ドレッシング
□君のくる道 4
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やっぱりどっしりした鏡餅を連想した。みかんに角が生えているみたいな、変わり種を。
鏡餅はその体格に見合う重低音で語る。そうじゃなかったらなんの冗談かと思うような、そんな内容だ。
「そういうわけだから、明日から君はあちらに行ってくれ。今日は一日準備に使ってくれて構わない」
「スイマセン、所長。
それはそういう名前のついた閑職で、僕は『人材の墓場』とか呼ばれたりしなくてはならないんでしょうか」
困り顔の鏡餅ーもとい、所長はふむふむと頷いた。首で弛んだ脂肪がぷよぷよと揺れる。
三日間の謹慎すらも、冗談のようにぷよぷよと揺れる。
「そんなドラマのようなことはないんだよ。 生憎、お役所では鬼員の余りはなくってね、大体」
一昨日見たままの所長室。
所長が直立不動なのが、唯一の違いだ。おかげで脚まで窺えるもんだから、余計に鏡餅だ。椅子よりも脚の方が台座らしい。
たっぷりたくわえた髭を鼻息で震わせながら、胸を張る。
「どこで何が起ころうが、閻魔王庁で、嘘を辞令として申し述べるようなことがあってなるものか。」
確かに異例中の異例ではある、と小さく首を振った。所長も、まだ半分以上信じられていないのだろう。
ぷよぷよが収まって、辞令を眺めるなりもう一度頷く。
「見たまえ、ちゃんと陛下の署名と印が捺してあるだろ?」
薄い紙を、恭しく広げてみせた。
重さにしたら、鬼籍よりも軽いだろう。だけども、きっとずしりと重いんだ。
白い紙に黒い文字がさらさらと流れている。僕らにとっては見慣れた殿下の文字。
『鬼籍所 鬼男殿
本日より、貴殿には閻魔大王付秘書官を命ず。
特設秘書課 責任者 泰山府君』
問題はその下だ。
白地に黒、その上にかぶせるようなとんでもなくでっかい印鑑。それが書類の半分を占めている。
『南方守護
暗黒界主宰神 閻魔大王』
書記長と同じくらい見慣れた文字、一画目を強く入れて、強弱を付けるリズムのある文字が踊っている。
こんなに特徴的な字を、僕は他に知らない。
「うちも君を手放すのは惜しいけれど、頑張ってくれよ」
手渡される辞令。
指先が重くなるみたいに。
遠くの方から聞こえるみたいな声に、反射的にありがとうございますと返事をしていた。自分が人形にでもなったような、乾いた声だ。
「では、失礼致します」
「ああ。
喜ばしいけど残念だよ。殴りはしたけれど、鬼善君とうまくやれていたのは君だけだったのに」
ドアを閉めるのを追いかけるみたいに、彼も優秀な男なのだがと呟く声が聞こえた。
それもガランとした廊下の虚ろに吸い取られて曖昧になった。後には一人、僕が残る。
傍目から見たらきっと、寝坊して訓練に遅刻した学生みたいに見えるだろう。なんとも間が抜けている。
そんな自分が浮かぶけれど、頭の中はそれどころじゃなくいっぱいだ。太く細く、素早く書くんだろう滲みの少ない文字。『閻魔大王』
冗談だろ…と呟くのを見計らったようにいきなり肩を叩かれて、身が竦む。
嗅ぎ慣れてきた安酒の臭いが鼻をついた。噂をすればなんとやらだ。
「ところが冗談じゃねえんだよなあ」
「主任…、いきなり出てくるの止めていただけませんか?」
だってお前、神出「鬼」没だからとつまんないことを言いながら、ゲラゲラ笑う。つくづく平和な人だ。ついこないだ、自分を殴った相手に対する態度だとはとても思えない。
「なにはともあれ、めでてえじゃねえか、鬼男。お前は今世紀初の閻魔大王付秘書官だ。休みはなくなるが、なんと給料は倍になる!
ってなわけで、祝い酒行かね?」
けらけらと可笑しそうに笑う声が廊下に反響する。どうやら、丁度誰もいないらしくて、白い目を向けてこられることもない。
「行きません。
明日から勤務ですから」
「ちぇー。
大王サマはよー、ザルでワクでわっかだから馴れといた方がいいんだぞ?」
「なんだって主任がそんなことを知ってるんですか。いい加減なこと言わないでください」
まとわりついてくるヤツをそのままに、ロッカーに向かう。要らなくなってしまうものは今日のうちに処分しておこう。
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