赤い妄想綴り(弐) 

□最後に会いたい人
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死ぬ時は、主幸村様と共に。

十勇士たちは皆、そう固く心に決めている。

どのような状況であれ、幸村様の命に従い、それに殉ずる覚悟。
いつもそれは胸の中にある。

けれど


この世の最後に、会いたい人は。


    *******


そんな事、今まで考えた事もなかった。
忍びは忍び。
常に影として生きて、死ぬ時もひそやかに屍さえ人目に晒さぬように、と。
死ぬ事は怖くはないし、この世に執着もない。
だからこその忍びなのだから。

けれど、深く傷つき、息も絶え絶えになりながらも最後に辿り着けるとしたら。


ごとり、と屋根板が音を立てた。
布団に横になっていた姫がハッとして起き上がるのと、
続いて何かが天井からドサッと落ちて来るのとが同時だった。

「…な…なに?」

とっさに物音がした所から離れようと布団を飛び出した姫だが、
深夜の薄闇の中で落ちて来たものが動かないのを確かめて恐る恐る近づいて見る。

黒い塊りのそれは、どうやら人らしいが丸くなったままだ。

「…誰…?」
「…る…せぇ。」

搾り出すような、苦しい声がした。

「さ…猿飛…?」

その声はかすれてはいるが確かに佐助だ。
姫は慌てて膝ついたまま近寄った。
「どうしたのです、こんな時間…怪我をしているのですか?」
どこか分からずに触れた部分が、ぬるりと生暖かく濡れているのを感じて姫が狼狽した。
「…だ、誰か…!」
毎夜警備してくれているはずの透波か五右衛門が駆けつけてくれるはずだ、と助けを呼ぼうとして
いきなり腕を掴まれた。
「…大声、出すな…。すぐに治る…。」
「で、でも…!」
「頼む…!」

それは、かつてない言葉だった。
佐助が姫に、頼む、などと言った事はない。
掴まれた袖がゆっくりと離され、その跡が血の染みで汚れているのが、月明かりでも分かる。
「猿飛…酷い怪我を…!」
今度は姫がその手を取った。
冷たく半ば乾いた血で汚れたそれは、握り返す力もない。
「急いで手当てをしなければ…。」
「…い、い…!」
姫が立ち上がろうとするのを止めるかのように、佐助がすがりついた。
そして汚れた顔をそのまま姫の膝に預けた。

意識が遠のいて行くのを感じながら、佐助は姫に見えないように唇を緩めた。
「…ここで、いい…。」
閉じた目は、もう開かないかも知れない。
そんな、らしくもない弱気を叱咤する気力も無く、佐助は再び動かなくなった。


「猿飛…!?し、しっかりして…!」
姫が慌てて佐助の肩を揺り動かそうとした時、いつからそこに居たのか、背後から声がした。
「姫、どうぞそのままで。」
「才蔵…?」
膝に佐助を預かったまま、身体を動かす事も出来ずに首だけ向けて声をかけると、
才蔵は黙って手をかざした。
とたんに、部屋の燈台にぽぅっと火がともる。
姫が驚いている隙に、才蔵は無遠慮に近づくと佐助の様子を確かめて眉を寄せた。
「…出血が酷い…動かさない方が良いか。」
そしてぶつぶつとひとりごちると、姫に顔を向けた。
「申し訳ないけど、ここで手当てさせて貰う。姫はそのまま、佐助の頭支えてて。」
「は…はい。」
いつもは好意的な才蔵の、有無を言わさぬ調子の台詞が佐助の容態を物語っていた。
目の前で忍装束を解かれた佐助のわき腹からは、夥しい血が流れている。
「…。」
思わず息を呑んだが、目を離す事は出来ない。
姫は、才蔵が手際よく傷口に何かを塗りこみ、布を当てぎりぎり巻くのをじっと見ていた。

「鉄砲だね。佐助がこんなに酷くやられたのは初めてだ…幸い弾は貫けてるから後は佐助次第かな。」
一通りの手当てを終えて、才蔵が姫を見上げた。
「夜中にこんな事に巻き込んでごめんね、姫。すぐ後片付けに誰かやるから。」
そして姫の膝から佐助の頭を起こそうとした。
「ど、どうするのですか?」
「え?運ぶんだよ、俺たちの棲家に。」
「でも、さっきは動かさない方がいいと…。」

才蔵は姫をじっと見詰めて、それから土気色の佐助の顔を見た。
「…いいの?」
ここに寝かせて?と目線を再び姫に送る。
「はい。佐助も、ここでいい、と…さっき。」
「…そんな事を…。」
才蔵の表情が、一瞬哀しげに歪んだが、姫は気づかなかった。

「じゃあ。」

少し間を置いて、才蔵がやはり佐助を抱きかかえた。
だが、すぐに姫の布団の横に寝かせる。
「ここに置いときますよ。流石に膝枕してるの見たら、幸村様が吃驚するから。
あ、布団は結構。我々には無用だから。」
言いながらも手当てした際の布や汚れをさっさと片付けて、つい、と立ち上がった。

「…またすぐ戻るから、少し看ててくれる?」

姫に背中を向けたまま、言う。

「はい、勿論。私に出来る事があるなら、言って下さい。」
姫が答えると、才蔵はさっきと同じような哀しい顔をした。
が、口調はいつもの通りで
「傍についててくれれば良いよ。」
…今だけは。
最後は口には出さず、ふぅと風のように消えた。




…この世の最後に、会いたい人は。


'10'03'26



最後ではないので、念のため。

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