Fate/日和

□名門魔術師小野妹子の優雅なる非日常



 ◇◇◇


 それは、今から十年前の話。
 ……懐かしい人を見ている。
 背は低いけれど、引き締まった体つき。厳しい顔には笑みのカケラも浮かんだことはない。ぼくが物心ついた時には、もうこうだった。そのお決まりの顔のまま、無言でぼくの頭をなでている。
 いや、なでているというより、つかみそこなって揺すっているみたいだ。
 それも当然だと思う。
 なにしろ、この人がぼくの頭をなでたのは、初めてだったから。

「それでは私は行くが、後の事は解っているな」

 重い声に、行儀良くはいと答えた。
 ぼくの頭を撫でていた人は一度だけ頷くと、手を離して立ち上がった。……それっきり。
 あの時これが最後だと知っていたのなら、一発くらい殴ってやったのに。
 いつかその仏頂面を崩してやろうと、いつか負かしてやろうと鍛錬してきたのに。
 それが結局、一度もできなかった。

「教会の神父には貸しをつくっておけ。なるべく多くだ。まあ、お前ならば、独りでもやっていけるだろう。そうでなくては、この小野家の七代目を名乗る資格はない」

 余計なひと言はいつもと同じ。
 家宝のこと、土地のこと、地下室の管理の仕方、今起こっていることとか。
 今まで教えてくれなかった事を矢継ぎ早に話す姿を見て、子供心に気づいていた。
 ―――たぶん。
 この人は、もう帰ってはこないだろうと。

   ……戦争が起きた。
 国と国が戦って世界を巻き込むような規模じゃない。争うのはたったの七人だけ。
 七人で戦争なんてオーバーだろうが、その一人一人が魔術師なら、そう呼ぶしかない。異国の内乱と同じくらいの、それ以上の被害だって起こりうる。
 派閥の違う七人の魔術師達はそれぞれの矜恃や目的の為に、全力で他者を潰しにかかる。
  この人も、その一人。

 子ども心に、人が死ぬことの意味はわかっていた。戦争はいけません、みんな仲良くと教える日常が、その頃はすぐそばにあった。それなのに、どうして七人もの大人が争うのかがわからなかった。やめよう、誰かがそう言ってくれやしないか、そんなふうに思った。
   だけど、もうそんなことは起こらない、この時、そう悟った。
 察しのいいこの人は、そんなぼくの子どもじみた考えも見透かして、きっと何も言わなかったんだろう。

「妹子、いずれ聖杯《せいはい》は現れる。アレを手に入れるのは我が一族の義務であり、何より―――魔術師であろうとするのなら、避けては通れない道だ」

 もう一度。
 くしゃり、と髪をつかんだその人の背中を、ぼくは黙って見送った。
 それが最後。
 マスターの一人として聖杯戦争に参加し、帰らぬ人となった、遺体としてすら戻らなかった、師であり父であった人の最後の姿。

「行ってらっしゃいませ、お父さま」

 ぼくは、ただ頭を下げた。さっきまであの人が触れていた部分が重いのだというように俯いて、泣いているのをごまかした。こんなことやめてくれ。お母さまを泣かさないでくれ。思うことは、たくさんあったのに、言えなかった。
  口に出したらきっと、あの人はそれに相応しい返事をしてくれただろう。正しい言葉をくれただろう。
  それはきっと、戦争に行くという結論にしかならないことをわかっていた。
  でも、ぼくはあなたが好きだったから。失いたくないと思う気持ちまで間違っていると言ってほしくなかったから。
  やがては自分も同じ道を歩むことになると、わかっていたから。


「もう、十年か」

 そんなに経ったとはにわかに信じ難いけれど、紛れもなく事実。
 父が戦いに赴いた冬の日から、はや十年。この日が来るのが怖いようで、でもどこか晴れがましいと思っていた。
 今日の為に僕、小野妹子はあるのだから。
  朝日が暴力的な殴り込みをかけてくる。冬なのに、この屋敷は採光が良すぎた。普通、洋館って薄暗いもんじゃないのか。誰にともなく文句を言いたくなる。

「………起きるか」

 もうちょっと寝ていたかったけど仕方が無い。太陽に戦いを挑んでこのまま寝ていたら、きっと遅刻してしまう。
   それにしても体が重たい。昨日は父の遺言を読み解くのに派手に魔力を使いすぎた。一応手持ちの栄養剤を使ったけれど、疲労感は消えない。あのスパルタ親父、遺言くらいもう少し親切につくってくれ。おかげで何度か死にかけたし、頭は重たいし、左腕はずきずき痛む。

「……ああ、もう!全部親父が悪い!!」

   頭を振って起き上がる。壁掛け時計はもう七時を指していた。こんな風に工房で寝るのも、散らかしたままにするのも、あの人が知ったら激怒するだろう。折り目正しく行動せよ、自ら規範になり、後悔するような立ち居振る舞いはするな。常に余裕をもって優雅たれ。それがうちの家訓なのだ。
 冷え切った廊下を渡って、冷蔵庫のような居間につく。

 一月最後の朝七時。
 日和町は冬でも名前から連想する通りそれなりには暖かい日が続くのに、今朝に限っては底冷えするように寒かった。
 家の中にいても吐く息は白い。やたらと天井が高いから、温まりづらい。なによりこの家には僕しかいないから先に起きて暖房を入れてくれる人がいない。
 かの清少納言は夏に備えて家を建てろと言いはしたらしいけど、この家の惨状を知ったら土下座してくれるだろう。

「……暖房、暖房っと……」

 スイッチを捻って、顔を洗いに行く。
 怒られないのは重畳だが、こういう時には誰かにいてほしい。独り言の癖がついてしまったのも痛いけれど、しんとした気配が少し寂しいと思うこともある。
 母も五年前に亡くなって、冬が染み入る時には特にそんなことを考えるけれど、同居人を迎えるのも、使用人を入れるのも到底無理な話だ。

 洗面所で顔を洗って、身支度を整える。学ランのホックもキッチリ留める。優等生たるもの、一部の隙も許されない。
 鏡の中には亡くなった母と瓜二つの僕がいる。夢で再会したあの人とは、親子関係すら疑いたくなるほど似ていない。同じなのは、精々背丈、要らんところばかり。

 あとは朝食を済ませて登校するだけ。
 時計を見ればまだ七時を過ぎ、これなら少しくらい鍛錬だって出来ただろうに。学ランを着てしまったから、それも憚られる。二度手間は、優雅じゃない。

 昔の友人たち曰く、息が詰まる、意識してしまう分矛盾が生じる、それを唱えた初代は、小野篁に連なる人らしい。
  小野篁の子孫なら、小野妹子にも通じている。つまり僕の名前はそれなりに由緒正しいということになる。
 ならどうして、父の名前が馬子なのかとか、どうして住んでいるのが洋館なんだとか、つっこまれる前に彼らとは疎遠にした。

  小野篁は、平安時代あたりに実在した貴族で、井戸を出入り口に冥界に通ったとか、閻魔大王に仕えたとか、妖しげないわくのある人物だ。この人のことを父から教えられた時に、僕が抱いた疑問は、井戸があの世に通じている不思議でも、閻魔大王が実在するのかという疑問でもなく、どうしてそんな大男の子孫である僕らが平均身長にも届かないチビなのか、ということだったけれども。
 なにはともあれ、小野の家が“魔術”を伝えているということだけは、紛れもない事実だ。

「……だから、ズレてるんだろうな」

 この時代に、男に妹子なんてつけるのはキラキラネームよりよっぽどたちが悪い。しかも、その理由が、優秀な魔術師になるように、だなんて人様にはとても言えない理由で。小学校の時、親が外交官を希望しているんです、で押し通したのが懐かしい。

 魔術、イメージ的にはちちんぷいぷいでもアブラカタブラでも、それこそご先祖の時代のように臨兵闘者でもなんでもいい。
要は普通なら出来ないようなことをする人といことでかまわない。
 けれども、やたらと蛙を飼育したり、変身したり、杖をふって悪と戦ったり、お姫様を舞踏会に誘ったりはしない。

 やろうと思えば出来るだろうけれど、そんなことをすれば同業者から制裁を食らうだろうし、ボランティアなんて真っ平だ。
   魔術師はとことん利己的な生き物であり、基本的に世に隠れ忍ぶ異端者の一つ。パーフォーマンスはしない。聞けば、人狼だって、吸血鬼だって、この世界にはいる。どうして表沙汰にならないかと言えば、裏側からそれを隠している存在がいるからだ。僕らだってそれに漏れない。

 目立つ事は禁止されているということもあるが、そんな事をする余裕があるのなら家にこもって魔術を研鑽している。
 ついでに言えば、魔法使いとは違う。魔法使いもいるにはいるらしいけれど、僕は違う。僕には魔法は使えない。
  普通の人間からすれば、魔術だって似たようなものだろうし、同じように“神秘”と括られているけれど、両者の間にはどうしようもない溝がある。

 やってやれないことがない不思議なことが魔術で、どんなに頑張っても出来ないのが魔法。言ってしまえば、魔術はキチンと体系立てられた知恵であり、技術。一族秘伝の薬学が一番わかりやすい例だ。調合がわかっていれば、大抵の物は素人にだって作れるだろう。魔法は、誰にも真似の出来ない事、現代の科学でも到達できない事、つまり“奇跡”だ。
 もっとも、外野から見ればそんな違いなんてやっぱりどうでもいいのかもしれない。
 車に飛行機、ケータイにiPad、数多の電子機器が幅を利かせる現代に、魔術の使い道なんてあまりない。

 魔術で火をつける訓練をするより、パソコンでエクセルを使えた方がよっぽど為になるだろう。だって、コンロでもライターでも火は出るのだから。
 魔術の全盛期は、僕が生まれる遥か前に終わっている。黒船が来る前はガス灯だって魔術の領域だっただろ、今はそこら中に電灯があることなんか当たり前だ。そう考えれば、魔術は歌舞伎や着物に近い。
 それでも魔術を学ぶことには、伝統を保存するのとは違う、もっとわかりやすい理由がある。

 科学でしか到達できない地点があるように、神秘でしか到達できない地点がある。分子だの原子だので理解できるものと、マナやオドで理解できるものは別物だ。
  前者はより、未来に至る手段。
  後者はより、過去に至る手段。
  だけど、両者は繋がっていて、結局は世界とは何かに通じている。
 感覚ではわかっているが、言葉にしようとすると上手く形にならない。

 思考を弄びながらフランスパンを齧り終えて、鞄に手をかける。
 視界に入るのは、珍妙な物体だ。烏帽子とでもいえばいいんだろうか。ボロボロに朽ち果てかけたそれは、元の色がなんだかわからない。

「なんせ、飛鳥時代のものだっていうしな…」

  どうせなら、閻魔大王とか、小野篁の遺品でも残っていれば良かったんだけども、僕の名前を誇るよう言い続けた父からの贈り物だからしかたがない。
 これ以外に父が残してくれたものといえば、左腕に刻まれた魔術刻印。
 魔術刻印とは簡単に言うと後継者の証で、小野家が伝えてきた魔術を凝縮した刺青みたいなものだ。魔術が基本一子相伝なのはこの魔術刻印が非常にデリケートで複製が効かないから。魔力を流さなければ目には見えないから、温泉には入れる。
 父は、それら以外に僕の助けになるようなものは残さなかった。ちょっとくらいと期待してたのにやっぱりとことん厳しかった。草葉の陰でもしかめ面をしているんじゃなかろうか。甘えるな、甘えは優雅とは言えないぞ妹子、とか。



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