声の主を確認する。
そこにいたのは飄々と笑顔を浮かべた男だった。大きな帽子に、掘りの深い顔。その出で立ちには、どこか見覚えがあった。
一体何者なのだろうか。そもそも顔見知りだっただろうか。私はどこでこの男を見たのだろうか。
わけがわからず、仰向けのまま男を見つめる。すると男は何を思ったのか唐突に馬から降り、私の体を起きあがらせた挙げ句ふわりと抱きしめてきた。抵抗もできずただただ唖然とする私に、彼は言う。
「俺が一緒に居てあげる」
瞬間、ずきん、と頭が痛んだ。
この言葉、この暖かさ、
私は、どこかで――
そこまで考えたところで世界は真っ黒に染まり、私は気を失った。
「っ…!!」
「ちょい、うなされてたけど大丈夫?」
目を覚ますと同時に、隣に寝ていた男…馬岱と目が合った。
…ずいぶん懐かしい夢を見たみたいだ。
心配そうに覗き込み私の頭を撫でる彼を尻目に、切れた息を整えようと深呼吸をする。
「怖い夢でも見た?」
「あの時の夢」
「…もしかして、“あの日”の?」
「…うん」
私が小さく頷くと、馬岱はそっか、と呟いて私の体を引き寄せた。薄い布越しに聞こえる鼓動の音が、耳に心地いい。
「俺が一緒に居てあげる」
夢で見たあの時と同じ声色で馬岱が囁く。
あの時も彼は私を助けてくれた。
ただ通りすがっただけなのに、私なんかを保護して、劉備様と諸葛亮様を説得して、この屋敷に迎えてくれた。ただ、何故そこまでしてくれたのかはいくら解いても「一目惚れしただけ」としか答えてくれなかったけれど。
別にその答えが不満なわけではないのだ。ただ…ほんの少しの違和感が、未だに私の中に残っている。そう、本当に少しの、何かが。
「ねえ馬岱」
「ん?」
「私は…あの日より前に、あなたに会った事があった?」
「…まっさかあ〜!俺は通りすがりだったって言ったじゃない」
「そう、だよね…」
私が俯くと、馬岱は「なにも心配いらないって〜」と笑いながら抱きしめる力を強くした。
やっぱり気のせいなんだろうか。
私の思い過ごしなんだろうか。
「まだ時間はあるしもうちょい寝てようよ」
ね、と念を押すように微笑まれ、こくりと頷く。
それを見た馬岱は満足したのか、おやすみ、と囁いて私の額に唇を落とした。
「君はずっと前から、俺のものだよ」
だんだんと薄れていく意識のなか、そんな言葉が聞こえた気がした。
お嬢さん、手遅れですよ
(気づいた時には、もう、)
お題拝借:sappy様
05/26.銀七