捧げ物

□月への想い
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☆20000打を踏んで下さった美知さまのリクエストで"信玄様完結編極楽終幕後、
お館様と姫様の祝言が決まり傷心の幸村と励ます兼続"です。

…切なっ!(汗)
でも頑張ります!







月が、眩しい。

幸村はふっと目を眇めて我ながらおかしなことを、と思った。
漆黒の夜空に浮かぶ満ちる途中の月は、傍らの雲をまというっすらと霞んでさえいるのに眩しいはずがない。

けれどそれは、たおやかに佇むあの人にも似て。
当たり前のようにそこにあるのに、決して手が届かぬ光。

幸村は月を見上げたまま、縁廊下に座り込んだ。
この月の下には、躑躅ヶ崎館の本丸がある。

そしてその奥に、婚礼を控えた大切な人が居る。
名実ともに甲斐の人となる、祝福の儀式を心待ちにするあの人が。
今、どんな想いで過ごしていらっしゃるのだろう。
もしやこうして月を見て…。

「…馬鹿な事を。」
もう二度と、同じ月を眺める事などないのに。
自嘲気味の笑みを浮かべてやっと月から視線をはずした幸村に、後ろから声がかかった。
「幸村殿。」
夜の始まりは流石に声を張り上げるのを躊躇うような静かな調子だ。
「…兼続殿、いついらっしゃったのです。案内もせず、大変失礼を。」
一度首だけで振り返り、その人物を認めてからは身体ごと向けて軽く礼をする。
兼続は薄暗い部屋の明かりを背に受けて、にこやかに立っていた。
「いやいや、小生が守番に良いと申したのです。断りもせず上がり込み失礼仕りますぞ。」
そして勧められもしないのに幸村の隣にどさりと座り、右手を差し出した。
「今宵はお付き合い頂こうと思いましてな!」
その手には、大きな酒瓶があった。


静かな静かな、甲斐の小夜。
素焼きの杯に注がれた越後の酒はその穏やかな夜の空気のように幸村の乾きを潤していく。
「越後の酒は日の本一でございましょう?」
さらに注ぎ足しながら兼続が言うと、幸村が酒瓶を取って返杯する。
「旨いですね。けれど甲斐にも負けぬ酒がございます。」
二人はにやりと笑いあって、一気に杯を空けた。そしてまた、互いに注ぎ合う。

「こうして誰かと酒を酌み交わすのは久しぶりにございます。…いつもは殿とご一緒しておりましたからな。」
他愛のないやり取りがしばらく続いて、ふと兼続が呟いた。
幸村は一瞬手を止めたが、すぐに何事もなかったかのように酌をして、次は自分に注いだ。
「…あの世にもこのような美酒があれば良いのでございますが。小生ばかりが飲んでは申し訳ありませんな。」
ふふ、と兼続が力なく笑う。
幸村は兼続が未だ深い深い喪失感の中に居るのを感じた。
元来の性質と今の立場から気丈にしては居るが、本当はどうにもならない想いと戦っているのだと。
「…兼続殿…。」
けれど、初めての恋を失ったばかりの身と重ねても、なんと言葉をかければ良いのか分からない。
それでただ、黙って酒を注ぎ、そして自分も飲む。

「想っても想っても詮無き事、この世には多うございまするな。」
何度目かの酌に答えるように、兼続が言った。
「幸村殿は今後もお仕えする身であれば、封じた心が痛む事もありましょう。」
幸村はその言葉に口に持って行った杯を止めてしまい、目を大きく開いた。
確かに家臣たちはかつての幸村と姫の関係を知る者も多いのだが。
「大切な人の幸せを願うは義の心。小生も殿の安楽浄土を願っておりまする。
全ては愛、愛ですぞ。さすれば、失うものなど何もないのでございます。」

幸村は黙って、兼続が言葉を終えて自分の杯を空けるのを見ていた。
…そうだ、失ってはいない。

たとえ誰のものであろうと、俺は俺。姫は姫…ただそれだけだ。

幸村は再び、夜空の月を見上げた。
それはもう先ほどよりも高く昇り、まとっていた雲をはらい、いっそう輝いているかに見える。

あの方が誰を想おうと、自分の気持ちは変わらない。
そしてその幸せのために、己の心は深く深く沈めよう。
幸村は改めてそう思い、少し軽くなった胸の内を感じ唇を緩めた。

「幸村殿?」
杯を置いた幸村の名を兼続が呼んだ。
幸村はそちらを見ずに、ゆっくりと月を仰ぎ
「越後の酒に酔いました…。」
と小さく言った。
「今宵は小生も酔いそうにございまする!」
答えるように笑い、ぐいっと杯を空けた兼続に幸村が酒瓶を傾ける。
兼続は兼続で、置いた杯を幸村に再び持たせた。

それから二人は、静かに静かに月を肴に飲み続けた。


   *********

躑躅ヶ崎館の中庭には、やがて来る冬に備えてか色美しい花々は姿を消し、
咲いているのは山茶花くらいのものだった。
元々華美には造られていない庭だが、それでも少々寂しい。
ふと幸村が通りかかると、そこに姫が立っていた。
鮮やかな緋色の着物で大輪の花と見まごうように。
姫は山茶花の枝を吟味するかのように触れながら、やがて丁寧に一つ、切った。
そして手にした山茶花の白い花弁を、満足そうに見る。

「何をなさっているのです、姫。」

声をかけると、ハッと振り返り控えめな笑みとともに答えが返って来た。
「信玄様のお部屋に生けようと思って…。」

ちくり、と幸村の胸が痛む。

けれどその痛みは受け入れようと固く心に決めた事だ。

「花ならば用意させますものを。」
ひとつ、息を吐いてゆっくり幸村が言うと姫が首を振った。
「これくらいの事、私で十分ですよ。」

幸村は微かに頷いた。
側近くに控え、世話係として仕えた相手がゆっくりと、そして確かに離れていくのを感じる。
幸村はじっと動かずに、けれど胸を押さえているつもりで黙った。
昨夜、深く深く沈めた己の心は間違いなくそこにあると確かめるように。

「幸村。」

一歩踏み出した姫が口を開いた。

「…ありがとう。」

姫はにっこりと笑った。
短い言葉に込められた想いとその笑顔を眩しげに見て、ああ、と幸村は思った。

…姫は今、とてもお幸せなのだ。

これ以上の事が、あるだろうか?

「それでは、花が萎れぬうちに。」
幸村が一礼して言うと
「昨夜の月に照らされて、この山茶花だけが白く光っていたのですよ。」
姫が何気なく告げた。
幸村は思わず顔をあげ、姫の背中を見詰めた。
「…月を…。」

もう二度と、同じ月を見る事などないだろう…と。
昨夜はそう思った。
いや、同じ場所で同じ想いで見る事はないかもしれない。
けれど、姫が見上げたその月を、離れていても見る事はできるのだ。

幸村はもう一度、信玄の部屋へと向かう姫に一礼した。

自分が選んだのはそう言う道なのだ。
これで良いのだ、と。

ひゅう、と冷たい風が中庭に立つ幸村の傍を吹きぬけた。
まもなく、厳しい冬が来る。
幸村は顔を上げて正面を向いた。
そして足を踏み出すと真っ直ぐに歩き出した。


'12'07

決して実らないこの恋、封印しても目の前にあるもどかしさ。
それに耐えるだけで大人ですなあ。
うーん、これまたリクエストにちゃんとお応えしてるか甚だ疑問ですが
美知さまに捧げます。素敵なリクエストありがとうございましたv
どうか受け取って下さい!

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