連載パロディ3

□吊り橋効果実践法 上
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笛の音のように細い声が楽しそうに話している。
これで十七回目だ。毎日、彼は私に話をしにきてくれる。女子用の赤を基調とした着物は彼の白い顔によく映える。その顔を笑みでいっぱいにして、彼はその日あったことを話しててくれる。二人で紅茶の香りを嗅ぎながら、過ごす。

今日はね、すごくいい天気なんだ。空が浅葱色で、雲がふわふわ飛んでてね。オレはまだ外に出たことがないんだけど、こういう日はさ、きっと人間も穏やかな気分になるんだろうね。ケンカとか減るんだよ。それともお天道様は見ているってヤツなのかな。
ちっちゃい子がね公園でシャボン玉吹いてたりして、制服の高校生も一緒になって遊んだりしてるの。制服はさ、やっぱりセーラーだと思わない?ブレザーなんてさ似たような服がいくらでもあるじゃん?セーラーはやっぱり特別なんだよ!青春のしたたり的な!

とりとめないことをいくつか取り上げて、彼は笑顔を見せるけれど、ふと天井の隅を確認する瞬間がある。
それを終えると、彼は少しだけトーンを落とす。いつものことだ。
松尾さんが来る時にはさらに顔を赤らめるけれど、二人きりの時は囁くような小さな声だ。くすぐったいようなその声は、彼がいなくても耳に残って、何度も繰り返し反芻される。

それでね、例のワンちゃんのことなんだけど、最近はますますキリッとしててかっこいいんだ。そばにいるとドキドキしてきて、何も言えなくなってくるんだよ。胸が痛いんだ。それから、その、一人でいる時に…変なふうになっちゃって……カメラあるからお布団に潜るんだけど、やっぱりあれ聞こえちゃってるよね。メンテナンスはやってもらってるんだ。でも、鬼男君は異常なしって言うし、ゴメス君なんかは極めて良好っていうんだよ?どうしてだろ。
……あ、ちょっと待って、充電しなくちゃ。こっち見ないでね、ね。
太子君はいいよね、プラグが指に収納されてるんだもん。

そう言うと彼は立ち上がってズボンを下ろした。白くてすべすべした臀部が露出して、プラグを引き出すと、その背中がびくりと震える。体温が零・七度上昇した。

「んっ…」

小さな声を漏らし、彼はプラグを差し込む。少し呼吸を整えてまた話を始める彼の、その小さな体を抱きしめてみた。
まだこの状況を示す言葉は、知らない。


吊り橋効果実践法


充電を終えて、太子君と一緒に食堂まで行く。オレたちがお話をしている間、鬼男君と小野さんは論文の翻訳とか書類整理とかの雑務をしてから夕食を摂る、とそういうことになった。後でいくらでも記録は閲覧できるけど、リアルタイムでは聞いてほしくないってお願いした結果だ。小野さんは随分渋ったけど、そこは鬼男君が交渉してくれた。
オレのマスターは頼りになる男なのである。

この時間、食堂はあまり混んでいない。みんな大抵帰っちゃうし、ここではお酒が出ないから。お酒の匂いは好きだけど、酔っ払いは嫌いだ。アルコールは人間の脳をとろかして、ろくでもないことをやらかすようにしてしまうから。本当、真昼間から出来上がっちゃってる人は隔離するかなんかしてほしい。セーラー服の小学生を泣かせるなんて言語道断だ。

「ただいまー」

異口同音に二人がお疲れ様を言ってくれる。
くっついていた太子君も離れて、それぞれ互いの指導教官の横に座る。鬼男君の今日の夕ご飯はトンミックスフライ定食と温泉卵。小野君はカレーライスにミニ蕎麦。こんな時間にがっつりカロリーを摂取して大丈夫なんだろうか。うん、三十過ぎたらまずそうだ。

「大王、「食べ」ます?」
「…要らない。揚げ物は苦手」

オレたちの嗅覚は人間よりもちょっぴり優秀だ。
人間も嗅覚って匂いの物質を取り込むことによって完治するらしいけど、オレたちにとってはそれは食べることに近い。おもなエネルギー供給は電気だからお味見程度だけど。
だから、太子君と二人の時はオレの趣味で紅茶とチョコ、松尾さんが一緒の時には緑茶と和菓子を置いている。しまいそこねるとベタベタするからって何度も怒られているけれど、こればっかりはやめられない。和菓子は後で河合さんが食べるらしい。意外だ。

そうですか、と言って鬼男君が残りを平らげる。ご飯がぽいぽい口の中に放り込まれて、エビフライが消える。急いでいるわけでもないし、お箸の使い方も上手。なのに手品みたいに料理が消える。

その向かいで、太子君がカレーの皿に顔を近づけていた。今日も素敵な青い和服なのだけど、汚れてしまわないか心配だ。今日の服はくれぐれも汚さないようにって、ゴメスさんに言われているだけにちょっと気になる。
まだ好き嫌いがない太子君は、はじめて見る食べ物は大概「食べる」ミックスフライはこないだ小野さんが食べていたから、今日はカレー。
好き嫌いは自我の目覚め、赤ちゃんと同じですと鬼男君が言っていた。そのうち太子君の好みにピッタリ合うものが見つかったら、太子君にも(特)認定がつくかもしれない。
すんすんと鼻を鳴らす音がする。鼻が汚れちゃうんじゃないかと思うくらいに接近していた太子君が、いきなり顔を上げた。

「無限に広がる大宇宙ー!」

隣の鬼男君がポカンと口を開けた。
小野君もポカンと口を開けた。
きっとオレの口もポカンだ。
そんなポカン三連発を尻目に太子君は立ち上がって胸を張った。
スラリと縦に長い体。真っ直ぐこっちを見つめる目には今までなかった力があった。

「え、まさかカレーで?」

と小野君が素っ頓狂な声を上げる。うん、まさかとは思ったけれど、これはそうとしか考えられない。これで小野君は何日間か徹夜してカレーに含まれる成分の分析をしなきゃいけなくなるだろう。大変だ。

「会った時からずっと言いたかったことが見つかったんだ」

嬉しそうに太子君が言う。小走りでテーブルの反対側までかけてくると、いつものようにガバッと抱きしめられた。

「好きだ!」

そう叫ばれて迫る顔。タコみたいに唇を突き出して、え、これどうなってるの。肩越しの鬼男君が、ポカンと口を開けている間に太子君の顔が、唇が触れそうで。
潰れた声が喉から出て、頭の中でカチンと音がした。
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